SSブログ

『ラスト・タイクーン』 感想(5) [宝塚歌劇]



感想(1)はコチラから、感想(2)はコチラから、感想(3)はコチラから、感想(4)はコチラからお入りください。


モンロー製作の映画「椿姫」が撮影される予定だったスタジオには、誰もいません。ただ一人、衣装もお化粧もバッチリ済ませた女優ヴィヴィアン(華耀きらり)が、ぷんすか。付き人のボブ(航琉ひびき)はオロオロしています。

そこへ駆けつけたのがモンロー(蘭寿とむ)と秘書ケイティ(桜一花)。ヴィヴィアンは怒りをモンローにぶちまけます。

そこへ、アシスタント・プロデューサーのボルビッツ(月央和沙)が駆け込んできて、モンローの撮影ユニットが、彼の更迭を条件にストライキを起こしたと報告します。

モンローはひとまず、ヴィヴィアンを帰します。ここのヴィヴィアンのお芝居が、また秀逸。コメディリリーフとしての役割をきっちりとこなす華耀きらりに拍手!

このままでは映画が作れなくなる、と焦るモンローに、ケイティが電報を持ってきます。頭を目まぐるしく回転させて打開策を探そうとするモンローですが、電報の内容を目にした瞬間、すべての思考が停止します。

「キョウノゴゴ ケッコンシマス」

それは、キャサリン(蘭乃はな)からの電報でした。

ここも、蘭寿@モンローの「記号の演技」が素晴らしいのです。

「このままじゃ作れなくなる、なんとか事態を打開しなくちゃ」と言いながら素早く電報を開くモンロー。「どうされますか」とケイティに尋ねられた瞬間、目に飛び込んできた電報の文字

この文字を見た瞬間、一瞬モンローの瞳が停止します。そして、絞り出すようにこう言うのです。

「……考える。とりあえず、今は……一人にしてくれ」。

この!この「……」の間で、不意を突かれた衝撃、激しい喪失感、それでもケイティに問われていることに対して指示を出さなくてはいけないという気持ちがないまぜになり、ようやく絞り出される「考える。」という言葉。

この演技を受ける桜@ケイティも、素晴らしいです。電報の内容は客席には聞こえますが、舞台上ではモンローだけしか知りません。その中で、モンローの指示を待ち、「とりあえず、今は…」でぐっと詰め寄りながら、「一人にしてくれ」と言われて、虚を衝かれたような顔を一瞬して、それでも食い下がろうとするケイティ。けれど、モンローの横顔で何かを感じ、小さくうなずいてから、そっとモンローの傍を離れていくケイティ。

今回の芝居で、もっとも息詰まる瞬間でした。

一人になったモンローは、がっくりと膝を折ります。人生を賭けてきた夢が、愛しようとした人が、全て自分の手から滑り落ちていく…。残されたのは虚無感と、絶望。

ここでモンローが歌う「バベル」は、たった一瞬で全てを失おうとしている男の悲壮さ、それでも突き進もうとする不屈の心を感じます。

余談ですが、ここで蘭寿さんが見せるのけぞりっぷりがらんとむ全開で、ひそかなツボです。「天を仰いで♪」で、ぐいーんと背中を後ろにのけぞらせ、「問いかけようと♪」で、ぐいーんと元の位置に戻ってくるところが、何とも言えず蘭寿さんだなーと(笑)。

本舞台では、ストライキを起こした労働者たちの影が動き、その前の銀橋でブレーディ(明日海りお)がモンローと相対する形で立ち、ドラマチックな場面となります。ここの場面、すごい緊迫感で目が離せません。





事態を打開しようと、モンローは労働問題に首を突っ込んでいるセシリア(桜咲彩花)に仲介を頼み、労働者たちを先導しているという共産党員ブリマー(鳳真由)と接触します。

三役目の鳳ですが、個人的にはこの役がいちばん当たり役だったように思います。もう、いかにもくすんだブラウンのスーツにえんじ色のネクタイが!オールバックの黒髪とか、外見からいかにも共産党員という感じが!ふじP、グッジョブ!!

