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第九回 落語「東へ西へ」 [伝統芸能]

2013年9月27日(金) 赤坂区民センター 18:00開演

【番組】

開口一番 『牛ほめ』
(古今亭半輔)
『ガールトーク』(古今亭駒次)
『鶴瓶版 かんしゃく』(笑福亭鶴瓶) ※桂春團治の代演

-仲入り-

太神楽(ボンボンブラザーズ)
『居残り佐平次』(古今亭志ん輔)


笑福亭鶴瓶師匠のトーク番組「きらきらアフロ」を見ていると、「鶴瓶師匠の落語、聞きたいなぁ~」という思いがふつふつと沸いてきました。以前、一度拝見した時、バラエティーで魅せる姿とはうってかわったオトコマエな高座での姿を目の当たりにして受けた衝撃を、今でも鮮明に思い出します。

そんな時に今回の落語会を知り、せっかくの機会なので行ってきました。本来は桂春團治師匠がご出演の予定だったそうですが、体調不良のために鶴瓶師匠の代演が決まったのだそうです。


開口一番 半輔 『牛ほめ』

スタンダードな与太噺。覚えた噺を師匠の指導通りにきっちり演じているなぁという印象。師匠譲りのハキハキとした口調とキビキビとした動作で、とても気持ち良い高座でした。

上方落語では、見台(けんだい)・小拍子(こびょうし)・膝隠(ひざかくし)といった独特の小道具がありますが、その持ち運びや組み立ても前座である半輔がしていました。江戸落語では馴染みのない小道具セットですが、半輔はそれをとても丁寧に持ち運び、注意深く組み立てていて、とても好感が持てました。


駒次 『ガールトーク』

半輔とめっちゃ似ている駒次。本人も高座で「先に言っておきますけれども、兄弟じゃございません」と言っていましたが、本当に似ていました(笑)。

新作落語に取り組んでいる駒次は『ガールトーク』。陰口や噂話の大好きな奥様方の会話のボルテージがどんどん上がって・・・最後は小さな社会にも潜む「毒」をちくりと刺します。

駒次の高座は爽やかさの中にも程よい色気。めまぐるしく展開される奥さま方の会話の中にも、ちょっとした目線やしぐさに女の嫌な部分や媚びをかすかににじませて、惹き込まれました。あるある~!そういうの、絶対あるある~!!って、心の底から共感してしまいました(笑)。

そうそう、落語会に行く前に駒次さんのホームページを拝見したら、かなり本気で鉄道を愛しておられるご様子。鉄道好きの私はめっちゃテンション上がりました(笑)。


鶴瓶 『鶴瓶版かんしゃく』

鶴瓶師匠の落語を初めて目にしたのは、10年以上前に放映されていた深夜のバラエティー番組「ざこば・鶴瓶らくごのご」。番組内で、ゲストと観覧者からお題を募って即興で落語を演じる三題噺のコーナーがありました。

突拍子もないお題や、お茶の間で見ているこちらまで唖然とするお題が上がったりすることも多々あったのですが、鶴瓶師匠は毎回淡々と、さらりと三題噺に綺麗に仕立て上げ、その見事な手腕に「このヒトはほんまに頭がええんやなぁ」と感嘆した記憶があります。

師匠の高座を直に拝見するのは、2007年の「大銀座落語祭」以来、実に6年ぶり。(その時のレポはコチラから☆

今回演じられたのは、ご自身の師である松鶴師匠との思い出話をベースにした噺。師匠のかんしゃくっぷりに大笑いし、その影で時おり見せる弟子への愛情と思いやりにホロリと泣かされる噺でした。

鶴瓶師匠の高座は本当に久しぶりでしたが、いや~、シビレました!!

バラエティやテレビ番組で見る姿はお茶目でチャーミングですけれど、高座での鶴瓶師匠って、何とも言えない渋さと凄みがあるんですよ。そして声も落ち着いたハスキーボイスで、めちゃくちゃ良いんですよ~!!思わずドキドキしちゃいました(笑)。

また、最初からテンションを上げて見物を引っ張るというよりは、見物のボルテージに合わせて徐々にテンションを上げて、メリハリつけながらサゲに持って行く感じですね。最初から見物を引っ張っていくのではなく、見物の空気に添いながら乗せていく感じ。その感覚がまた心地よくて、惚れ惚れしちゃいました。

鶴瓶師匠の高座、一度はその目でご覧になることを強く強くオススメします!!


古今亭志ん輔 『居残り佐平次』

客席を巻き込んだボンボンブラザーズさんの楽しい太神楽の後は、トリの志ん輔師匠。廓噺のひとつである『居残り佐平治』を熱演。

貧乏長屋の連中が、佐平次の呼びかけで品川にある豪華な遊郭へ。さんざん飲んで遊んだ翌朝、佐平次は連中を帰すと、廓に「居残り」を始めて・・・?

志ん輔師匠の高座は、ザ・江戸落語という感じ。スッキリとした口跡でスピード感のある高座でした。その疾走感が、最後まで途切れずに持続できていたのはお見事。流石の実力派です。

この噺は、サゲ(落ち)が現在ではあまり使用しない言葉をかけている事から、噺家さんそれぞれにサゲを工夫されているそうなのです。今回の志ん輔師匠は、「先にサゲを説明しておきますねっ」と、あっさり解説。この思い切りの良さと潔さも、志ん輔師匠らしいなぁと思いました。


* * * * *


良い意味で、江戸落語と上方落語の違いを体感できる落語会でした。

最近、たて続けに落語会に行って感じるのは、「聴く」というのは本当にものすごい集中力と想像力を要するのだと言うこと。なおかつ健康に良いとされる「笑い」も提供してくれるのですから、脳にすごく良い刺激を与えてくれるものだなぁと実感しています。

春團治師匠の体調も、順調に快方に向かっているとのこと。上方落語四天王のおひとり、一日も早くお元気な姿を高座で拝見できますように!


