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三世山本東次郎五十回忌追善 山本会別会 [伝統芸能]

2013年7月28日(日) 国立能楽堂 13:30開演

「乱れて盛んならんよりは、むしろ固く守って滅びよ」。

狂言の神髄を頑ななまでに守り続ける山本家の特別公演、別会。たいてい、隔年ごとの開催になるのですが、今年は現当主・山本東次郎師のお父上である三世東次郎(1898-1964)の五十回忌追善公演として開催されました。

ロビーには『花子』の装束に身を包んだ三世東次郎の写真が、お花に囲まれて慎ましやかに置かれていました。

三世東次郎師の歩んだ道のりは、そのまま戦後の山本家の歩みにも重なります。常にメインディッシュ勢揃いのフルコースのような番組仕立てになる山本家の会ですが、今回はさらに上回るボリューム。

狂言方にとっては極重習(ごくおもならい)とされる大曲『花子』を三世東次郎師の末孫・則秀が披き、山本家にとっても大変思い入れの深い『二千石』を曾孫にあたる凛太郎がシテを勤め、そして『茶壺』は…と、一曲ごとに山本家の強い思い入れが感じられます。

約4時間15分に渡る長丁場の会でしたが、拝見した後は、何とも言えない穏やかな、そして温かく優しい気持ちになりました。私がこのような事を申しあげるのも差し出がましく、おこがましいことなのですが、「ああ、山本家には未来がある。」そう強く信じられたのです。


『二千石(じせんせき)

シテ(主)/山本凛太郎
アド(太郎冠者)/山本東次郎

【あらすじ】

都見物に行ってきた太郎冠者は、土産話として主人に都の流行歌という「二千石の松にこそ 千歳を祝うのちまでも その名は朽ちせざりけれ」という謡を披露します。ところがそれを聞いた主人は大激怒。

実はその謡は当家で大事にされてきた謡だったのです。はるか昔のこと、「前九年・後三年の役」に出陣した祖先がこの謡を陣中の宴で披露し、八幡太郎義家をおおいに喜ばせました。祖先はその功績によって、お家は「宇多の庄」(=歌)という地名の領地を与えられ、現在の地位を得たのでした。そしてこの謡は、家の大事な宝であると言うことで石の唐櫃に封じ込めて「お止め謡」とされていたはずだったのです。

家の大事な謡を軽々しく扱われては許さぬと、主人は太郎冠者を責め、手討ちにしてやると太刀を振りかぶります。太郎冠者はその姿に、自分がお仕えしてきた先代の面影を感じます・・・。

【カンゲキレポ】

いやはや、初番からすでに目頭が熱くなって困りました(←どんなジャンルの観劇でも全開で感情移入)。

主人と太郎冠者は、かなり年齢が離れているという設定があるそうで、主人は若い演者が、太郎冠者は経験豊富なベテランが勤めることが多いそうです。今回は、山本家の演者としては最年少の凛太郎に、当主である東次郎師による共演。

凛太郎は、まだまだこれからたくさんの舞台を経験していくでしょうし、今はとにかくできるだけ多くの舞台を経験するのが大切な時期。

しぐさや科白は東次郎師や父・泰太郎に教えられたことを必死になぞっているのが見え隠れしますが、今の年齢の彼なら、それは当然の姿です。教わったことを、教わった通りに演じる。それを何十年も繰り返していく中で、しっかりと狂言の「型」が身体におさまるようになり、そこから自然に本来の資質が開かれていき、「山本凛太郎の芸」が確立していくのですから。

とは言え、声も動きもずいぶん安定してきたように思います。特に発声は、彼と同世代の狂言方の中では群を抜いて安定しているのではないでしょうか。ちゃんと「狂言の発声」が出来ています。

東次郎師の太郎冠者は、先代の時代を越えて、若い主人に仕え続ける姿が、凛太郎の過酷な道のりを見守る総帥の姿勢と重なって見えました。その双肩には、これまでの山本家の歴史、先祖が積み上げてきた思い出、そして凛太郎が歩むべき未来すらも背負っているように見えます。

それにしても、私、本当に視力が下がったなぁ…。国立劇場の座席からだと、大好きな肩衣や扇の意匠がほとんど見えず、残念でした。でも今回は、鬼瓦や立浪、芭蕉など、スタンダードな意匠のものが多かったように思います。