実はモンローは酒が飲めない(あるいはドクターストップがかかっている)のですが、ブリマーに挑発されて酒を飲みます。酒を飲み込む時、ブリマーから顔をそむけて一瞬顔をしかめるのが好きです(笑)。

ここでのモンローの言葉のひとつひとつが正しくて、「映画制作に向かうべき精神を、権力奪取に向かわせている」とか、撮影所の若手スタッフに聞かせたい!

桜咲@セシリアの表情の演技も注目です。最初はブリマーの方を向いて、ブリマーの言葉にうんうんと力強くうなずいているのですね。しかし、反論するモンローの言葉を聞いて、どんどん視線が迷い始めるのです。自分のしたことが正しかったのか、自分は何かとんでもない間違いをしたのではないか…と考え始めるのです。

ブリマーに映画を侮辱されたモンローは彼に殴りかかりますが、逆にクロスカウンターを浴びてしまいます。殴られた衝撃と、飲みつけない酒を飲んで酩酊した意識の中で、モンローは現実と幻想が混濁していきます…。

ここの場面は、「ココナッツ・グローヴ」で行われるショーとモンローの幻想が交差して、見ごたえ十分です。

ココナッツ・グローヴの舞台に現れるプラチナ・ブロンドの女を「ミナ」だと思い込み、強引に連れて行こうとするモンローですが、相手役のダンサー(=ブロンソン)に阻まれます。

もみ合いの末にモンローは相手役に殴られ、プラチナ・ブロンドの女は相手役とともに去っていきます。

「キャサリン」とその後を追おうとするモンローの前に、今度は反旗を翻した撮影所の若手スタッフが登場し、彼を打ちのめします。

相手役の男に殴られた時も、撮影所のスタッフに殴られた時もそうですが、蘭寿さん、どこを殴られたのかがちゃんとわかるんですよね。蘭寿さんと言えば、死に様マイスターとして、「身体のどこに銃弾が当たったのかが目に見える」という至芸の持ち主としてあまりにも有名ですが、どこにパンチを食らったのかまでわかるなんて…!驚異的すぎる筋肉の使い方です!!

やがて、3年前の悪夢を思い出し、モンローは意識を失います。

気がつけば、「ココナッツ・グローヴ」の外。これ以上、モンローがボロボロになっていくのを見かねて、セシリアが彼を介抱していたのでした。(…しかし、元はと言えば君が原因だぞ、セシリア…)

そこへ、ブロンソンの元から逃れてきたキャサリンと鉢合わせします。キャサリンに気づいて、彼女を見つめるモンローの眼差しが揺れているのは、酩酊のせいなのか、まだ現実と幻想の区別がついていないのか。

前の場面でちょっとだけセシリアを見直したのですが、やっぱりここでも同じことの繰り返しで…「私じゃ駄目なの?」とか「あの女のところには行かないで…私にひどくすると、パパが黙っていないわよ」とか…。生田先生、どうしてセシリアにこんな台詞を言わせたのでしょう?

それでも、何とかセシリアが「ウザい女」にならず(台詞だけ見れば十分ウザいのですが)、ギリギリのところで「不憫な少女」として映るのは、桜咲の真摯な演技のおかげだと思います。

2人きりになったモンローとキャサリン。全てを失い、自分にとって大切なものに気づいたモンローは、再生の決意を告げ、キャサリンに愛を告白します。「ミナの面影」にではなく、キャサリン自身に。

ここの「I Love You」の破壊力は凄まじいですねー、皆さん!!(←誰)

この場面の蘭寿さん、いかにも仕草がアメリカンで、「I Love You」の「v」もちゃんと下唇を噛んで発音していて、とにかく恥ずかしい(笑)。恥ずかしくて赤面するけど、それ以上にときめいている自分がいます。蘭寿さん、I Love You too…!(←せっかくなので、ついでに言っておく)

キャサリンがの、「言ったでしょう、そう簡単には手に入らないわよって」という言葉を受けて、「ああ、大変だった」という時の手ぶりもアメリカンらんとむ全開で素敵(笑)。

でも、何よりもようやく太陽のような笑顔を見せる蘭寿@モンローが愛しくて愛しくて…。この場面、いつも涙があふれます。





撮影所。スタジオのセットが組まれていて、階段上にはマーカス社長(高翔みず希)やブレーディなど上層部とその部下(言わずと知れた極悪スカイ・ナビゲーターズコンビw)、そしてセシリアが立っています。下の本舞台には、ストライキを起こしたモンローのユニットのスタッフたち。「タイクーン(=モンロー)」の更迭を要求する看板などを持って立っています。

