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宝塚歌劇 宙組東京公演 [宝塚歌劇]

◆◆◆ 宝塚歌劇 宙組東京公演 ◆◆◆

2005年11月5日(土) 東京宝塚劇場 11時開演

グランド・ロマンス
『炎にくちづけを-歌劇<イル・トロヴァトーレ>より-』
                  (脚本・演出 木村信司)
ショー
『ネオ・ヴォヤージュ』     (構成・演出 三木章雄)

出演: 和央ようか、花總まり、大和悠河、ほか宙組 
     初風緑、一樹千尋(専科)

*****

食欲の秋、読書の秋、物思う秋、馬だけでなくとろりんも肥ゆる秋。
皆さんは、どんな秋を満喫していらっしゃるでしょうか。
私はもちろん、「カンゲキの秋」爆走中(笑)。

今日は東宝劇場へ、宝塚宙組公演を観劇。
友人「ごん吉(仮名)」さんを引き連れて、普及活動に勤しみました(笑)。

ごん吉さんはこのたび、米国留学が決定。「一度は宝塚を観てみたい」と
常日頃より言っておりましたので、じゃあ留学の置きみやげに…と、
カンゲキツアー開催決定。

ではでは、早速まいりましょう~。

●●● 炎にくちづけを ●●●

【物語】

時は15世紀、舞台はスペインのアリアフェリア宮殿。
その宮殿には、ある噂がまことしやかに流れていました。

20年前、先代の伯爵は、ひとりの老いたジプシー女を火あぶりの刑にしました。
その女の娘は伯爵の2人の子供のうち弟を誘拐し、その弟は焼き殺されたとみられました。
そしてこの宮殿には、今も火あぶりにされたジプシー女の呪いが渦巻いていると…。

20年後。
吟遊詩人マンリーコ(和央)は、宮廷の女官、レオノーラ(花總)をめぐり、
当代の領主、ルーナ伯爵(初風)と争います。
伯爵に襲撃されたマンリーコは、山中に隠れ住むジプシーのもとへ。
そしてそこでは、アズチューナという女(一樹)がマンリーコを迎えました。
マンリーコは、アズチューナの息子だったのです。

一方、レオノーラの心の中にはマンリーコがすでに棲んでいることを
知ったルーナ伯爵は怒りと嫉妬のあまり、マンリーコを捕らえるために軍をさしむけます。
激しい戦いの末に敗れ、捕らえられたマンリーコには火あぶりの刑が下されます。
それを知ったレオノーラは、ルーナ伯爵のある提案を受け入れることにします。

そして、運命の夜明けが訪れます…。

【カンゲキレポ】

まず最初にお断りしておきます。
これからご観劇予定の方は、ご観劇後にお読みください。

今回は辛口です。
「ペルソナ」(最近お気に入りのカレー屋さん@神保町)の「特辛」を超えます。
ちなみにとろりんは、カレーはいつも「甘口」です。(どーでもいい)

そして、突っ込みが激しいために、ところどころ関西弁です(笑)。

宙組は、今年は運が悪かったなぁ…というのが、観劇後の印象です。
2~3月のショー、『レビュー伝説』以外は、作品に恵まれない1年でしたね。

特に今回のお芝居は、救いようのない暗さと重さが漂い、
何とも後味の悪い結末でした。
終演後、あんなに重い気持ちになったのは、
『望郷は海を越えて』(2000年、宙組)以来ですね。
はっ、これも宙組やんか!(笑)

***

まずは作品の周囲を、少しご説明しておきましょう。

サブタイトルからも分かるように、歌劇『イル・トロヴァトーレ』より
題材を得た作品です。脚本・演出を担当した木村信司(愛称キムシン)
は近年、「オペラ作品の宝塚化」を自身のテーマに課しているようで、
これまで『薔薇の騎士』や『トゥーランドット』、『アイーダ』が取り上げられました。

そして木村先生は、自分の作品を通じて、社会的なメッセージを
強く発信したい、という思いが非常に強いようです。

***

物語はマンリーコとレオノーラ、そしてルーナ伯爵の三角関係と
秘められた真実を縦軸に、そしてヨーロッパの歴史で欠かすことの出来ない、
キリスト教と信仰する対象を持たないジプシー(ロマ)との対立が
横軸に展開していきます。

***

まず、縦軸からですが…。
主役であるはずのマンリーコが、全く魅力のある人物として描かれていません。

一言で言うと、「レオノーラ、こんなろくでもない男のために命捨てたらあかん!」(笑)

そりゃ、背が高いしハンサムだし、歌は上手いし剣術も優れているようだし、
馬上試合には、白馬に乗って颯爽と登場(笑)したらしいし…(レオノーラ談)。

でも、「いい男」は自分の事しか考えてないもんです(笑)。

ジプシー出身のマンリーコは、仲間と共に流浪する生き方を良しとせず、
自ら仲間の元を去って宮廷に仕えています。しかし、その背景や理由
(何故彼がそのような野心を持っていたのか、という点)などが
マンリーコ自身の口から語られる事がないため、
ひたすら自分の事しか考えていない、身勝手な男として映ってしまいます。

彼は、自ら仲間の元を離れたくせに自分の都合で仲間全員を巻き込み、
結果としてその命を奪うことになります。
自分の軽はずみな行動がその結果をもたらしたのに、マンリーコは何と、
その原因を恋人であるレオノーラに押しつけます。

そして、伯爵と取引をしたレオノーラが死ぬ覚悟で彼を救おうとしているのに、
「お前は愛を伯爵に売ったのか」と、疑いと嫉妬の炎を彼女にぶつけます。
(レオノーラ、そんなの一言も言ってへんやん!)