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更新情報 [伝統芸能]

横浜にぎわい座「第二十二回 続・志らく百席」のレポをアップしました。コチラからどうぞ。

* * * * *

↓先日のロケ地巡りの際、祖師ヶ谷大蔵駅にて発見。↓
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祖師ヶ谷大蔵駅は円谷プロダクション旧本社の最寄駅だったことから、「ウルトラマン発祥の地」と呼ばれているとか。

駅周辺はウルトラマンが飛んでいる「ウルトラマンアーチ」を筆頭に、ウルトラマンや怪獣たちが彫り込まれている車止め、ウルトラマンが登場する道路案内板などがいっぱいあります。ひとつひとつ見ているだけでも愉快な気持ちになれますよ~☆


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更新情報 [伝統芸能]

「大蔵流山本会 第五十二回 青青会」のレポをアップしました。コチラからどうぞ。

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第二十二回 続・志らく百席 [伝統芸能]

2013年9月5日(木) 横浜にぎわい座 19:00開演

【番組】

志獅丸 『ぞろぞろ』
志らく 『松竹梅』/『崇徳院』/『与話情浮名横櫛 黒澤明バージョン』



関ジャニ∞の横山裕・渋谷すばる君・村上信五の3名がナビゲーターを勤めるNHK総合テレビで放映中の「応援ドキュメント 明日はどっちだ」

まさに「崖っぷち人生」を歩む人々を取材する応援ドキュメンタリーで、ハラハラ・ドキドキすると同時に、三馬鹿トリオ(←関ジャニ∞の年上3人組をまとめて呼ぶときの愛称)の息のあったトークにほっこりする番組です。(←ひいき目)

8~9月に番組で取り上げられているのが、30代後半にして落語家になろうと決心した女性。7月に「立川志ら鈴」という名前で初高座を迎えました。

そして志ら鈴が弟子入りしたのが、立川志らく。

以前は年に数回、寄席に行ったり、どなたかの高座を聞きに行っていたものでしたが(主に桂歌丸師匠)、最近はずいぶんとご無沙汰しています。「懐かしいなぁ~、やっぱり落語って良いなぁ~」と思いながらテレビを見ているうちに、「そう言えば、志らく師匠の落語ってちゃんと聴いたことがないな」という気付いた私。

思い立ったが吉日~☆と言うことで、さっそく高座を聴いてまいりました。

平成16年~22年にかけて、志らくが横浜にぎわい座にて挑んだ「志らく百席」の続編にあたる企画。数年かけて落語を100席、高座に乗せるという試みで、現在は奇数月に開催されているようです。


開口一番 志獅丸 「ぞろぞろ」

前座は志獅丸。さっそく、「明日はどっちだ」をネタにマクラを披露。取り上げられた志ら鈴への差し入れが激増しているらしく、「お前は神様かぁ、なんて言ってるんですけど、こっちは神様が出てくる話でしてね」と噺へさらり。

とある稲荷さんの前で茶店を細々と営む老夫婦。信心深い夫婦は貧しくてもお詣りを欠かしません。そんなある日、夕立があり、道行く人が雨宿りをする傍ら、老夫婦が生活の足しにと編んでいた草鞋も買っていきます。ところがこの草鞋、天井から1足抜くとまた1足、さらに1足引き抜くとまた1足と、ぞろぞろと新しい草鞋が出てきます。これが稲荷の霊験だということで、茶店はあっという間に人気店に。

その噂を聴いた床屋さん、自分の店も閑古鳥だからどうにかして稲荷のご利益にあやかりたいとご祈願へ。数日後、床屋にも人がわんさか押し寄せます。床屋さん、ほくほくしながら1人の客の髭を剃ると、新しい髭が「ぞろぞろ」。

・・・という、不思議でバカバカしい噺。志獅丸はテンポ良く聴かせました。ただ、上下のメリハリがちょっとついていないので、時々「今、誰がしゃべっているのかな?」と一瞬わからなくことがありました。でも、これは高座を聴く事からずいぶん離れていて、自分の感覚がまだ取り戻せていなかったからかも知れません。


志らく 「松竹梅」「崇徳院」「与話情浮名横櫛 黒澤明バージョン」

志らくの高座は、「松竹梅」「崇徳院」を続けてかけ、仲入り後に「与話情浮名横櫛」。

「松竹梅」は、長屋に住む3人の職人の名前に松・竹・梅がついてめでたいと言うことで出入り先の婚礼に招かれた事から起こるドタバタ劇。

志らくはきちんと、松さん、竹さん、梅さんのキャラクターや性格もかいま見えるように噺を進めて、流石です!


続く「崇徳院」は、タイトル通り、百人一首におさめられている崇徳院の歌「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」をキーワードに、若旦那の恋を成就させるべく、熊さんが東奔西走する噺。

「急流の水は滝となって岩に当たり、二つに割れるが、またひとつの流れに戻っていく。同じように、貴女との仲が離ればなれになろうとも、いつかまた2人は結ばれ添い遂げる事ができるはずだ」という、ロマンチックで風雅なこの歌が噺のネタになるとは意外ですが、オチも意外です。まぁ、いつの時代にも恋煩いというのはあったのでしょうねえ・・・(微笑)。


そして今回の注目、「与話情浮名横櫛 黒澤明バージョン」

今は歌舞伎の人気演目のひとつである「お富与三郎」。最初にかけられたのは歌舞伎ではなく高座(講談)だと初めて知って、まず目からウロコ。

現在は十代目金春亭馬生師匠「与話情浮名横櫛」がベースとなっているようですが、「源氏店」以降の展開が歌舞伎で上演されるバージョンとは全く違い、これまた目からウロコ。