『茶壺(ちゃつぼ)

シテ(すっぱ)/山本泰太郎
アド(中国の者)/山本則孝
アド(目代)/山本則重


【あらすじ】

中国地方からお使いで茶壺を手に入れた男。帰路、したたかに酔いつぶれて道の上で眠り込んでしまいます。そこにやってきたのはすっぱ(詐欺師)。高価な茶壺に目をつけたすっぱは、さりげなく男に添い寝して、肩の荷紐を解き、あたかも茶壺が自分のものであったかのように紐を自分の肩に引き寄せます。

さて、男が目を覚ますと、自分が入手したはずの茶壺が見たこともない他人の手に!慌ててすっぱをたたき起こして茶壺を返すように訴えますが、すっぱは自分のものだと言って聞く耳持たず。

男とすっぱが所有権を争っているところにやってきたのが、この土地の目代。騒動をきいた目代は、茶壺の中に入日記(いれにっき:いわゆる商品目録)があるだろうから、その内容を言うようにと2人に申し渡します。男は茶壺の来歴を謡いながら舞いますが、それを盗み見ていたすっぱも、同じようにまねて舞い謡います。そこで、目代が思いついたのは…

【カンゲキレポ】

この曲は、三世東次郎が急逝した直後の1964年、まだ二十代だった現・東次郎、則直、則俊の三兄弟でそろって演じ、芸術祭奨励賞を受賞しました。「失意の中で僅かな光明を見出し、心の支えとなってくれた思い出深い名曲です」と、東次郎師は公演プログラムの中で語っていらっしゃいます。

故・則直の長男・泰太郎と次男・則孝による安定の兄弟共演。泰太郎は父譲りの堅実な芸とお腹の底に響くような迫力ある声で、観客を魅了していました。男の真似をして謡い、舞うすっぱ。目代の提案で男と連舞を舞う事になる時の密かな動揺ぶりと、連舞中の挙動不審ぶりがまた可笑しくて、遠慮なく笑わせていただきました。

則孝も安定感のある舞台。舞にキレがあって、とても素敵でした。

目代を勤めたのは則重。実はこの目代こそが物語の結末を左右するキーパーソン。すっぱと男の連舞を見た後、「論ずる物は中より取れ」という諺があるからと、茶壺を持って逃げてしまうのです。2人が慌てて目代を追いかけて終曲。実は悪徳役人を風刺した狂言だったということが、最後に判明するのですね。

則重は声に張りがあるので、最初は本当に品行方正な目代に見えるんですよ。それが最後の最後に、颯爽と茶壷を取り上げて去って行ったので、一瞬あっけにとられました(笑)。いやぁ、まんまと騙されてしまいました☆


『花子(はなご)

シテ(夫)/山本則秀
アド(妻)/山本則重
アド(太郎冠者)/山本則俊


【あらすじ】

以前、旅の途中で出会った女性、花子のことが忘れられない男。しかし、その花子が自分に会いに都まで来てくれました。便りをもらった男はどうしても花子の元へ行きたいのですが、恐ろしいのは自分の妻。そこで一計を案じて、「持仏堂で一晩座禅を組むから、近付かないように」と申し渡します。

妻が去った後、男は家来の太郎冠者を呼びつけ、自分の座禅衾(ざぜんぶすま)を着せて自分の身替わりに座禅を組むよう命じます。妻の恐ろしさ(笑)を充分に知っている太郎冠者は嫌がりますが、主人には逆らえず、渋々身替わりを引き受けます。

夫の身が心配な妻は、言いつけに背いて持仏堂を訪れます。ところがそこにいたのは太郎冠者。太郎冠者から事のなりゆきを全て知った妻は大激怒。太郎冠者に申しつけて、自分が座禅衾をまとい、男の帰りを手ぐすねひいて待つことにします。

やがて、念願の花子との逢瀬を終えて、男が上機嫌で帰ってきます。座禅衾をかぶった妻をすっかり太郎冠者だと信じ込んでいる男は、酔った勢いで花子との一夜をのろけ始めます…が!?

