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カンゲキ☆バカ一代 その弐 ~とろりんの作り方~ [ワタクシゴト]

カンゲキと劇画調に彩られたとろりんの半生。
時代はやがて、21世紀へ移ろうとしています。

まだ<その壱>をお読みでない方は、まずはコチラからどうぞ☆
「カンゲキ☆バカ一代 その壱 ~とろりんの作り方」
http://blog.so-net.ne.jp/kangeki/archive/20051130

*****

高校時代は生徒会と体育祭の運営に燃えていたとろりん、
神戸の大学へ進学、その後インターカレッジサークルで
様々な荒波にもまれる年月を送ります。

時は過ぎて、大学3年の夏のある日。
突然、とろりん母が「宝塚を観たい」と言い出したのです。

その年の宝塚歌劇は、約半世紀ぶりに新組(宙組)が誕生し、
宝塚でも新しい時代の幕開けを予感させる1年でした。

そんなわけで、当時上演中だった花組トップスター・
真矢みきのサヨナラ公演へ出かけたとろりん。
(ちなみに真矢さんは現在、NHK朝ドラ「風のハルカ」出演中です)

次回の月組公演が、プーシキン『大尉の娘』を原作にしたお芝居だと
知って、続けて月組公演も観に行きます。一応ロシア語専攻だったので(苦笑)。

この頃から、カンゲキライフが徐々に復活するようになりました。
でも学生のお財布ですから、観たい舞台を全部観られるわけではありません。

そこで、1年間の公演ラインナップとにらめっこしつつ、
「○○先生の脚本で▲▲さんの芝居やから、これは面白いやろうな」
と言う感じで、出演者と脚本家や演出家の組み合わせで、
その年の観劇予定を立てていました。

今にして思えば、この時の考え方が、今のカンゲキ生活にも
影響を与えています。

*****

しかし。

大学を卒業し、タナボタで大学院に入学した(笑)2000年秋。
早くもとろりんのカンゲキ人生第2幕、中断の危機が訪れます。
原因は、やっぱり宝塚(笑)。

この年の後半、「演出家、やる気あるんかーーーーー!!」と
オペラグラスを投げたくなるような駄作が相次ぎ、この程度の作品しか
観られないようだったら、もう宝塚は観ない、とまで思い詰めたのです(笑)。

しかし、その危機も救ったのもまた、宝塚。

前々から大学院の友人と観劇を約束していた年末の公演が、
大変素晴らしかったのです。(花組公演 『夢と孤独の果てに』)

これは植田景子さんという、若手演出家の大劇場公演デビュー作だったのですが、
(宝塚歌劇団史上、初めての女性演出家でもあります)
構成といい、脚本と言い、非常に完成度の高い作品でした。

「若手でこれだけの作品を作れる人がいるなら、まだ大丈夫かも…」
と思い直したとろりん、続く新春公演のお芝居に、深く感銘を受けます。
(星組公演『花の業平~しのぶの乱れ』 柴田郁宏 脚本・演出)
この作品は、今でもとろりん的にベストワンです。

「小さいときからファミリーランドにはお世話になってるし…
もう少し歌劇も見守り続けてみよう…」

と、宝塚ファン歴は現在にまで及んでいる、というわけです(笑)。

*****

さて、この2000年という年は、ミレニアムなだけでなく、
とろりんのカンゲキ人生に、もう1つの世界を拓かせた年でもあります。

それは、劇団四季との再会。

劇団四季は、これまた宝塚つながりなのですが…。

この年、結構好きだった宝塚の娘役スターが退団し、劇団四季に入団したのです。
彼女は本名の「大平敦子」の名前で四季で活躍することになりました。
デビュー作が、当時大阪MBS劇場で上演中だった『ライオンキング』のナラ。
そう、なんと四季初舞台を、ヒロインとして踏んだのです。

「じゃあ、ちょっと観に行ってみようかな」
と、親心気分で行ってみたら、これがまたかなり楽しい舞台で、ハマりまくり(笑)。
同時上演で、今は無き近鉄劇場で『ミュージカル 李香蘭』が上演されると聞いて
これも観劇し、思わずその場で「四季の会」に入会。

四季の会と言っても、CATS以外ではあんまり貢献してないと思いますが。
2001年にはCATS大阪公演で、16年ぶりに猫の皆さんとも再会して、カンゲキ(笑)。

*****

歌舞伎との出会いは、まさに新世紀に突入した2001年。

時はさかのぼること2000年、東京在住の、学生時代のサークルの先輩が
関西方面に旅行にいらっしゃった際、「宝塚歌劇を観てみたい」との要望があり、
その頃には既に、宝塚ファンという事がバレバレだったとろりんが
水先案内人をつとめることになりました。

