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大蔵流狂言 第五十一回 青青会 [伝統芸能]

2013年4月14日(日) 杉並能楽堂 13:30開演

山本会の若手狂言方やお弟子さんの研鑽の場である「青青会(せいせいかい)」。例年は2月の建国記念日の頃にかかるのですが、今年は2月から3月にかけて杉並能楽堂の耐震強化工事を行ったため、この季節の開催になりました。

建設からすでに100年以上の歴史を誇る杉並能楽堂、なんと2012年度に杉並区の指定有形文化財に指定されたそうです(詳しくはコチラへ→杉並区からのお知らせ)。おめでとうございます!弥栄!!

常時公演が可能な能舞台としては都内最古の歴史を誇る杉並能楽堂。耐震強化工事後は、脇正面付近の窓がすべて壁に造り替えられていました。

休憩時間に脇正面の窓からボーっとお庭を眺めるのがリフレッシュになっていたので、個人的には少々寂しい気持ちもしますが、大好きな杉並能楽堂でこれからも舞台を観ていきたいので、やっぱり耐震工事は大事ですよね!これからも感動が次々と生まれる素晴らしい舞台であって欲しいと思います。


『秀句傘(しゅうくからかさ)

シテ(大名)/山本泰太郎
アド(太郎冠者)/山本東次郎
アド(新参の者)/山本則秀

【あらすじ】

近頃の流行が「秀句(しゅうく…現代で言う駄洒落のこと)」だと知った大名は、自分も秀句を習ってみたいと思い、召使いの太郎冠者に命じて人を探しに行かせます。

太郎冠者が連れ帰ってきたのは傘職人で、傘にまつわる秀句ならいくらでも言えるとの事。しかし、実は「秀句」の意味をよく知らない大名。傘職人が連発する秀句を聞いても、ちんぷんかんぷんで…。

【カンゲキレポ】

泰太郎は紅白の段熨斗目の小袖に黒地に巴紋と荒波の文様があしらわれた裃。東次郎師の肩衣は生成り(クリーム色)地に馬?か驢馬(ろば)?の絵が背中一面に描かれている珍しい意匠でした。私は初めて拝見したかも…。則秀の肩衣は、藍地に矢と鳥(鴨?)の図柄があしらわれた意匠。鳥の図柄がすごくシンプルな曲線であしらわれていて、めっちゃ可愛かったです☆

この後に拝見したいくつかの舞台も通じて思ったことなのですが、やはり「ホーム」として、常に公演が出来る能舞台を稽古場として持つ強みは、何物にも替え難いものがあるなぁ、と。そして、そんな「ホーム」での公演だからこそ、各々の力量や成長の足跡が、鮮烈に見えてくるものだなぁと。今日の舞台は、いちばんにそんな事を実感しました。

泰太郎が演じる大名や主人など、ちょっと意地っ張りで本当は意味などわかっていないのに威張ってしまう役は、「こんなご主人だと大変だな…」と思わされる反面(苦笑)、嫌みがなくて愛嬌があって、ついついフォローしたくなるような一生懸命さがあります。

新参の者が言う事すべてが秀句だと思い込み、その一言一言を面白がっては扇から太刀から、挙句の果てには着ていた小袖と裃まで褒美にやってしまい、裸同然の格好になってしまう大名。最後、裸のまま傘を手に一言、「秀句とは、寒いものじゃな」には、つい吹き出してしまうおかしみと愛しさがこもっていて、とても良かったです。

そんなご主人に仕える太郎冠者を演じたのは、当主である東次郎。こちらはもう曲が手の内に入っている余裕もあるでしょうが、そんなご主人を宥めつつもちゃんと立てる様子に、ご主人への愛情が感じられます。

則秀は、相変わらず声に艶があって良いですね。「骨折ってまいった」「小骨折ってまいった」「神がかり」(←傘に貼ってある「紙」とかけている)の掛け合いに程よいテンポがあって、安心して見ていられます。



語 『姨捨(うばすて)(山本則孝)

能の大曲『姨捨』より、間狂言での語。東次郎師のお話によると、能の部分では語られることのない、リアルで生々しい人間の業を語るため、「声を張ってはいけない」「声を立ててはいけない」と厳しく教えられるそうです。抑揚を抑えて淡々と語られる方が、かえって凄みが出ることってありますものね。

則孝の語は、「声のトーンを抑えないと」という気持ちが強かったからか、ちょっと力が入っていたのが見えていましたね。もともと山本会の若手の中では声が高くて朗々と声を張れる方なので、今回のは結構難しかったのではないでしょうか。でも、語りの調子には切迫感と緊張感がみなぎっていて、思わず聴き入ってしまいました。


『呂蓮(ろれん)

シテ(出家)/遠藤博義
アド(夫)/若松隆
アド(妻)/山本則秀

【あらすじ】

都へ上る途中に出家の僧は、一晩の宿をある家に求めます。僧が部屋で身体を休めているところ、その家の主人がやってきて、食事の支度ができるまで教化(きょうげ=仏教の教えを説くこと)をして欲しいと頼まれます。