ここで、ブレーディがユニオン結成を認めること、そしてモンローを解雇したことをスタッフに告げます。喜びに沸きたつスタッフたちに、ブレーディが落とした鉄槌。それは、ユニットの解散と「椿姫」の撮影中止でした。まさかの発表に、スタッフたちは衝撃を受けます。

そこへモンローが登場。「僕たちが出会ったのは偶然なんかじゃない」と、もういちどゼロからやり直したいとスタッフたちに語りかけ、彼らの心を取り戻していきます。

大劇場からの大きな変更点が、この場面。大劇場では、モンローの解雇、ユニオンの結成認可、そしてユニットの解散とスタッフの所属先がブレーディに代わることなどが全て歌で表現されていました。

個人的には、大劇場の演出の方が好きでした。より親切に、より丁寧な説明をと意図されて新たに台詞が設けられたのでしょうが、感想(2)でも取り上げたモンローの台詞通り、「過剰な会話が想像力を固定」してしまっているような気がします。

何と云うのかな、モンローが登場するより先に、すでにサブラス(悠真倫)によってスタッフたちの意思が統一されているように感じるのですね。だからモンローの言葉に心を打たれて…という空気がどうしても薄くなったように思います。

余談ですが、アメリカではこの後、特にこの物語の時代である1930~1940年代にかけて共産主義の人気が若者の間で高まり、労働組合が活発化します。しかし第二次世界大戦後、共産主義に対する反発がにわかに強くなり、アメリカ映画界では労働組合への共産主義の影響を調査が開始され、「ハリウッド・ブラックリスト」に代表される反共産主義運動が高まります。

そういった歴史の流れを見れば、若手スタッフたちの行動も納得できるのです。なので、全員がモンローの元に戻るというのは現実的ではないように思えます。(ワイリーはモンローのもとを離れますが、ユニオン側に残る、というわけではないですし)

モンローの「スチームローラー」に反発してユニオンを結成し、再びモンローの元に戻っているのに、「スチームローラーに勝ったぞー!」という勝どきの声も、ちょっと不自然かな~。

それでも、あのシーンのモンローは大好きです!(断言)

「タイクーン!」と言われても、動じることなく、「タイクーン?違うな。スクリーンに夢を見た、ただの映画バカさ」と言う時の、全てを吹っ切った笑顔。「映画バカさ☆」という時に右手を上げるのですが、それもまたカッコいいのですよ!

ここで、女優のヴィヴィアンが颯爽と登場。最初は群衆の後ろから登場するのですが、ブレーディがモンローに「お前、役者はどうするんだ!」と叫んだ時に、「あら、あたしの出番ね!」というようにウキウキとして、群衆の奥から高笑いとともに登場するのが可愛い~~!そして、ヴィヴィアンが通れるように群衆をかき分けて道を作ってあげる航琉ひびき君@ボブも、ラブリー☆

「あら~、あたし、モンローについていくわよ。だって、モンローの方がイイ男じゃない☆」と、高らかに宣言するヴィヴィアン。

またこの時も出ますよ!ちょっと俯いて親指で鼻を軽くさわる、モンロー、いや蘭寿さんの「やっぱり俺ってイイ男だろアピール」が!!もーう、カッコいいから許してあげるぜ!!

ここで、ブレーディが「全米中の映画館で撮影できないように妨害してやる!」と息まき、モンローが「あなたなら判るはずだ」と諭します。しかし、ブレーディは、「…我々の道は、もう交わらない」と言うのですね。ここも東京で追加された台詞でしたが、もうちょっと台詞を練って欲しかったです。

私は、大劇場公演を観劇するまでは、モンローとブレーディの関係は、「ひとつの山の頂を目指してはいるが、登山口(目指す方法)が違う」という風に捉えていました。モンローは純粋な夢として映画作りに人生を賭け、ブレーディは企業人として映画作りに人生を賭けている…という。先に頂点を極めたのはモンローでしたが。

原作では、かなりの悪役として描かれているブレーディですが、生田先生の脚本では嫉妬だけではない、モンローへの思いも残しているブレーディ像に描かれていると思います。そうでなければ、重役会議で「会社からもスタッフからも必要とされなくなれば、作ることもできなくなる」という言葉を、わざわざモンローにかけないと思うのです。モンローがそうなる事を望んでいるのは、他ならぬブレーディのはずですから(あ、あえて言ったのかな?)。

だから、これらの台詞が、何だか唐突に感じてしまったんですよね。

ブレーディたち上層部が去り、新しい撮影のためにスタッフたちも去った後、モンローを訪れたのはキャサリン。

キャサリンに気づいたモンローの嬉しそうな笑顔が、たまりません!