落語と歌舞伎の違いについては、下記のHPにて詳しく解説されています。写真もたくさんあって、勉強になるページです。
落語の舞台を歩く 第173話「お富与三郎」

そして今回は、「黒澤明バージョン」でかけるというものだから、みたび目からウロコ。

もとからある噺に、「黒澤明が『与話情浮名横櫛』を映画に撮っていたら」という想像上の設定を設けて、配役もそれぞれきちんと考えて、高座の途中で折々に黒澤らしいカメラアングルや演出手法も解説しながら、一気に駆け抜けた50分でした。

噺に登場した人物は全て実在した俳優・女優さんによるキャスティングがされております。お富=原節子、与三郎=森雅之、赤間源左衛門=三船敏郎・・・だったかな?あとは忘れてしまいました(汗)。

歌舞伎とは違い、恋模様のシーンはあっさり。それよりも、「源氏店」以降の展開に、人間の因果と業の深さ、絡み合う男と女の情念の行き着く果てが強烈にえぐり出されていて、その世界観に圧倒されました。

何度か繰り返される凄惨な殺しのシーンなどは、思わず息を殺してしまうほどの緊迫感。特に、お富と与三郎の最期のシーンなどは、恐ろしいほど静かな表情をした後、ハッと我にかえって半狂乱になるお富の一瞬の心情の変化が激流のように会場を満たし、終わった後はしばらく席を立てないほどの衝撃と余韻でした。

志らくの高座を一言で表現するならば、「気鋭」。全身にみなぎる鋭さと貪欲さは人並み外れています。マクラの端々に師匠である7代目立川談志のことが出てきて、深い敬慕の念が伝わってきました。


* * * * *


久しぶりにどっぷり落語を聴きましたが、すごく楽しいし、耳と頭をすごく使うので心地よい疲労感。集中と緩和のバランスが本当に絶妙ですよね、落語って。

本当は終演後、野毛あたりの蕎麦屋で一杯やりたいところでしたが、翌日も仕事だったのでそそくさと帰りました。なんとも野暮なオチですなぁ(笑)。


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大蔵流狂言 第五十二回 青青会 [伝統芸能]

2013年9月1日(日) 杉並能楽堂 13:30開演

台風と秋雨前線が重なって不安定なお天気の中、訪れた杉並能楽堂。今回も若手の皆さんの熱演を肌で感じる舞台を拝見しました。


素袍落(すおうおとし)

シテ(太郎冠者)/山本則秀
アド(主)/遠藤博義
アド(伯父)/山本東次郎

【あらすじ】

思い立って伊勢参りをすることになった主人は、以前より伊勢に行きたがっていた伯父を誘うため、召使いの太郎冠者を使いを出します。

伯父はすでに予定が入っていたため同行は叶いませんが、太郎冠者も主人の共で行くのだと察し、酒をふるまいます。最初は固辞していた太郎冠者ですが、伯父の心遣いにすっかり感じ入り、勧められるままにお酒をたらふく飲み、したたかに酔っぱらってしまいます。

太郎冠者に伊勢の代参を頼むことにした伯父は、引き出物にと立派な素袍を渡します。やがて伯父のもとを辞し、主人のもとへ戻る太郎冠者ですが、すっかり酩酊して、あっちへふらふら、こっちへふらふら。そこへ、帰りが遅いのを見かねて様子を見に来た主人がやってきて・・・


【カンゲキレポ】

シテの則秀がこの日身につけていた肩衣は、杯いっぱいのお酒の飲みっぷりと太郎冠者の泥酔ぶりが見どころ藍地に旭日の意匠が手がけられた扇や酒樽、杯などが描かれた意匠。

終演後のおはなしでも東次郎師がお話されていましたが、この曲はとにかく太郎冠者の酩酊ぶりが胆(キモ)。伯父に勧められるままにお酒に口をつけていき、特に後半は酒に酔ったハイテンションを持続して演じ続けなくてはいけません。「逆に、演じている自分はふと醒めちゃうこともあるんですよね。そこを醒めないように演じるのが難しい」(東次郎師)。

とにかくテンションの高さを持続させながら舞台を勤め続けるのは、かえって難しい事だと思います。則秀も存分にテンションを上げて泥酔ぶりを演じていましたが、一瞬だけ、「あーっはっはっはっは…はぁ…」と、我にかえった時があり、そこで見所の集中がちょっと醒めてしまったのが残念でした。

フラフラと千鳥足になりながら「酔ってません。地面が揺れているだけです」と太郎冠者が主人に言い張る場面も可笑しくて、微笑ましかったです。「あれも、千鳥足をしようをすると出来なくなるんです。酔っているのに真っ直ぐ歩こうとするから、千鳥足になるんですね。そこが難しいところです」(東次郎師)との話に、見所からはほーっ、と感嘆の声が。皆さん、お心当たりがあるのですね(微笑)。

伯父から贈られた立派な素袍を落としてしまったことに気付いてからの焦りぶりも秀逸。あの、一気に楽しい気分がサーッと
引いていく感覚は、恐怖ですよね…。


語 『姨捨(おばすて)(山本則重)

能の中でも秘曲とされる『姨捨』。それなりのシテ方でも、一生に一度か二度演じられるかどうか、というほどの大曲なのだそうです。

その間語を勤められる最年長が、山本東次郎師。次世代に引き継ぐために、最近の青青会では必ず若手の1人が挑戦しています。

今回、語を披露したのは則重。

前回の青青会でお話した通り、この語では能の部分では語られることのない、リアルで生々しい人間の業を語るため、「声を張ってはいけない」「声を立ててはいけない」と厳しく教えられるそうです。