僧の話に深く感動した家の主人は、今ここで出家すると言い始めます。最初は躊躇する僧ですが、主人の熱心さについつい調子に乗って髪を剃ってやり、「呂蓮」という法名まで付けてやります。そこへ、食事の支度が整ったと主人の妻が呼びにやってきて…。

【カンゲキレポ】

山本家のお弟子さんお二人による競演。

遠藤は銀鼠色…というのかな、光沢のあるグレーの薄い衣の下に青みがかった薄い緑の小袖、そして薄緑の袴。この青~緑を基調とした微妙な配色が、本当に絶妙で絶妙で…杉並の舞台では装束のコーディネートはたいてい東次郎師が行うと聞いておりますが、今回のこのシックな配色にはハート撃ち抜かれました(笑)。

若松は紺地に白抜きで笹模様(もしくは桐)が背中一面に描かれた意匠。山深い里にある家を想像したのかな?妻の則秀は、目の覚めるように鮮やかな山吹色に草花の文様が縫い取りされている小袖で、とても美しかったです。

さてさて、舞台の方は、お調子者同士が繰り広げるはちゃめちゃ劇、という感じ。主人が出家を希望する流れなんて、完全に「ノリ」ですからね(笑)。ついつい意気投合しちゃって気が付いたら若干取り返しのつかない事になっていた、みたいな展開がテンポよくリズミカルな科白とともに進められていきます。

剃髪して出家した、ということを表現するために、男は舞台の途中で頭巾を身に着けます。若松の頭巾の着け方がちょっと危なっかしく見えたのでしょう。後見で出ていらした則俊師、道具を下げるために舞台の前で出て後見座へ戻る途中、さりげなく若松の後ろを通り過ぎて、「ビシビシ」と片手で頭巾の形をキレイに整えてあげていました(笑)。

遠藤も若松も動きも安定していて、声もふらつきがないし、流石です。山本家にとっては本当に心強いお弟子さん方です。

則秀はこの後、小舞の謡までノンストップで出演。今回は自分がシテを勤める舞台がないとは言え、男性、女性、謡とまったく異なる役どころを勤め切って、まさに大車輪でした。特にこの舞台の妻の役は好きだったなぁ~。夫が無断で出家したと知って激怒する場面は、ややヒステリックに怒り叫ぶ中にもちゃんと女性としてのチャーミングなところが残っていて、上出来でした。


小舞

『名取川』
(山本凛太郎)
『いたいけしたる物』(山本則俊)
『景清』(山本東次郎)


今年、20歳になる凛太郎。そして、70歳代を過ごす東次郎師と則俊師。世代の違う3名の小舞を、同時に同じ舞台で観られるという…

…えええええ!!!Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)(←この凄さを誰かと分かち合いたい)(←でも誰もいない)

思わずひとりで興奮しちゃいました。こっそりと。

まずは凛太郎の『名取川』。

小舞の時は、黒紋付に袴という出で立ちで舞われることが多いですが、今回は凛太郎、ハリのある紺色の紋付を着ていました。これが何とも見事な選択でして、今の時期の彼にしか出せない清潔感と若々しさ、瑞々しさが身体中から溢れ出すようでした。

凛太郎の小舞は、指先までめいっぱい力が込められています。力を入れ過ぎるあまり(もしくは緊張を抑える為)、手にしている扇まで震えているのが、客席からも見てわかるほど。

そんな姿を見ると、こちらもついつい肩に力が入ってしまいますが、今の彼は、変なところで変に力を抜くような小手先の技を覚えてしまうより、どんなお役もどんな舞台も、「とにかく全力を尽くす」という事が大事な目標のひとつだと思いますので、とことん力の入った舞台を見せて欲しいですね。

「名取川」は川尽くしの詞章が有名ですが、中でも「そばは淵なる片瀬川」のところ、能舞台中央でキッとポーズを決める場面は全身に研ぎ澄まされた鋭さがはしって、とても素晴らしかったです。


則俊師の『いたいけしたる物』。

名の通り、「かわいらしいもの、愛らしいもの」の意で、時間的には非常に短い小舞です。なのに、これがまた素晴らしくて…!

