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結純子ひとり芝居 『地面の底が抜けたんです』 [講座・現代演劇]

2006年7月12日(水) シアター・χ (カイ) 19:30開演

【出演】 結純子

知人の紹介で、ひとり芝居を見物に出かけました。
タイトルは、『地面の底が抜けたんです-あるハンセン病女性の不屈の生涯-』。

少女から娘へと成長する一番美しい盛りにハンセン病と診断された
実在の女性、藤本としが絶望を抱えながらも様々な困難辛苦を受け容れ、
生きていく姿を克明に記録した自伝の聞き書き随筆『地面の底が抜けたんです』
(藤本とし、世界思想社)を、ひとり芝居として脚色した作品です。

まずは少し長くなりますが、ハンセン病について説明を加えておきます。
(全国ハンセン病療養所入所者協議会ニュースより引用)

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ハンセン病とは、1873年にノルウェーのハンセンが発見したらい菌によって、
主に皮膚や抹消神経が侵される感染症の一つである。この菌の毒力はごく弱く、
感染しても発病することはきわめてまれであり、1943年のプロミンに始まる
化学療法の効果によって、確実に治癒するようになった。
現在では、いくつかの薬剤を組み合わせた多剤併用療法(Multidrug therapy,
略してMDT)が広く行われている。

化学療法がなかったころは、この病気は、「らい」あるいは「らい病」といわれ、
不治の病と考えられていた一方、顔面や手足などの後遺症がときには目立つことから、
恐ろしい伝染病のように受けとめられてきた。

そのために、わが国は「らい予防法」によって、すべての患者を終生療養所に
隔離するという厳しい対策をとった。現存する療養所には、国立13ヶ所、
私立2カ所の計15ヶ所があり、入所者は5,500名(1995年末現在)ほどである。

そのほとんどは、すでに軽快治癒しているが、老齢(1995年末の平均年齢は71歳)
である上に、後遺症による重い身体障害を合併するとか、あるいは長期間社会から
隔離されていたなどして、復帰の可能性は絶無といってよい。
「らい予防法」は、まったく無用な法律として1996年4月に廃止された。

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この隔離政策を背景に行われた患者へ対する様々な処遇については、
現在、多くの場所で問題となり、議論されていますが、ここでは割愛します。

会場は両国駅より国技館とは反対方向に歩いて、約5分。
回向院に隣接するビルの1階にある、収容人数200名ほどの小さな劇場です。

【物語】

藤本としは1901年(明治34年)に東京・芝琴平町に生まれました。
女性としての美しさが花咲き始め、縁談がととのった18才の時、
突然ハンセン病を宣告されます。
としははかり知れない衝撃を受けるとともに、絶望の淵に立たされます。
数年後には相次いで両親を亡くし、自殺を図りますが果たせませんでした。
以後、療養所を転々とする間に全身が麻痺し、47才のとき失明。
しかし全身が不自由にもかかわらず、唯一感覚の残った舌を使って点字を読み、
過酷な人生にもかかわらずいつも笑みを忘れず、病友にも慕われます。
1987年(昭和62年)岡山県の国立療養所邑久光明園で死去、86歳でした。

【カンゲキレポ】

今、全国各地で静かに感動を巻き起こしている「知る人ぞ知る」作品です。
久しぶりの東京公演ということで、劇場は補助席が出るほどの盛況ぶりでした。

シアターχは、座席が平間になっていて、傾斜がないので、
今回のように大半の時間、役者が座って演技を進める作品には少し不向きです。
私の座席は6列目。かろうじて役者さんの表情が見えたのでホッとしたのですが、
後方のお客さんはもどかしい思いをされた方も多いのではないでしょうか。

特に後半はずーっと座ったままの演技が続きますので、せめて後半だけでも
山台を用意するなど工夫が欲しいところでした。

***

さて、舞台の感想は、一言で言うと「惹きこまれた」といったところでしょうか。

ひとり芝居を観るのは初めてで、「1時間50分かぁ…退屈しないかなぁ…」
と色々と考えたのですが、気が付いたら結純子のコロコロと変わる表情と
メリハリの効いた台詞、そして言葉の持つ深い意味に惹きつけられ、
あっという間の1時間50分でした。