チーム若手随一の声のハリと艶を誇る(と、私が勝手に思っている)則重、今回はこの持ち前の声のハリに、かえって苦労していたかもしれません。通常の狂言の番組や間語りとはまったく異質のテクニックを要求される語なので、本人は抑えめにしているつもりでも、核心や要所にくるとつい声を張ってしまいそうになっていたように思います。一定のトーンで出来るだけ抑揚をつけず語ると、声の艶も活かされてくるのかな~と思いました。

杉並能楽堂では脇正面で舞台を拝見するのが好きなのですが、今回は橋がかりに一番近い、もっとも端っこに位置を定めて拝見しました。すると、『姨捨』で能舞台中央に座った則重を、ちょうど真横から拝見する形に。

あのね・・・


則重さん、めっちゃカッコ良かったです!!(←突如ミーハー炸裂)


語や謡の場合、演者はまず正座すると、腰に差している扇を抜いていったん床の右側に置きます。そして床に置いた状態のまま、ススッと正面まで扇を滑らせるように移動させて、一呼吸おいてから膝の上に置きます。

その一連の動作が、寸分の隙のない美しさ。そして語を始める直前の一瞬の間合いの鋭さと気魄(きはく)。その空気感にふれて、一瞬のうちに緊張がはしる見所(けんしょ)。

舞台にかける「覚悟」を、演者と観客が共有したかのような一体感と緊迫感でした。

※見所・・・能舞台における客席のこと

いやでも、第五十回の泰太郎、第五十一回の則孝、そして今回の則重と、チーム若手の「姨捨」は全て拝聴しましたが、本当に難しいんだなぁと実感します。


小舞

『鵜飼』
(山本則俊)
『柴垣』(山本則孝)
『弱法師(よろぼし)(山本東次郎)


とにかく、東次郎師の『弱法師』が圧巻でした。

目をつぶり、杖を使いながらスッと能舞台の中央にたたずむ姿は、高貴な身分でありながら、讒言に陥れられ乞食に身を落とし、それでもなお花の香りに感じ入る風雅で純粋な心を忘れない盲目の少年・俊徳丸そのもの。

そして、目を閉じて杖を使いながら、三間四方(およそ5.4㎡)の空間を所狭しと舞うのです。そしてまったく隙のない機敏さ、華麗さ、優雅さといったら…!!極限までに研ぎ澄まされながらも濃密な空間、充実した瞬間に居合わせる事の出来た幸せに涙が出そうなほど感動しました。


茫々頭(ぼうぼうがしら)

シテ(太郎冠者)/若松隆
アド(主)/山本泰太郎



【あらすじ】

召使いの太郎冠者が無断でどこかに出かけた事に激怒した主人は、太郎冠者の家に乗り込んで詰問します。しかし、太郎冠者が都へ出かけたと知り、都の様子を聞きたくて許してやることに。

都見物の途中、道ばたに見事な菊の花が咲いているのを見つけた太郎冠者。それを一輪手折り、髪に差していると、高貴な身分と見える美女から「都には 所はなきか菊の花 ぼうぼ頭に咲きぞ乱るる」と歌を詠みかけられます。「都には所はあれど菊の花 思う頭に咲きぞ乱るる」と返したところ、美女の誘いに乗じて祇園の野遊びに。

ところが誰も相手にしてくれず、靴脱ぎの辺りで待っていてもご馳走もしてくれません。怒った太郎冠者は腹いせに靴脱ぎに置かれていた誰かの草履を持ち帰ろうとして下女に見つかり怒られてしまった、という事まで主人に話し、主人を呆れさせるのでした。


【カンゲキレポ】

和泉流では「菊の花」という名前で知られている曲。上臈から歌を詠みかけられたのに対して鮮やかに返歌を作ることのできる風流な部分と、無視されてご馳走してくれない腹いせに盗みをしてしまうという滑稽な部分の対比が見どころの曲です。

都見物が主題の狂言は、シテの科白が非常に長くて、量も膨大なんですよね。若松は青青会ではよく語り物の狂言をかけています。成人してから狂言の世界に身を投じた若松にとっては、こうしてとてつもない科白量をこなしていくことで、より本物の狂言師としての鍛錬を積んでいるのでしょうね。

東次郎師がおっしゃっていた通り、「鼻をすり越して~」など、科白が時々流れてしまう点は注意が必要だと思いますが、腹の底からしっかりで出ている声はどっしりと力強くて迫力があって、とても素敵です。


蝸牛(かぎゅう)

シテ(山伏)/山本凛太郎
アド(主)/山本則俊
アド(太郎冠者)/山本則孝


【あらすじ】

その昔、蝸牛(かたつむり)は、長寿の秘薬とされてきました。祖父の長寿を願う主人から、蝸牛を探してくるように言いつけられた太郎冠者ですが、実は蝸牛がかたつむりだとは知りません。

「藪に住み、頭が黒く、腰に貝を付け、時々角を出し、年を経た者になると人の大きさくらいになるものもある」と主人から教わって、竹藪を探していたところ、出会ったのはひとりの山伏。修行から帰る途中、藪の中で休息していたのでした。太郎冠者の話を聞いた山伏はおもしろがって、自分こそ蝸牛だと名乗り出ますが・・・?