「キャサリン、この仕事画が終わったら、旅に出よう」というモンローの台詞を聞くたびに、「アンドレ、この戦いが終わったら、結婚式だ」という某オスカルの台詞を思わず思いだしてしまうのは…きっと私だけですよね(笑)。

ここで、ついにキャサリンにプロポーズをするモンロー。ここの言い回しが本当に蘭寿は巧くてね、聞くたびに胸がぎゅっとします。

少し早口で「キャサリン、そこで僕と」で、いったん言葉を途切らせた後、今度はゆっくりと、噛みしめるように、「…僕と結婚してくれないか」と語りかけるモンロー。

観客は、モンローが病を得ており、すでに「限界が近い」ことを知っています。

「そこで僕と」と言った瞬間、彼はおそらく、自分の病のことを思い出して口をつぐんだのです。けれど、「何?」と尋ねるキャサリンの顔を見て、彼はきっと―ミナが死んでしまってから初めて、こう、心の底から強く思ったのではないでしょうか。


「生きたい」と。


この3年間、体に爆弾を抱えながらも、ドクターに検診を勧められても拒否し、わき目もふらず働き続けたのは、「いつ死んでも良い」=「いつミナのところへ行っても良い」という、半ば自暴自棄な心境になっていたからだと、私は感じたのです。

それが、キャサリンに出会い、惹かれ、初めてミナ以外の女性を愛するようになり、心の底から「生きたい」と強く願ったのです。だからこそ、噛みしめるように、「僕と、結婚してくれないか」と言ったのではないかと。「一緒に生きていきたい」という、自らの希いを込めて。

「そこで僕と」と、「僕と結婚してくれ」の間に入る、一瞬のわずかな空白。それだけで、観客の想像をここまで膨らませられる芝居ができる蘭寿とむ。得難い人です。

キャサリンに見送られて、資金調達のためニューヨークに旅立つモンロー。手を離す直前に、キュッと一瞬だけ固くキャサリンの手を握り締めるところがオトコマエ!あの瞬間はいつもキュンとします。

そして、キャサリンに向ける笑顔が本当に温かくて柔らかくて、すごく好きで、すごく胸が締め付けられます。これが、キャサリンが、そして観客が見ることのできた、モンローの最期の笑顔。





モンローを見送ったキャサリンは、ブロンソン(望海)の元へ向かい、別れることを伝えます。

見るからに荒れているブロンソン(汗)。モンローが「会社の規約に違反して共産党員と接触した」かどで解雇されたのですから、ブロンソンもおそらくスケープゴートとして解雇されたことでしょう。

キャサリンに別れを切り出されたブロンソンは拳銃を取り出し、彼女の額に突き付けます。恐怖のあまり硬直するキャサリンと、狂気に微笑むブロンソン。望海は狂気の表現が秀逸ですね。『エリザベート』のルキーニも期待。

そこへ飛び込んでくるラジオニュース。モンローが乗った飛行機が墜落し、乗員全員の生存は絶望…と、無機質な声は伝えるのでした。

ミナの死、そしてモンローの乗った飛行機墜落のラジオニュースを読み上げる役をしていたのは、仙名彩世。硬質で発音がしっかりした声で、とても良かったです。





どこか知らない、遠くに海が見える映画館。白いスーツを着たモンローが一人、客席に背を向けて座り、スクリーンに映写される空のフィルムを見ています。

「ライトをつけてくれ」というモンローの声で、パッとライトがつきます。

この場面の、蘭寿@モンローの右手の動きが好きです。右手で上空を指差して「ライトをつけてくれ」と頼み、ライトがつくと、その指をパッと広げて「ありがとう」と言うのですが、いかにも蘭寿らしい指の動きだなぁと、毎回惚れ惚れします。

