SSブログ

大蔵流山本会 第44回青青会 [伝統芸能]

2009年9月27日(日) 杉並能楽堂 13:30開演

【番 組】
狂 言
『二千石(じせんせき) (山本則重)
『因幡堂(いなばどう)』 (山本泰太郎)
『佐渡狐(さどぎつね) (若松 隆)

小 舞
『放下僧(ほうかぞう)』 (遠藤博義)
『蛸(たこ) (山本則秀)
『海人(あま) (山本則孝)
『法師ヶ母(ほうしがはは) (山本東次郎)
『御田(おんだ)』 (山本凛太郎) ※休演のため次回に延期


この季節に開催される山本家の若手の会「青青会(せいせいかい)」を拝見してまいりました。小舞『御田』を舞う予定だった山本凛太郎君(花の高校生)が、新型インフルエンザに罹患したそうで、休演。流行病の影響が、じわじわと広がっておりますね。

今回も、狂言3番に小舞5曲(結果的に4曲)とフルコース全開な番組です。終演後はもちろん、山本家当主・東次郎師のお話付き。

実は明日から旅に出ますので、今回は申し訳ないのですが簡単なカンゲキメモとさせてください。あらすじは会で配布されるパンフレットを参考にさせていただきました。



『二千石』
主人/山本則重
太郎冠者/山本則俊


【あらすじ】

都へ行った太郎冠者は、土産話として主人に都の流行歌という「二千石の松にこそ 千歳を祝うのちまでも その名は朽ちせざりけれ」という謡を披露します。ところがそれを聞いた主人は大激怒。

実はその謡は当家で大事にされてきた謡だったのです。家の大事な謡を軽々しく許さぬと、主人は太郎冠者を責め、手討ちにしてやると太刀を振りかぶります。太郎冠者はその姿に、自分がお仕えしてきた先代の面影を感じます・・・。

【カンゲキレポ】

 
血気盛んな若い主人と、先代(主人の父)からお仕えしている太郎冠者との、ほのぼのとした心の交流が温かい1番です。

主人と太郎冠者の年齢がかなり離れているという設定なので、配役でも主人の役は若い演者が、太郎冠者はベテランの演者が務める事が多いとか。今回は、主人の則重に太郎冠者は実父・則俊が務めます。

則重の主人は、まだまだ家を継いだばかりの青年で、若々しい責任感のかたまり、といった感じが最初の出からよく伝わってきました。発声が妙にひっかかるような感じを受けたのですが、気のせいでしょうか・・・。

「家を継ぐ」という事は昔は本当に大事な事で、今よりももっともっと重い意味を持っていたと思います。則重には、その重さをしっかり理解した上で、立場上しっかりしなくては、家来にも威厳を示さなくては、という気負いも感じます。紺地に青緑のラインで網目(だと思うのですが)の文様がくっきりと描き込まれた長裃は、若主人らしい瑞々しさと同時に、彼の背負うものの大きさを暗示しているようにも思えます。

自分の知らぬ間に、お家の大事な謡が都で流行していることを知り、激怒してして太刀を振りかぶるところ。いつもの如く脇正面から拝見していましたら、ちょうど主人を正面から見るかたちになるのですが、型が綺麗に決まっていて、ものすごい気迫でした。こういうのは、型がしっかりできていないと、緊迫感の密度が違ってきますよね。こちらが思わず息を呑むくらいの迫力でした。

***

太刀のように鋭敏な感覚を持つ若き主人をほんわりと包み込むのが、太郎冠者。則俊師のアドは、やっぱり素晴らしいです!この方の無駄のない動きと科白は、シテの演者をいちばん魅力的に引き立てると思います。

先ほども申しあげた、主人が太郎冠者を成敗しようと太刀をふりかぶる場面。脇正面からですと、舞台の手前に座って主人を見上げる太郎冠者の後ろ姿が、その奥に太刀を振り上げた型の主人の正面姿を見るようなかたちになります。

主人が太刀を振り上げたその時、「・・・・・・・・・・・」としばらく間があってから、太郎冠者が泣き出します。聞けば、その主人の姿が、自分が若い頃からお仕えしてきた先代の面影に重なるのだと言います。その言葉を聞いて、思わず泣きむせぶ主人。

テニスのラリーのようにテンポ良い科白の応酬が魅力的な山本家にしては珍しい間の長さだな、と最初は思ったのですが、その言葉を聞くと、先ほどの「・・・・・・・・・・・」の間と、主人を見上げる太郎冠者の背中が印象的です。