【カンゲキレポ】

凛太郎、青青会シテビュー!(←ち、違っていたらすみません…)。

今年20歳を迎え、いよいよ山本家の新戦力として実力を積み上げてきた凛太郎。今回は入門編としてもよくかけられる山伏物の『蝸牛』シテを勤めました。

いつ拝見しても感心するのですが、凛太郎の動きは同年代の狂言方の中でずば抜けて完成度が高く、安定しています。

小舞や狂言の型できゅっと片足を上げて静止する動きが多いのですが、こちらが見ていて心配になるほど身体が振られたり揺れたりする姿を、今まで全く見たことがありません。将来が本当に楽しみな逸材です。凛太郎くん、頑張ってね~!!(←もはや親戚のおばちゃん目線)

山伏の「雨も風も吹かぬに 出ざ(ずば)かま(殻)打ち割ろう でんでん虫々・・・」という楽しいリズムに乗って謡い舞ううちに、太郎冠者も主人もついついそのリズムに巻き込まれていってしまうのが、可笑しいですよね~。文句なしに楽しい気分になれる曲です。


* * * * *


お酒に酔っぱらったハイテンションぶりが見どころの『素袍落』、芸の継承という東次郎師の確固たる意志を感じる『姨捨』語り、大量の科白に含まれた都の風情ある情景と滑稽な結末が聴かせどころの『茫々頭』、そしてスタンダードな『蝸牛』、山本家の芸の神髄にふれた『弱法師』をはじめをした小舞。今回も、本当に充実した舞台でした。


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三世山本東次郎五十回忌追善 山本会別会 [伝統芸能]

2013年7月28日(日) 国立能楽堂 13:30開演

「乱れて盛んならんよりは、むしろ固く守って滅びよ」。

狂言の神髄を頑ななまでに守り続ける山本家の特別公演、別会。たいてい、隔年ごとの開催になるのですが、今年は現当主・山本東次郎師のお父上である三世東次郎(1898-1964)の五十回忌追善公演として開催されました。

ロビーには『花子』の装束に身を包んだ三世東次郎の写真が、お花に囲まれて慎ましやかに置かれていました。

三世東次郎師の歩んだ道のりは、そのまま戦後の山本家の歩みにも重なります。常にメインディッシュ勢揃いのフルコースのような番組仕立てになる山本家の会ですが、今回はさらに上回るボリューム。

狂言方にとっては極重習(ごくおもならい)とされる大曲『花子』を三世東次郎師の末孫・則秀が披き、山本家にとっても大変思い入れの深い『二千石』を曾孫にあたる凛太郎がシテを勤め、そして『茶壺』は…と、一曲ごとに山本家の強い思い入れが感じられます。

約4時間15分に渡る長丁場の会でしたが、拝見した後は、何とも言えない穏やかな、そして温かく優しい気持ちになりました。私がこのような事を申しあげるのも差し出がましく、おこがましいことなのですが、「ああ、山本家には未来がある。」そう強く信じられたのです。


『二千石(じせんせき)

シテ(主)/山本凛太郎
アド(太郎冠者)/山本東次郎

【あらすじ】

都見物に行ってきた太郎冠者は、土産話として主人に都の流行歌という「二千石の松にこそ 千歳を祝うのちまでも その名は朽ちせざりけれ」という謡を披露します。ところがそれを聞いた主人は大激怒。

実はその謡は当家で大事にされてきた謡だったのです。はるか昔のこと、「前九年・後三年の役」に出陣した祖先がこの謡を陣中の宴で披露し、八幡太郎義家をおおいに喜ばせました。祖先はその功績によって、お家は「宇多の庄」(=歌)という地名の領地を与えられ、現在の地位を得たのでした。そしてこの謡は、家の大事な宝であると言うことで石の唐櫃に封じ込めて「お止め謡」とされていたはずだったのです。

家の大事な謡を軽々しく扱われては許さぬと、主人は太郎冠者を責め、手討ちにしてやると太刀を振りかぶります。太郎冠者はその姿に、自分がお仕えしてきた先代の面影を感じます・・・。

【カンゲキレポ】

いやはや、初番からすでに目頭が熱くなって困りました(←どんなジャンルの観劇でも全開で感情移入)。

主人と太郎冠者は、かなり年齢が離れているという設定があるそうで、主人は若い演者が、太郎冠者は経験豊富なベテランが勤めることが多いそうです。今回は、山本家の演者としては最年少の凛太郎に、当主である東次郎師による共演。

凛太郎は、まだまだこれからたくさんの舞台を経験していくでしょうし、今はとにかくできるだけ多くの舞台を経験するのが大切な時期。

しぐさや科白は東次郎師や父・泰太郎に教えられたことを必死になぞっているのが見え隠れしますが、今の年齢の彼なら、それは当然の姿です。教わったことを、教わった通りに演じる。それを何十年も繰り返していく中で、しっかりと狂言の「型」が身体におさまるようになり、そこから自然に本来の資質が開かれていき、「山本凛太郎の芸」が確立していくのですから。

とは言え、声も動きもずいぶん安定してきたように思います。特に発声は、彼と同世代の狂言方の中では群を抜いて安定しているのではないでしょうか。ちゃんと「狂言の発声」が出来ています。

東次郎師の太郎冠者は、先代の時代を越えて、若い主人に仕え続ける姿が、凛太郎の過酷な道のりを見守る総帥の姿勢と重なって見えました。その双肩には、これまでの山本家の歴史、先祖が積み上げてきた思い出、そして凛太郎が歩むべき未来すらも背負っているように見えます。

それにしても、私、本当に視力が下がったなぁ…。国立劇場の座席からだと、大好きな肩衣や扇の意匠がほとんど見えず、残念でした。でも今回は、鬼瓦や立浪、芭蕉など、スタンダードな意匠のものが多かったように思います。


『茶壺(ちゃつぼ)