【カンゲキレポ】

今回のメインのひとつでもあった、則秀による『花子』の披き。

一言で言うならば、「未来が見える『花子』」でした。(←偉そうな表現ですみません)

勿論、まだまだ荒削りな部分、未熟な部分はたくさんありました。花子との逢瀬から帰ってきて橋がかりをゆったりと歩みながらひとりごちるように謡う「独り謡い」の場面は、声の抑揚やメリハリがアンバランスであったり、動きが妙に硬かったり。どうしても若さが出てしまう場面はいくつかありました。

ただ、そういった課題がある分、「この人には、まだまだこれだけの伸びしろがあるのだ。これからも狂言方として大きく成長できる人だ」と確信させてくれるものが、則秀の『花子』にはありました。

これはあくまでも私の個人的な意見なのですが、実はこの2~3年、則秀の舞台には「伸びきった感」を感じていたのですね。何と申し上げたら良いのか迷いますが、どの舞台も、「則秀さんの実力なら、これくらいは出来るだろうな」という予想の通りの良い舞台なのですが、その予想を上回るほど感情を揺さぶられはしない、というか・・・。

少なくとも、それ以前の舞台で見られていた圧倒的な飛躍感が薄れたように思えてなりませんでした。

ただ、それは、ジャンルを問わず「舞台」を生業とし、「芸の道」を歩まんとする者であれば、必ず一生に一度は遭遇し、乗り越えなくてはいけないトンネル-「闇」に差しかかった時期だったのでしょう。

今、まさに彼はそのトンネルの中にいるのだろう、何かのきっかけでそのトンネルの闇を突き抜ける時は必ず来るだろう、彼はそれだけの実力も技量も兼ね備えた人なのだから。そう信じて、則秀の舞台を観ておりました。

そして、この日、静かに、そして見事に彼はその闇をひとつくぐり抜けたかのように思います。

これからも、多くの壁に立ち向かわなくてはいけないことは多々あることでしょう。でも、この日の舞台を勤めおおせた事に自信を持って、これからもひとつひとつの壁に、真っ直ぐに、冷静に挑んでいって欲しいと思います。

このように、若手の成長と奮闘を目の当たりにし、喜びを感じることが出来るのも、別会の醍醐味ですね。

則秀の力演を支えたのが、太郎冠者を勤めた父・則俊と、妻を勤めた兄・則重。則俊は文句なしの安定感、則重も落ち着いた舞台でした。


『文山立(ふみやまだち)

シテ(山賊・甲)/遠藤博義
アド(山賊・乙)/若松隆

【あらすじ】

今日も獲物を取り逃がしてしまった2人の山賊。互いに責任をなすりつけ合ううち、果たし合いをすることに。しかし、相討ちとなって2人とも命を落とした場合の事を考えて、遺書をしたためることにします。内容を考えるうち、感極まってしまった2人は・・・?

【カンゲキレポ】

山本家のお弟子さんお2人による一番。遠藤も若松も、これまでに見られなかった「大きさ」を感じさせる舞台でした。

またまたおこがましい事を申し上げるようで恐縮ですが、きちんと国立能楽堂の空気に呑まれることなく、しっかりと自分たちの空気に変えられていたように思います。遠藤は柔かな空気感が印象的で、若松は師匠譲りの剛健な発声と全力の動きがとても素晴らしかったです。

今や、山本家の貴重な戦力になりつつあるお2人。幼少の頃から狂言を学んでいたわけではなく、社会人になってから狂言の道に入り、大変なことやご苦労も並々ならぬものがあった事と思います。これからもこの曲のように、手に手を取り合って山本家を盛り立てていくとともに、それぞれの益々のご活躍を願っています。


素囃子 『早舞(はやまい)

大鼓/佃田良勝
太鼓/金春國直
小鼓/田邊恭資
笛/藤田貴寛


『祇園(ぎおん)

シテ(太郎冠者)/山本東次郎
アド(主)/山本泰太郎
アド(妻)/山本則俊
立衆(舞手)/山本則孝

立衆(舞手)/山本則重
立衆(巫女)/山本則秀

立衆(鞨鼓打)/山本凛太郎

大鼓/佃田良勝
太鼓/金春國直
小鼓/田邊恭資
笛/藤田貴寛


【あらすじ】

祇園祭で太鼓負の当番にあたった主人は、その役目を召使いの太郎冠者に任せることにします。猛暑の中、重い太鼓を背負う役目は大変なもの。一度は断る太郎冠者ですが、生来の人の良さから結局は引き受けることに。