自分の命がまさに危機にある瞬間と言うのに、長くお仕えしたであろう先代の事を思い出す太郎冠者。そして、幼い頃からお側で見守ってきた当代の若い主人が、立派に家の主であろうとする真摯な態度に心を打たれて、思わず胸が詰まったのでしょうね。そこに忠勤者で実直な太郎冠者の人柄が浮き彫りになります。

太郎冠者の言葉に、堰を切ったように泣き出す主人も、家を守ろうと気を張りすぎていたところが父に似ていると言われて、思わず心が緩むのでしょうね。きっと、今まですごいプレッシャーだったのだろうな、と感じました。

今でも、則重を見上げる則俊師の華奢な、でも温かい背中を思い出すと、ちょっとうるるっときます。

いつか、則重さんで狂言『武悪』に出てくる主人役を拝見したい、と思いました。出の瞬間から尋常でない緊張感と厳しさで能楽堂を覆い尽くす『武悪』の主人、則重さんならきっと良い舞台を見せて下さると思います。



『因幡堂』

男/山本泰太郎
女/山本則孝

【あらすじ】

大酒飲みの妻をやっとのことで離縁した男は、次こそ良い妻をめとれるようにと因幡堂(京都市に実在する平等寺の異称)に妻乞いの祈願をします。かたや一方的に離縁されておさまらない妻は、一計を案じます。

さて、「西門の一の階に立つ女を妻と定めよ」との夢のお告げを信じた男が西門へ行ってみると、被衣(かつぎ)をまとった女がいるではありませんか。喜んだ男は女を連れ帰り、祝言の杯を酌み交わしますが・・・?

【カンゲキレポ】

泰太郎さん、表情豊かで茶目っ気たっぷりの素敵な舞台でした!!良い意味で色気がにじみ出てきたように思います。

西門に立つ女(自分は離縁した妻)に、もみ手をしながら「あ、あ、あのう、あなたは私の妻となってくださる方でしょうか」と訪ねようとしては恥ずかしさのあまり何度も躊躇する、という場面があります。

「あ、あ、あの、あなた、私のつ、つ、うおおお!!妻なんて恥ずかしくて言えねぇよ!(照)」みたいに、1人で盛り上がってるところの上気した顔が、もう可愛くて!

踊り出したいくらいに嬉しいんだけど、落ち着かないと、という時ありますよね。そういう、ウキウキし過ぎて自分では抑えきれない!という様子が表情にも出ていました。観ているこちらまで、何だかくすぐったいくらいのキュートな喜びっぷり。

本舞台と橋がかりを行ったり来たりして何度も繰り返しては、やっと「妻になってくださる方ですか」と訪ねることが出来て、それに女がうなずくと、軽やかな足どりで本舞台をずいーーーっと前に出てきて「妻になってくれるって!やったあぁぁ!」という時の嬉しさ爆発の上気した笑顔が、本当に嬉しそうで、キュート。

女の正体を知っているコチラ(観客側)としては何とも言えない気持ちなのですが(笑)、それでも、手放しで喜ぶ泰太郎@男の姿に、ついついニッコリしてしまいます。

***

妻を演じたのは、則孝。美男鬘(びなんかづら)を被って女性の出で立ちをしています。菜の花色の地に網干と栄螺の文様(かな?)が入った装束が、やわらかくて美しい。

大酒飲みで男に煙たがられながらも賢くて強い、したたかだけどしなやかに生きる女性、といった風情です。現代に通用するイメージ。でも確かに、すんごい大酒飲みでした(笑)。一気に杯を飲み干して、絶対に男に渡そうとしないんですもの。そんな気の強さも、チャーミングに見えてしまう不思議。

後見は両人の実父・則直師。切戸口からトコトコと出てこられた時は、「何て贅沢な後見なのっ!」と驚きましたが、夏の間、体調を崩されていたご様子の則直師のお元気な姿を拝見出来て、本当に嬉しかったです。

ちなみに、『二千石』の後見は東次郎師でした。・・・後見まで見どころ満載の山本家。でも、演者の皆さんは緊張するでしょうね~。




『佐渡狐』

佐渡の百姓/若松 隆
奏者/山本則直
越後の百姓/山本則秀


【あらすじ】

越後と佐渡のお百姓が、年貢を納めに連れ立って都へ上ります。道中、佐渡島に狐はいないだろうと言われた佐渡のお百姓はそれを認めることができず、思わず「佐渡にも狐はいる」と言い張ってしまいます。いるいない、いるいないの問答を繰り返し、それならばと都の館の奏者(取り次ぎ役)に判定を願う事になります。

佐渡のお百姓はこっそりと奏者に頼み込み、狐の姿や大きさを教えてもらいます。さて、越後のお百姓に狐について問いただされ、何とか答える佐渡のお百姓。奏者へ頼んだ甲斐もあって、佐渡にも狐はいるという判定が出ます。ところが、越後のお百姓が繰り出した最後の質問は・・・?