シテ(すっぱ)/山本泰太郎
アド(中国の者)/山本則孝
アド(目代)/山本則重


【あらすじ】

中国地方からお使いで茶壺を手に入れた男。帰路、したたかに酔いつぶれて道の上で眠り込んでしまいます。そこにやってきたのはすっぱ(詐欺師)。高価な茶壺に目をつけたすっぱは、さりげなく男に添い寝して、肩の荷紐を解き、あたかも茶壺が自分のものであったかのように紐を自分の肩に引き寄せます。

さて、男が目を覚ますと、自分が入手したはずの茶壺が見たこともない他人の手に!慌ててすっぱをたたき起こして茶壺を返すように訴えますが、すっぱは自分のものだと言って聞く耳持たず。

男とすっぱが所有権を争っているところにやってきたのが、この土地の目代。騒動をきいた目代は、茶壺の中に入日記(いれにっき:いわゆる商品目録)があるだろうから、その内容を言うようにと2人に申し渡します。男は茶壺の来歴を謡いながら舞いますが、それを盗み見ていたすっぱも、同じようにまねて舞い謡います。そこで、目代が思いついたのは…

【カンゲキレポ】

この曲は、三世東次郎が急逝した直後の1964年、まだ二十代だった現・東次郎、則直、則俊の三兄弟でそろって演じ、芸術祭奨励賞を受賞しました。「失意の中で僅かな光明を見出し、心の支えとなってくれた思い出深い名曲です」と、東次郎師は公演プログラムの中で語っていらっしゃいます。

故・則直の長男・泰太郎と次男・則孝による安定の兄弟共演。泰太郎は父譲りの堅実な芸とお腹の底に響くような迫力ある声で、観客を魅了していました。男の真似をして謡い、舞うすっぱ。目代の提案で男と連舞を舞う事になる時の密かな動揺ぶりと、連舞中の挙動不審ぶりがまた可笑しくて、遠慮なく笑わせていただきました。

則孝も安定感のある舞台。舞にキレがあって、とても素敵でした。

目代を勤めたのは則重。実はこの目代こそが物語の結末を左右するキーパーソン。すっぱと男の連舞を見た後、「論ずる物は中より取れ」という諺があるからと、茶壺を持って逃げてしまうのです。2人が慌てて目代を追いかけて終曲。実は悪徳役人を風刺した狂言だったということが、最後に判明するのですね。

則重は声に張りがあるので、最初は本当に品行方正な目代に見えるんですよ。それが最後の最後に、颯爽と茶壷を取り上げて去って行ったので、一瞬あっけにとられました(笑)。いやぁ、まんまと騙されてしまいました☆


『花子(はなご)

シテ(夫)/山本則秀
アド(妻)/山本則重
アド(太郎冠者)/山本則俊


【あらすじ】

以前、旅の途中で出会った女性、花子のことが忘れられない男。しかし、その花子が自分に会いに都まで来てくれました。便りをもらった男はどうしても花子の元へ行きたいのですが、恐ろしいのは自分の妻。そこで一計を案じて、「持仏堂で一晩座禅を組むから、近付かないように」と申し渡します。

妻が去った後、男は家来の太郎冠者を呼びつけ、自分の座禅衾(ざぜんぶすま)を着せて自分の身替わりに座禅を組むよう命じます。妻の恐ろしさ(笑)を充分に知っている太郎冠者は嫌がりますが、主人には逆らえず、渋々身替わりを引き受けます。

夫の身が心配な妻は、言いつけに背いて持仏堂を訪れます。ところがそこにいたのは太郎冠者。太郎冠者から事のなりゆきを全て知った妻は大激怒。太郎冠者に申しつけて、自分が座禅衾をまとい、男の帰りを手ぐすねひいて待つことにします。

やがて、念願の花子との逢瀬を終えて、男が上機嫌で帰ってきます。座禅衾をかぶった妻をすっかり太郎冠者だと信じ込んでいる男は、酔った勢いで花子との一夜をのろけ始めます…が!?

【カンゲキレポ】

今回のメインのひとつでもあった、則秀による『花子』の披き。

一言で言うならば、「未来が見える『花子』」でした。(←偉そうな表現ですみません)

勿論、まだまだ荒削りな部分、未熟な部分はたくさんありました。花子との逢瀬から帰ってきて橋がかりをゆったりと歩みながらひとりごちるように謡う「独り謡い」の場面は、声の抑揚やメリハリがアンバランスであったり、動きが妙に硬かったり。どうしても若さが出てしまう場面はいくつかありました。

ただ、そういった課題がある分、「この人には、まだまだこれだけの伸びしろがあるのだ。これからも狂言方として大きく成長できる人だ」と確信させてくれるものが、則秀の『花子』にはありました。

これはあくまでも私の個人的な意見なのですが、実はこの2~3年、則秀の舞台には「伸びきった感」を感じていたのですね。何と申し上げたら良いのか迷いますが、どの舞台も、「則秀さんの実力なら、これくらいは出来るだろうな」という予想の通りの良い舞台なのですが、その予想を上回るほど感情を揺さぶられはしない、というか・・・。

少なくとも、それ以前の舞台で見られていた圧倒的な飛躍感が薄れたように思えてなりませんでした。

ただ、それは、ジャンルを問わず「舞台」を生業とし、「芸の道」を歩まんとする者であれば、必ず一生に一度は遭遇し、乗り越えなくてはいけないトンネル-「闇」に差しかかった時期だったのでしょう。

今、まさに彼はそのトンネルの中にいるのだろう、何かのきっかけでそのトンネルの闇を突き抜ける時は必ず来るだろう、彼はそれだけの実力も技量も兼ね備えた人なのだから。そう信じて、則秀の舞台を観ておりました。