自分の命を捨てて恋人を助けようとしているのに、死ぬ直前まで
恋人に「裏切り者」とまで言われたレオノーラ、浮かばれません…。

結果として、「こんなヒト、火あぶりになっても、誰も文句言わないんじゃない?」的存在に…。

これは役者ではなく、そのような役柄を創り上げた演出家に責あり、でしょう。
特に宝塚の観客は、「こんな男の人がいたらな~」という憧憬のようなものを、
常に男役に求めています。
その憧憬の要素である役柄を男役に投影するのは、演出家ですからね。
もう少し役の投影の方法を深めても良かったのではないかと…。

***

そして横軸である、キリスト教徒とジプシーの対立。
キリスト教の存在なくして、ヨーロッパの歴史は語れないでしょう。
当時の人々にとって、キリスト教は救いの源であったと同時に
畏怖の存在でもあった事でしょう。
その観念には、日本人にはとうてい理解できない深さが潜んでいると思います。

そして、彼らにとって、定住することなく多人数で移動を繰り返し、
信仰する対象を持たないジプシーは、信じがたい存在であり、
実は密かな畏れを抱えていたことでしょう。

本作にとって、「キリスト教」と「非キリスト教」のとらえ方は
単純明快で、「人間」か、「人間じゃない」か。

木村先生は、自身の作品の中で必ず人間を「差別する者」と「差別される者」、
もしくは「虐げる者」と「虐げられる者」に区別します。
そしてひたすら、「お前達は、人間じゃない」と責め続けます。
それが何度も何度も繰り返されるので、観ているうちに何だか気分が重くなってきます。

こういう時に、「言葉」の持つ力を思い知らされます。
形としては残らないけれど、確実に、着実に人の心に波を立てていく。
言葉の持つパワーは侮れません。

また、ジプシーの仲間達が処刑されるシーンは、
わざわざ1人ずつシルエットに上げて、銃殺される様子を映し出したんですね。
無意味且つ悪趣味な演出で、ますます気分が重くなってしまいました。

***

木村先生は、「自分の作品を通じて、広くメッセージを発信できたら」という
野心がかなり強いと思います。
一個人の演出家として、その持ち味は大切だと思います。

しかし、先生には「宝塚の観客が、宝塚の舞台に求めているもの」について、
そして、その中で、いかに自分の個性を出すのか、ということについて、
もう一度考えて欲しいと思います。
「自分が求めるもの」と「相手が求めるもの」のバランスを、どこで、どう巧く合わせるのか。
その辺りをもう少し模索してもらえたら…と思います。

私は色々なジャンルの舞台を観劇しますが、どれも視点が違うというか、
「こんな舞台が観たいな」と期待していることは、微妙に違ってきます。
(機会があればまた詳しくお話しますが)
共通しているのは、「終わった後に爽快な気分になってる事」ですけどね。

木村先生には、そう言った客席の期待、というものを
無視することなく、そして、決して媚びることなく、見つめ直して欲しいです。

***

大変に辛口、かつ身の程知らずな感想ですが、あくまでも私見です。

カンゲキ通信始まって以来の辛辣な感想となってしまいましたが、
見所も、もちろんありましたよ。
特にヒロイン、花總まりによる「娘役史上、例を見ない大胆衣裳」には
劇場中のオペラグラスが一斉に上がっておりました(笑)。

また、ルーナ伯爵を演じた初風緑は、宝塚随一の深みのある歌唱力で客席を圧倒。
特に中盤、戦いの中でレオノーラを思いながら、その孤独と虚しさを歌う場面は、
朗々とした歌い方がかえって伯爵の恋情と嫉妬、虚無感を見事に浮き彫りにしていて、
本当に素晴らしかった。
この作品での退団が口惜しい…(涙)。

***

あと、久しぶりに劇場で爆笑した場面を1つ、ご紹介しましょう…。

ルーナ伯爵に強引に迫られたレオノーラが助けを求めたその時、
近くの四阿(あずまや)の柱に、ヒュン!と矢が突き立てられます(と、思っていた)。
そして垣根の影から、マンリーコが颯爽と登場!(白馬には乗ってない)

と、いうシーン。2階のほとんど最後方の席で観ていた私は、
「矢、どんなに風に刺さってるのかな」と、ふと思い、何気なくオペラを上げました。

すると…

四阿の柱に刺さっていたのは…
矢ではなくて…



薔薇!!!