損な役ばかり押し付けられる夫に不満が募っていた妻は、とうとう離縁を申し出ます。優しい太郎冠者は妻の気持ちを慮って、その申し出をも受け入れます。

祇園祭の当日。どうしても夫の事が気になる妻は、人ごみにまぎれて祭りの列を見学にやってきます。重い太鼓を背負い、汗みずくになりながらも、一生懸命にお役を勤める太郎冠者。その姿を見た妻は、思わず駆け寄り・・・。

【カンゲキレポ】

『祇園』は、大蔵流十三代家元・大蔵虎明(とらあきら・1597~1662)がまとめた狂言台本集「虎明本」にあらすじが記されているのみで、上演された記録がありませんでした。それを、東次郎師が2011年12月の横浜能楽堂特別公演で復曲上演。今回は3回目の上演となります。

お祭独特の高揚感と浮遊感、その中に浮かび上がる夫婦の絆、主人と従者の信頼関係。それらが明確に描かれていて、感動的な舞台でした。

もうね、太郎冠者と妻の姿に心の底から感動。心の中で大号泣。

人の好さを見込まれて、いつも大変な仕事をさせられる太郎冠者。そんな夫の優しさ、人の好さが、妻には不甲斐なく思えてしまう。そういった男女のすれ違い、心当たりはありませんか?

とうとう愛想尽かしをする妻に対しても、太郎冠者は引き留める術を持ちません。それどころか「今は何も用意してやれないが、せめてものこれを」と、さらしの布を手渡します。太郎冠者にとっては、これが妻に対する最大限の愛情だったんだろうなぁと思うと、ホロリ。

そして祇園祭当日。離縁を申し出たものの、こっそりと様子を見に来る妻。賑やかなお囃子と同時に、主人に従い、重い太鼓を背負って歩いてくる太郎冠者の姿に、思わず胸が潰れそうになります(←完全に妻目線)。

祭りの最中も、太郎冠者は列の者だけでなく見物客にも心を配り、道を開けるよう指示を出したり、転倒した人を介抱したり、大忙し。汗だくになりながらも、全力で仕事に取り組んでいる太郎冠者の姿に、妻は心を揺さぶられます。

最後、突き飛ばされて膝をついてしまった太郎冠者にそっと寄り添ったのは、別れたはずの妻。驚く太郎冠者に、妻はそっと、さらしの布を差し出します。そう、妻が家を出る時に、太郎冠者が唯一持たせてくれた、あの布。まじまじとその白布を見つめた後、妻の手にそっと手を重ねる太郎冠者。2人は手に手を取り合いながら、ゆっくりと、しみじみと道を歩いていくのです。


うわーん!!。・゚・(ノД`)・゚・。(←感動のあまり号泣)


現代に復曲されたということ、東次郎師による言葉の選択に工夫もあったかと思うのですが、科白がとても聞きとりやすく、それだけにとても感情移入しやすい舞台でした。

なんといっても、太郎冠者と妻の間に流れる愛情の深さが存分に伝わってきて・・・。そして、その姿が、お父上を亡くされて50年、手をたずさえながら共に長い道のりを歩まれてきた東次郎師と末弟・則俊師の姿とも重なって・・・。

幸福感と切なさが入り交じったような、何とも言えない感情がこみあげてきて、つい涙がにじみました。

本当は、東次郎師の次弟・故則直師にもこの場においでいただきたかった。何度、そう思ったことでしょうか。でも、則直師の姿は絶対に、その日舞台に立っていらした全ての演者、そしてその舞台を見守った全ての観客の心の中にあったことと思います。

連舞や軽業の場面も、祇園祭の雰囲気を充分に伝えていました。若手それぞれのソロパートも充実。則孝と則重の連舞は端正で力強く、巫女の則秀はたおやかな舞(←『花子』からの連投出演、お疲れさまでした!)。
鞨鼓打の凛太郎は、持ち前の身軽さを活かしたキレの良さ。

こうして拝見していると、山本家の充実ぶりが存分に伝わってきます。ああ、山本家は未来に向けて着実に確実に歩を進めているのだな、そう感じることのできる舞台でした。


* * * * *


近年まれに見る、フルボリュームの番組仕立て。まだ晴天の広がる昼下がりに始まった舞台が終わったのは夕暮れに近い時刻でしたが、不思議と疲れは全く感じませんでした。ただひたすら、「未来が見える」舞台に出逢えたことの喜びと感動の余韻に、浸り続けました。


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