そして、この日、静かに、そして見事に彼はその闇をひとつくぐり抜けたかのように思います。

これからも、多くの壁に立ち向かわなくてはいけないことは多々あることでしょう。でも、この日の舞台を勤めおおせた事に自信を持って、これからもひとつひとつの壁に、真っ直ぐに、冷静に挑んでいって欲しいと思います。

このように、若手の成長と奮闘を目の当たりにし、喜びを感じることが出来るのも、別会の醍醐味ですね。

則秀の力演を支えたのが、太郎冠者を勤めた父・則俊と、妻を勤めた兄・則重。則俊は文句なしの安定感、則重も落ち着いた舞台でした。


『文山立(ふみやまだち)

シテ(山賊・甲)/遠藤博義
アド(山賊・乙)/若松隆

【あらすじ】

今日も獲物を取り逃がしてしまった2人の山賊。互いに責任をなすりつけ合ううち、果たし合いをすることに。しかし、相討ちとなって2人とも命を落とした場合の事を考えて、遺書をしたためることにします。内容を考えるうち、感極まってしまった2人は・・・?

【カンゲキレポ】

山本家のお弟子さんお2人による一番。遠藤も若松も、これまでに見られなかった「大きさ」を感じさせる舞台でした。

またまたおこがましい事を申し上げるようで恐縮ですが、きちんと国立能楽堂の空気に呑まれることなく、しっかりと自分たちの空気に変えられていたように思います。遠藤は柔かな空気感が印象的で、若松は師匠譲りの剛健な発声と全力の動きがとても素晴らしかったです。

今や、山本家の貴重な戦力になりつつあるお2人。幼少の頃から狂言を学んでいたわけではなく、社会人になってから狂言の道に入り、大変なことやご苦労も並々ならぬものがあった事と思います。これからもこの曲のように、手に手を取り合って山本家を盛り立てていくとともに、それぞれの益々のご活躍を願っています。


素囃子 『早舞(はやまい)

大鼓/佃田良勝
太鼓/金春國直
小鼓/田邊恭資
笛/藤田貴寛


『祇園(ぎおん)

シテ(太郎冠者)/山本東次郎
アド(主)/山本泰太郎
アド(妻)/山本則俊
立衆(舞手)/山本則孝

立衆(舞手)/山本則重
立衆(巫女)/山本則秀

立衆(鞨鼓打)/山本凛太郎

大鼓/佃田良勝
太鼓/金春國直
小鼓/田邊恭資
笛/藤田貴寛


【あらすじ】

祇園祭で太鼓負の当番にあたった主人は、その役目を召使いの太郎冠者に任せることにします。猛暑の中、重い太鼓を背負う役目は大変なもの。一度は断る太郎冠者ですが、生来の人の良さから結局は引き受けることに。

損な役ばかり押し付けられる夫に不満が募っていた妻は、とうとう離縁を申し出ます。優しい太郎冠者は妻の気持ちを慮って、その申し出をも受け入れます。

祇園祭の当日。どうしても夫の事が気になる妻は、人ごみにまぎれて祭りの列を見学にやってきます。重い太鼓を背負い、汗みずくになりながらも、一生懸命にお役を勤める太郎冠者。その姿を見た妻は、思わず駆け寄り・・・。

【カンゲキレポ】

『祇園』は、大蔵流十三代家元・大蔵虎明(とらあきら・1597~1662)がまとめた狂言台本集「虎明本」にあらすじが記されているのみで、上演された記録がありませんでした。それを、東次郎師が2011年12月の横浜能楽堂特別公演で復曲上演。今回は3回目の上演となります。

お祭独特の高揚感と浮遊感、その中に浮かび上がる夫婦の絆、主人と従者の信頼関係。それらが明確に描かれていて、感動的な舞台でした。

もうね、太郎冠者と妻の姿に心の底から感動。心の中で大号泣。

人の好さを見込まれて、いつも大変な仕事をさせられる太郎冠者。そんな夫の優しさ、人の好さが、妻には不甲斐なく思えてしまう。そういった男女のすれ違い、心当たりはありませんか?

とうとう愛想尽かしをする妻に対しても、太郎冠者は引き留める術を持ちません。それどころか「今は何も用意してやれないが、せめてものこれを」と、さらしの布を手渡します。太郎冠者にとっては、これが妻に対する最大限の愛情だったんだろうなぁと思うと、ホロリ。

そして祇園祭当日。離縁を申し出たものの、こっそりと様子を見に来る妻。賑やかなお囃子と同時に、主人に従い、重い太鼓を背負って歩いてくる太郎冠者の姿に、思わず胸が潰れそうになります(←完全に妻目線)。

祭りの最中も、太郎冠者は列の者だけでなく見物客にも心を配り、道を開けるよう指示を出したり、転倒した人を介抱したり、大忙し。汗だくになりながらも、全力で仕事に取り組んでいる太郎冠者の姿に、妻は心を揺さぶられます。

最後、突き飛ばされて膝をついてしまった太郎冠者にそっと寄り添ったのは、別れたはずの妻。驚く太郎冠者に、妻はそっと、さらしの布を差し出します。そう、妻が家を出る時に、太郎冠者が唯一持たせてくれた、あの布。まじまじとその白布を見つめた後、妻の手にそっと手を重ねる太郎冠者。2人は手に手を取り合いながら、ゆっくりと、しみじみと道を歩いていくのです。


うわーん!!。・゚・(ノД`)・゚・。(←感動のあまり号泣)


現代に復曲されたということ、東次郎師による言葉の選択に工夫もあったかと思うのですが、科白がとても聞きとりやすく、それだけにとても感情移入しやすい舞台でした。

なんといっても、太郎冠者と妻の間に流れる愛情の深さが存分に伝わってきて・・・。そして、その姿が、お父上を亡くされて50年、手をたずさえながら共に長い道のりを歩まれてきた東次郎師と末弟・則俊師の姿とも重なって・・・。