幕開きは、鮮やかな美しい色彩の提灯を手にした結純子の踊りで始まります。
その踊りも「見せる」ものではなく、あくまでも今宵のヒロイン「とし」の、
無邪気で健康的に育った、幸せな少女時代を象徴しています。

自分にある周りのもの全てが新鮮で、美しくて、楽しかった少女時代。
それは、18歳のある日、突然に幕が引かれます。
ハンセン病(「ハンセン氏病」と表記されることもありますが、ここでは芝居の
サブタイトル通り「ハンセン病」とします)-当時はらい病と言われていました-を
宣告されたとしの、苦難に満ちた人生が始まるのです。

結純子は、としと語り、そしてとしを取り巻く人々を交互に、巧みに演じ分けます。
保養所の生活や、らい病患者として社会から受けた苦難、不自由な自分の身体について、
淡々と語り継いでいくのですが、その口ぶりには社会へ対する恨み、つらみは
全く感じられず、それがかえってテーマの重さを浮き彫りにしています。

47歳で失明したとしは、60歳の時に一念発起して点字を学び始めます。
しかし彼女は既に手足の感覚も麻痺しており、唯一残された「舌」の感覚を頼りに、
点字を習得するのです。このバイタリティには驚かされます。

このお芝居では、もちろんらい病患者が受けた不遇の扱いや、それゆえに
起きる家族との悲哀についても触れられてはいますが、私が印象に残ったのは、
その病状に関する言葉の数々でした。

例えば、こういう台詞があります。(正確ではありませんが…)
「今、私たぶん背中を柱にもたれさせて話をしておりますけれど、
背中は何も感じていないんです。頭がそのように承知しているんです」。

「感覚が麻痺しているから、冬の寒さや夏の暑さも感じないだろうと言われますが、
大変なんですよ。特に夏などは、皮膚が死んでしまっているから汗の出どころがない。
ですから体温がものすごく上がるんです。私は耳と舌の感覚が残っていますけれど、
この舌にどれほど助けられたか知れません」。

これまでは教科書や自治体作成のリーフレットなどで漠然と知識を得たつもりでしたが、
その病状についての言葉を聞いて、あらためてその厳しさに気づかされました。

印象に残っている言葉があります。

「闇の中に光を見いだすなんて言いますけれど、
光なんてものはどこかにあるものじゃない。
自分が光になろうとすること、
それが闇の中に光を見いだすってことじゃないでしょうか」

47歳で視力を失い、またも絶望の淵に立たされたとしですが、
「闇を凝視する」ことによって、自分がこれまで支えられてきた人々、
物事の存在が、光のように見えてきたと言います。

とても深い言葉だと思います。

*****

テーマとしては非常に重いものなのですが、
多くの困難に見舞われながらも全てを受け容れて乗り越えたとしの言葉は、
あっけらかんとしていてながら、とても爽やかに聞こえます。
そのとしの人間性を見事に表現した結純子の力量も見事と言うほかありません。

このような、社会問題を題材に取り上げた作品というのは
上演もなかなか難しいと思いますが、非常に見応えのあるお芝居でした。
藤本としの人生を通じて、そして結純子のひとり芝居を通じて
ひとりの人間が持つ「生きる強さ」を、痛切に感じたひと時でした。

今日のお星さま…★★★☆☆ (山台希望)

ついでにコチラも、ぽちっとな。


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コメント 2

ラブ

一人芝居って見たことがなくて、とろりんさんのように
「退屈かなぁ」なんて思ってました。
行ってみたくなりますね。

ハンセン病、テーマが重いですね。しかも実在の人物
だし。自分がそうなったら…と思うと、生きていけるか
自信さえないです。
特効薬が開発されて、差別がなくなって、徐々に対応
も変わってきていますが、こういうことが二度と起こらな
いように、願うばかりです。
by ラブ (2006-07-14 09:06) 

★とろりん★

ラブさま、こんにちは~。
そうですね、ひとり芝居は本当にたった1人の役者と
対峙するわけですから、こちらの集中力が切れたら
もうコミュニケーションがとれなくなってしまいますから、
難しいと思います。

今回のような、現在進行形の社会問題をテーマとして
扱う舞台はレポを書くのがとても難しいのですが、
心に残った事を書き連ねてみました。
by ★とろりん★ (2006-07-14 09:35) 

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