しかも、深紅の薔薇!!!!!!!



そう。吟遊詩人マンリーコ君は、深紅の薔薇を矢の代わりに放ったのです!!

これには歌劇百戦錬磨のとろりんさんも肩の震えが止まりませんでした(笑)。
だって、薔薇だよ!?薔薇使っちゃうんだよ!?ありえへんやん!
ってか、何で他のお客さん達、普通に舞台観てるのっっ!?免疫!?

…と、言う感じでしばらく1人でぶるぶる震えていました。
いやー、笑い死にしそうでした(笑)。
あんな笑撃は、『王家に捧ぐ歌』(星組、2003年)で、
ファラオが宙吊りブランコに乗って登場した時以来ですね(笑)。

後でごん吉さんに「あそこ、可笑しくなかった?」と尋ねてみると、
「いやー、宝塚ではそういうものなのかと思って」。
…明らかに間違った認識です、それは(笑)。

●●● ネオ・ヴォヤージュ ●●●

【カンゲキレポ】

こちらも…今ひとつ盛り上がりに欠けたというのが、正直な感想でしょうか。

宝塚のショーと言えば、他の劇団ではまずお目にかかれない、
大人数で展開する群舞の美しさとダイナミックさが一番の目玉ですが、
実は宙組、群舞が苦手っぽい。
特にこの日は、「ここまでは、珍しいなぁ…」と思うくらいに、
プロローグも中詰も、群舞が微妙に乱れ、崩れていました。

また、今回はホリゾントをいっぱいに使用する事が多かったのですが、
逆に空間が余ってしまい、群舞でも少し寂しい感じになってしまいました。
予算の関係上からか、近年装置の簡素化が進んでいるような気がする
宝塚のショーですが、紗幕やカーテンなどを駆使して、その空間を埋める工夫を
して欲しいな~と。

ひとつ気になったのがフィナーレ。
宙組トップコンビ、和央と花總が美しく優雅なデュエットダンスを披露し、
最後は銀橋(ぎんきょう:客席に迫り出しているエプロンステージ)でフィニッシュ。

拍手の中、続いてパレード…かと思いきや、この2人、
銀橋にそのまま残って、アンコールの拍手に応えたんですね。
もう一度お辞儀をして、お客様の拍手を受取り、そしてしばらくして
ようやく袖に入ったのです。

アンコールは、バレエの舞台では普通ですよね。
プリンシパルが踊った後、舞台をいったん退いて、
鳴りやまない拍手に応えて再度登場し、お礼のポーズ、
というのはよく見られる光景です。

しかし、宝塚では初めて観たので、驚きというか戸惑ってしまいました。
「え、いつからこの2人、そんなに偉くなったの?」というような感じで。

宝塚歌劇というのは1つ1つの組が、それぞれの教室みたいなものであって、
トップコンビは学級委員のようなもの。(ちなみに組長は担任の先生)

だから、「トップコンビあっての宙組」ではなくて、
あくまでも、「宙組あってのトップコンビ」なのです。

ですから、トップの2人だけが賞賛を受ける、という演出はどうも納得がいきません。
演出家の考案でしょうが、ちょっとわざとらしい、いやらしい演出でした。

***

しかし、パレードのエトワールを勤めた初風緑には、感動しました。
豊かな声量と、伸びやかにそしてふくよかに響く声、そしてあふれる情感の深さ…。
宝塚きっての名歌手が、とうとう去ってしまうのか…と思うと、泣けてしまいました。
この場面だけで、「今日来て良かった…」と思えてしまう、単細胞とろりんでした(笑)。

*****

いやいやいや、今日も言いたい放題、書きたい放題でした。
それではごん吉さんに感想をうかがってみましょう。

「いやー、宝塚は、『異次元』だね!『世界』が違うから、他の
演劇ジャンルと比べるレベルではないよ。ちょっと…圧倒されてしまいました…」

こっれで圧倒されたのなら、きっと『ベルサイユのばら』(来年上演)観たら、
卒倒するだろうな~と思いつつ、いそいそとプログラムを購入するごん吉さんを見つめて
「…見込みがあるわ…☆」と、三白眼を光らせるとろりんなのでした(笑)。

今日のお星さま…★★☆☆☆ (初風緑の歌に乾杯☆)


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けいころりん

私もとろりんと同じ感想でした。
本当に後味が悪かったですね。
けれど、花組の「落陽のパレルモ」はホロリとする場面もあり、とてもよかったので是非見に行ってください!
by けいころりん (2005-11-07 20:50) 

★とろりん★

けいころりんさん、重ねてのコメントありがとう~☆
すっかり宝塚の世界に浸っている今日この頃ですね。
今や花組公演広報隊長となってますよ(笑)
花組は東京はお正月公演です。絶対観に行きます!
by ★とろりん★ (2005-11-08 10:30) 

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