もう、ワタシなどが申し上げるのもおこがましい限りですけれども、明らかに計算され尽くした動きなのに、もう計算さえされていないのではと思われるほどに無意識に動く手足、要所要所でここぞという動きをしながらも余分な力を感じさせない軽やかさ。そんな中にもあふれ出る稚気。

舞が終わった後、思わず小声で「…カッコイイ…!」とつぶやいてしまいました(笑)。


そして、東次郎師の『景清』。

扇を太刀に見立てて舞う、というこの小舞。なので振付も、絶対に扇の先端=太刀の切っ先が自分の方へ向かないように考えられているのだそうです。

太刀のお話が出たところで…これは終演後の東次郎師のお話でうかがったのですが、狂言で太刀を用いる場合、鍔(つば)は、絶対に金属でない、と判るもので作るのだそうです。これは、その太刀が「真剣ではない」という意味を持たせるため。観客に恐怖感を与えないための配慮です。そして、「武器には見せても、凶器には見せるな」と戒められていたそうです。

『秀句傘』で見せた情の厚い太郎冠者とは打って変わって、精悍で勇壮な東次郎師のオーラと、研ぎ澄まされた美しくも猛々しい舞に、ひたすら圧倒されました。

凛太郎の小舞を観てから則俊師、そして東次郎師の小舞を拝見すると、無駄のない俊敏な動き、ぶれることのない流麗な足さばきは、気の遠くなるほどに長い年月を経て積み重ねられてきた稽古の賜物なのだ、ということを実感します。

常に鍛錬を積み重ね、全力を尽くして舞台を勤めていく中で、反射的に身体が動くまでに仕種と科白が身についていく。そしてそれを繰り返すうちに、ようやく無駄のない動きと力の加減が身体に浸透していくのですね。そしてそれは、なんと長い歳月を要することか…。

東次郎師や則俊師の姿を通じて、自らがこれから歩まんとしている道の果てしなさを目の当たりにするのは、凛太郎にとっては非常に辛い事でしょう。

歩むべき道の向こうに、求めるべき絶対的な「道標」が厳然として見えている。しかもそこまで到達するには、気の遠くなるような時間と修行が必要である事が目に見えて分かっている…。それはとても過酷なことであると同時に、幸福なことでもあります。


『抜殻(ぬけがら)

シテ(太郎冠者)/山本則重
アド(主人)/山本則俊

【あらすじ】

主人が、ある人のもとへ太郎冠者を使いに出そうとします。その時はいつも、主人は太郎冠者に酒を振舞ってくれるのですが、今日に限って忘れてしまいます。太郎冠者はあの手この手で主人にアピールし(笑)、ようやく主人は酒を忘れていたことに気づきます。

いつもと違う成り行きに、振舞われたお酒をついつい飲み過ぎてしまった太郎冠者。心配した主人が様子を見に追ってみると、案の定、道端で酔いつぶれておりました。懲らしめてやろうと思ったご主人、眠り込んでいる太郎冠者の顔に、鬼の面をつけてしまいます。さて、やっと目覚めた太郎冠者は…?

【カンゲキレポ】

則重の身体能力の高さを満喫できたひととき。白地に紺で勢いよく波濤が描かれた意匠の肩衣も、すごくよく似合っていました。

特にお酒をしこたま飲んで泥酔してからの千鳥足と、面をつけられた自分の姿とは知らず、水面に映った鬼に恐れおののく場面は秀逸でした。

大盃でぐいぐいとお酒を飲みほしていく太郎冠者。最後の方は「飲みっぷりが悪しゅうなった」りするのですが(By主人)、何とか飲み終えて「ふぃーっ」と息を吐き出すところなんて、能楽堂一帯にお酒の匂いが立ち込めたかのような錯覚を起こしましたもの。芸で見せる力、ですよね。

泥酔のまま使いに出てフラフラと歩くうち、石につまずいて転倒してしまい、そのまま眠りこける…という場面。転倒する直前、石につまずいた体(てい)で一瞬身体が浮き上がり、そのまま一気に能舞台の床面に突っ伏せるのですが、これも凄い迫力!

危険のないよう、転び方には細心の注意とコツをちゃんと心得ているのでしょうが、脇正面から見ていると、本当に石につまずいて身体がふわ~っと倒れていく太郎冠者の姿が、まるでスローモーションのようにゆっくり見えて、思わず息をのみました。

これからも、則重にはこういったアクロバット系(?)の曲をどんどん勤めて欲しいものです。でも、怪我だけは気をつけてくださいね~!(←切実)

則俊師は、相変わらず声が素敵でした…。第一声をお聞きしただけで、「ほぅ…☆・:*:・(*´∀`*)ウットリ…・:*:・ 」と惚れ惚れしてしまいます。


*****


終演後は恒例となっている、東次郎師のお話。

前述の太刀のお話や『抜殻』に」まつわる一門の思い出話のほか、どれも示唆に富むものばかりでしたが、「(自然で最も美しい風景とされる)雪月花は、人が浄土の世界を想像した時に思い浮かべた景色なのではないか」というお話が、深く心に残りました。


久しぶりの杉並能楽堂。空気感と言い、能舞台に満ち満ちている気魄と言い、その空間にいるだけで癒されます。私にとっては、パワースポットのひとつかも!?

次に山本家の舞台を拝見できるのは、7月28日(日)に国立能楽堂で予定されている「別会」。

三世東次郎の五十回忌追善公演となるこの舞台。則秀の『花子』披きに、凛太郎と東次郎師による『二千石(じせんせき)』などが上演される予定です。絶対に行くぞー!


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