椅子ごとくるりと振り返ると、純白のシャツとスーツに身を包んだモンロー。ネクタイだけは黒とグレーのレジメンタル。

「…最期の瞬間に浮かんだのは、この言葉だった」と呟いて、「Thank You」を歌い始めるモンロー。

ここからは、もう、言葉は要りません。ひたすら、白いスモークに浮かび上がる蘭寿の姿、銀橋を渡る蘭寿の姿、そして、最後に透明な笑顔を残して、客席に背を向けて歩いていく蘭寿の背中を見つめるのみです。


願ったようにはならない時も 
望んだようにはならない時も 
いつか灰の上に雨は降り注ぎ 
時を重ね 
いずれ花は実を結ぶだろう


この歌詞を聴く時、いつも涙があふれます。そして同時に、大きな勇気をもらいます。

ここまで来るのに、本当に、いろいろな事があった。その時の蘭寿の心境を推し量ることはできませんが、そんな時も、いつも笑顔で、目の前の仕事を想像以上のものに仕上げて、私たちファンに興奮と感動を与え続けてくれた蘭寿。

その彼女がそう歌うのだから、きっとそうなのだろう。蘭寿は、そう思わせてくれる存在なのです。

この間も、モンローの後ろでは、多くの場面が過ぎていきます。明日海@ブレーディが「俺は映画を作り続ける。お前のいない、この世界で」と決意し、紗幕の向こうでは、「ストーヴの女」を中心に映画の撮影風景が。そして最期は、キャサリン、ボックスレー、ザブラスがモンローの遺したものについて語ります。

そう。

蘭寿がこの舞台からいなくなっても、花組は、宝塚歌劇はその歩みを止めないのです。今は受け止められないかも知れないけれど、それでも、蘭寿の遺していくものは、花組に、宝塚に受け継がれて、そして未来へ歩み続けるのです。

「人生を賭けた夢 叶う日を信じていた…」

最後に、「人生を賭けた夢」を歌い上げるモンロー、いいえ、蘭寿とむ。

その笑顔はどこまでも澄み切っていて、透明で、ひたすらに輝いています。そのまま、背中を向けて、本舞台奥へと歩いていく蘭寿。


…水を差すようですが、ここの演出にも一言あるのです。

蘭寿が銀橋を渡る最後の頃、キャサリンたち3人が登場するのですが、墓石が、本舞台センター寄りの位置に、左右に分かれて置いてあります。そして、蘭寿が銀橋から本舞台に戻ってくる頃、それらの墓石はセリで下がっていきます。それらのセリが再び上がることはなく、2階席から見ると、左右のセリが下がって、舞台上にはセリ穴がポッカリと開いたまま。蘭寿はその間に残る、舞台中央のスペースを歩いて去っていきます。

本舞台を去っていく演出にするなら、舞台に穴を空けるような事はして欲しくなかった、と思うのです。これから人生の新しい舞台へと一歩を踏み出す蘭寿のためを思えば、穴など空いていない、美しく真っ平らな舞台を、悠々と歩いていって欲しかった。

モンロー以外の登場人物が喪服を着ている時点で、そこが墓地や教会など、葬礼をイメージさせる場所であると観客に想像させるには十分だったと思います。少なくとも私は、セリを使用するほどの必要性と重要性をこれらの大道具には感じませんでした。

…ね、生田先生。自分のイメージを追求するのも大切ですが、もう少しだけ、演出家として、そういうところにも配慮できるようになっていただければと思います。


それでも、私たちに真っさらな笑顔を残して、背中を見せて去っていく蘭寿とむの美しいこと。

その笑顔を見つめ、背中を追うことができた幸せ…その喜びを表現する言葉など、あろうはずがありません。

圧倒的に眩い純白の残像を観客の心に焼き付けて、モンロー―蘭寿とむの姿は、幕の向こうへと消えていきます。


* * *


・・・ここまで読んでくださった皆様、お疲れ様でございました。そして、本当にありがとうございました…!!(ひれ伏)

さぁ、ここで一息つかずに、ショーの感想も書いておかなくては…!た、頼むぞボルタレン…!!(←愛用の桂皮消炎鎮痛剤)

nice!(7)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。