【カンゲキレポ】

若松の生真面目な芸風が、よくフィットした1番だったと思います。いないものを「いる」と言い張って引っ込みがつかなくなってしまう佐渡のお百姓の頑固な性格と、ひとつひとつのお役をとことん真面目に演じる若松の芸のベクトルがピッタリでした。

一緒に都に上る道連れが出来たと喜ぶのも束の間、自分の故郷を馬鹿にされたような気がして、思わずついてしまった小さな嘘。その嘘を守るためにどんどん大がかりになっていって、最後は結局、すべてがばれてしまう。そこまでのお百姓の心理をきっちり表現できていたと思います。

***

佐渡のお百姓をどんどん追いつめていく越後のお百姓は、則秀。薄紫と白地の段熨斗目の装束がとてもよく似合っていました。若松@佐渡のお百姓が熱くなればなるほど、冷静になっていく越後のお百姓。最後まで落ち着いた出来でした。

それにしても則秀さん・・・めっちゃ痩せはりましたよね?(突如京都弁)

8月の国立博物館教育イベントでも思ったのですが、身体もぎゅぎゅ~っと引き締まって、顔かたちもシャープになられたように思います。あんなに急激にお痩せになって、かえって大丈夫なのかな・・・とちょっと心配になったり。

だからでしょうか、声が通りにくくなってないかな?と思いました。(風通りをよくするために、能楽堂の窓を開けていたからかも知れませんが)

数年前、歌舞伎役者の市川海老蔵丈が大河ドラマで主演した際に驚異的に身体を絞り込んだのが話題になりました。ところが、その為に歌舞伎の舞台では声が全く通らなくなってしまったんですよね。若衆を演じている時など、3階席には蚊の鳴くような声しか届いてこない時もあって・・・。役者さんにとって 「身体づくり」って、本当に難しいものなんだな、と実感したものでした。

則秀さんも、同じようなことにならなければ良いのですが。独特の艶がある、のびやかでハリのある声は若手随一ですから、その声を大切にして欲しいです。山本家だし、大丈夫だと思うのですが(謎)。

***

奏者を演じたのは、則直。この方の鷹揚とした持ち味の芸風は、こういうおっとりとしたお役に合いますね。佐渡のお百姓から「心付け」を手渡され、一応断るものの、「じゃあ、今回だけだよ~」と受け取ってしまうところとか、思わず笑ってしまいました。

この曲では、何と生着替え(?)の場面があります。最初の出は旅装であるお百姓たちが、館に上るにあたって正装するのですが、そのために佐渡のお百姓は後座で、越後のお百姓は橋がかりで、後見の力を借りてその準備をします。

なかなか見られるものではないので、とても興味深く拝見しました。2人がかりで着替えを手伝っておられましたが、手際の良さにうっとりしておりました。


小 舞

『放下僧』
(遠藤博義)


ひとつひとつの型が美しく、きっちりと決まるのはやっぱり気持ちが良いものですよね~。

遠藤さんの小柄な身体が本舞台を所狭しと俊敏に動く姿は、小気味が良くて心浮き立ちました。 


『蛸』
(山本則秀)


捕らえられた大蛸が俎(まないた)の上で料理される苦しみ、僧の回向によって成仏する様子を舞う・・・というちょっと変わった感じの小舞。

則秀さん、装飾のない紋付をお召しになると、やっぱり身体の激変(?)ぶりがどうしても気になります・・・。健康的にお痩せになったのなら全然構わないのですが。(むしろ、その方法を小一時間うかがいたいです)

足の動きがとてもユニークでした。身体は正面を向けたまま足をクロスさせ、そのまま横に移動するという振りは洋舞みたいだな~と。この小舞は正面から見たかったな~。

跳び返りも何度かあるのですが、これは迫力満点。逆に身体が軽くなったからか、床に着地した際の「ドン!」という音が一層クリアーになったように思います。


『海人』

(山本則孝)


扇が!!!扇の扱いが、も~~~う、本当に美しかった!!ため息がでました。

ある場面(入場時に小舞詞章をいただいているのに、どこの場面か分からないのはご愛敬)で、顔の横で扇をくるりと返す振りがあったのですが、その手のなんとなめらかな事!その流麗さに目を奪われました。

この小舞は能『海人』からの一節らしく、主役は女性。だからでしょうか、則孝の小舞にはふくよかな香りのようなものが立ちこめていました。端正な動きなのですが、その一端には柔らかさが残されているような。素敵な小舞でした。


『法師ヶ母』
(山本東次郎)


いやいや、東次郎師ですから。(謎の断言) 言葉は要りません!!