とろりんの水先案内が巧くいったのかどうか、その先輩は見事に宝塚ファンとなり、
今でもちょくちょく、一緒に観劇に行きます。

その先輩、2001年の春にも旅行で来阪されたのですが、
「昨年の宝塚観劇のお礼に」と、ちょうど折良く大阪・松竹座で上演中だった
「十代目 坂東三津五郎襲名披露興行」にお誘いくださったのです。

***

歌舞伎は、高校時代に学校の芸術鑑賞会で経験があるんですよ。
観たのは『恋飛脚大和往来 新口村』。

当時、宝塚ファン歴3年を迎えていた高校1年のとろりん。
既に、「異性が異性を演じるとき、同性以上に心配りをしている=美しく見える」
という事を何となく感じ取っていたため、ヒロイン・梅川役の女形さんを見ても
「ああ、やっぱり綺麗だよね~」という、結構冷静な感じで見ていました。
(…イヤな高校生だな>笑)

ところが!
「これ、そこのお女中」と呼ばれて、梅川がふと振り返った仕草に、
ものっすごい衝撃を受けたのです。
美しいだけではない、動きや仕草が、女性よりも女性らしい!!
「…負けた…」
と言う言葉しか浮かびませんでした(笑)。
あの衝撃は、今でも鮮明に覚えています。

ちなみにこの時、梅川を演じていたのは上村吉弥さん。
上方独自の、のこってりとした芸の味わいを見せてくれる女形さんです。

***

さてさて、時計の針を2001年の大阪松竹座前に戻しましょう。

この時、私が見物したのは、
『石切梶原』『二人道成寺』『寺子屋』の三本。
そのうち『二人道成寺』は、今をときめく音羽屋親子(菊五郎&菊之助)、
そして『寺子屋』は三津五郎の襲名披露狂言とあって、
菊五郎、雁治郎、仁左衛門、秀太郎、というオールスターだったんですよ!

しかし、当時はそんな事は全く分かっていなかったとろりん、
『二人道成寺』で、既に意識が飛んでいました(笑)。
なんてもったいない事をーーーーっっ!!
今となっては、そんな無知な自分を正座させ、
膝をつきつめて小一時間説教したい気分です(笑)。

***

そんなとろりんが歌舞伎に目覚めたのが、同年秋に上演された
市川猿之助率いるスーパー歌舞伎、『新・三国志Ⅱ』。

普通の歌舞伎の舞台と比べてはるかにスピーディーな展開や演出に
びっくりし、「歌舞伎って、まだまだ可能性がある舞台芸術なんだな」と
思いました。

この舞台で市川段治郎さんという若手の役者さんに一目惚れしたとろりん(笑)、
今度は当日券を買って、2度目の見物にでかけました。

しかし2度目は、段治郎ではなく1人の若い役者さんに釘付けになりました。

この作品ではいわゆる「孔明、泣いて馬謖を斬る」場面があるのですが、
その後、馬謖の死を悼んで蜀の武将が追討の舞を踊ります。
彼のなめらかでありながらキレのある踊りに、目が離せなくなってしまいました。

その若い役者さんの名は、市川亀治郎。
中村梅玉さんに続く、私のイチ押し役者さんです。

最初は「亀治郎が観たい」という一心で、
猿之助一座の歌舞伎公演などにも足を運んでいたのですが、
2002年の尾上松緑襲名興行の舞台『蘭平物狂』を観たときに、
「ああ、これで『歌舞伎』にハマッた…」と、思いました。

これまでは亀治郎にハマって歌舞伎を観に行っていたわけですが、
今、ここで歌舞伎にハマってしまった…、と。
関西で行われる歌舞伎興行を全て観るようになったのは、これから後の事です。

*****

大学時代、大学院時代を通じて、自分が何をしたいのか
見定められずにいたとろりん、この辺りでようやく、
文化事業に携わる仕事がしたい、という目標が輪郭を帯びてきました。

そして試行錯誤の末、旅芸人のお仕事をしています。
幼い頃のカンゲキ体験が、今の人生にも結びついている…。
何だか不思議な気分です。

*****

足早に振り返ったとろりんの四半世紀、いかがでしたでしょうか。

さぁ、季節は師走です。
今月はアワード発表やら「スター☆オブ・ザ・イヤー」選定やら、
イベント(?)目白押しです。ご期待ください☆

そして、これからもご愛読・ご支援のほど、よろしくお願いします!


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