小舞は、舞手(と、言うのでしょうか・・・)がまず最初の出だしを謡い、その後を地謡が謡い継いでいく、という形式で始まります。

若手の方が最初に謡い始める場合は少し緊張感や力みを感じますが、東次郎師は最初の謡いだしから見所の我々を別世界へと誘っていかれます。まったく力が入っていないのに、すごく惹きつけられて、まろやかで優美な気が空間に立ちこめます。

後は、ゆったりうっとり、東次郎師の遊ばれる世界に我々も遊ぶのみ、です。




終演後は、おなじみ東次郎師のお話コーナー。最近、「公開ダメ出し会」のような感じにもなってきております(微笑)。やっぱり、若手の方達の舞台や、見所の反応が心配なのでしょうね~。

今回は、先代が亡くなる前に共演するはずだったという『二千石』の思い出や、小舞の足の運びについて、そして肩衣についてお話くださいました。

特に肩衣についての解説では、肩衣フェチ(爆)の私は、もう大興奮!色々な意匠の肩衣が登場するたびに、「うわぁ、うわあぁ~、うわあぁぁぁ[黒ハート]」と、1人でテンションうなぎ上ってました(←正しくない日本語)。

今回、『因幡堂』では見たことのない肩衣を泰太郎さんが着用されていて、「ん?さらし?」と思っておりましたら、能『砧(きぬた)』をイメージして作られた意匠なのだとか。蒔絵などの伝統工芸では、平家物語や能などのモチーフを意匠に用いたりしますが、狂言装束でもそういう試みがされていたのですね!新鮮な驚きでした。

砧というのは、布をたたいて艶や柔らかさをだす道具です。能『砧』は、都へ上ったきり返って来ない夫の帰りを、砧をあたきながら待ち続ける妻を描いた曲。砧をたたく場面で、妻の情念を表現する場面があります。

そんな女の情念が込められた『砧』の意匠をあしらった肩衣。・・・そりゃ、男が大酒飲みの妻から逃れられないのも納得ですよねぇ(笑)。

『因幡堂』で『砧』をイメージした肩衣は色が付いておりますが、『二千石』で則俊師@太郎冠者が着用した肩衣(萩の図柄があしらわれた、この季節にピッタリの意匠です)は、単色で色がほとんど使われておりません。

東次郎師によりますと、太郎冠者がシテを務める狂言では、色の付いた肩衣を着用するのですが、アドなど主役ではない場合は単色の肩衣を使うのが決まりなのだそうです。なるほど~。またひとつ勉強になりました!

最後に、『佐渡狐』を解説してくださった東次郎師の、穏やかながらも核心を突く問いかけをひとつご紹介します。

「コンプレックスを刺激されて、あるはずのないものを『ある』と言ってしまって、引っ込みが付かなくなってしまった佐渡の百姓を皆さんお笑いになりますけれど、小さなコンプレックスを肯定できる、ないものを『ない』と言うことのできる"小さな勇気"を、果たして皆さんはお持ちでしょうか。そういうことも、この狂言は提示しているんですね。」


・・・確かにっ。出直してきます、東次郎先生ーーーーっっ!!(無駄にダッシュ)(いや、そういうことを東次郎師は望んでないと思いますよ)

そんなとろりんさんが密かに欲しい一冊が、コレ。↓

狂言装束と杉並能楽堂.jpg
『狂言装束と杉並能楽堂』(杉並区刊行物)。詳細はコチラ

どこまでマニアックなんでしょうか、とろりん・・・。杉並区役所に行けば手に入るのかな?(というか、在庫はあるのかしら?)



・・・・・・・・。

「簡単なカンゲキメモ」って言ってましたよね?気が付けば大長編になっておりますけれども(汗)。

今回も、前向きな気持ちをたくさんいただいた「青青会」でした。

杉並能楽堂


nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。