幸福感と切なさが入り交じったような、何とも言えない感情がこみあげてきて、つい涙がにじみました。

本当は、東次郎師の次弟・故則直師にもこの場においでいただきたかった。何度、そう思ったことでしょうか。でも、則直師の姿は絶対に、その日舞台に立っていらした全ての演者、そしてその舞台を見守った全ての観客の心の中にあったことと思います。

連舞や軽業の場面も、祇園祭の雰囲気を充分に伝えていました。若手それぞれのソロパートも充実。則孝と則重の連舞は端正で力強く、巫女の則秀はたおやかな舞(←『花子』からの連投出演、お疲れさまでした!)。
鞨鼓打の凛太郎は、持ち前の身軽さを活かしたキレの良さ。

こうして拝見していると、山本家の充実ぶりが存分に伝わってきます。ああ、山本家は未来に向けて着実に確実に歩を進めているのだな、そう感じることのできる舞台でした。


* * * * *


近年まれに見る、フルボリュームの番組仕立て。まだ晴天の広がる昼下がりに始まった舞台が終わったのは夕暮れに近い時刻でしたが、不思議と疲れは全く感じませんでした。ただひたすら、「未来が見える」舞台に出逢えたことの喜びと感動の余韻に、浸り続けました。


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大蔵流狂言 第五十一回 青青会 [伝統芸能]

2013年4月14日(日) 杉並能楽堂 13:30開演

山本会の若手狂言方やお弟子さんの研鑽の場である「青青会(せいせいかい)」。例年は2月の建国記念日の頃にかかるのですが、今年は2月から3月にかけて杉並能楽堂の耐震強化工事を行ったため、この季節の開催になりました。

建設からすでに100年以上の歴史を誇る杉並能楽堂、なんと2012年度に杉並区の指定有形文化財に指定されたそうです(詳しくはコチラへ→杉並区からのお知らせ)。おめでとうございます!弥栄!!

常時公演が可能な能舞台としては都内最古の歴史を誇る杉並能楽堂。耐震強化工事後は、脇正面付近の窓がすべて壁に造り替えられていました。

休憩時間に脇正面の窓からボーっとお庭を眺めるのがリフレッシュになっていたので、個人的には少々寂しい気持ちもしますが、大好きな杉並能楽堂でこれからも舞台を観ていきたいので、やっぱり耐震工事は大事ですよね!これからも感動が次々と生まれる素晴らしい舞台であって欲しいと思います。


『秀句傘(しゅうくからかさ)

シテ(大名)/山本泰太郎
アド(太郎冠者)/山本東次郎
アド(新参の者)/山本則秀

【あらすじ】

近頃の流行が「秀句(しゅうく…現代で言う駄洒落のこと)」だと知った大名は、自分も秀句を習ってみたいと思い、召使いの太郎冠者に命じて人を探しに行かせます。

太郎冠者が連れ帰ってきたのは傘職人で、傘にまつわる秀句ならいくらでも言えるとの事。しかし、実は「秀句」の意味をよく知らない大名。傘職人が連発する秀句を聞いても、ちんぷんかんぷんで…。

【カンゲキレポ】

泰太郎は紅白の段熨斗目の小袖に黒地に巴紋と荒波の文様があしらわれた裃。東次郎師の肩衣は生成り(クリーム色)地に馬?か驢馬(ろば)?の絵が背中一面に描かれている珍しい意匠でした。私は初めて拝見したかも…。則秀の肩衣は、藍地に矢と鳥(鴨?)の図柄があしらわれた意匠。鳥の図柄がすごくシンプルな曲線であしらわれていて、めっちゃ可愛かったです☆

この後に拝見したいくつかの舞台も通じて思ったことなのですが、やはり「ホーム」として、常に公演が出来る能舞台を稽古場として持つ強みは、何物にも替え難いものがあるなぁ、と。そして、そんな「ホーム」での公演だからこそ、各々の力量や成長の足跡が、鮮烈に見えてくるものだなぁと。今日の舞台は、いちばんにそんな事を実感しました。

泰太郎が演じる大名や主人など、ちょっと意地っ張りで本当は意味などわかっていないのに威張ってしまう役は、「こんなご主人だと大変だな…」と思わされる反面(苦笑)、嫌みがなくて愛嬌があって、ついついフォローしたくなるような一生懸命さがあります。

新参の者が言う事すべてが秀句だと思い込み、その一言一言を面白がっては扇から太刀から、挙句の果てには着ていた小袖と裃まで褒美にやってしまい、裸同然の格好になってしまう大名。最後、裸のまま傘を手に一言、「秀句とは、寒いものじゃな」には、つい吹き出してしまうおかしみと愛しさがこもっていて、とても良かったです。

そんなご主人に仕える太郎冠者を演じたのは、当主である東次郎。こちらはもう曲が手の内に入っている余裕もあるでしょうが、そんなご主人を宥めつつもちゃんと立てる様子に、ご主人への愛情が感じられます。

則秀は、相変わらず声に艶があって良いですね。「骨折ってまいった」「小骨折ってまいった」「神がかり」(←傘に貼ってある「紙」とかけている)の掛け合いに程よいテンポがあって、安心して見ていられます。



語 『姨捨(うばすて)(山本則孝)

能の大曲『姨捨』より、間狂言での語。東次郎師のお話によると、能の部分では語られることのない、リアルで生々しい人間の業を語るため、「声を張ってはいけない」「声を立ててはいけない」と厳しく教えられるそうです。抑揚を抑えて淡々と語られる方が、かえって凄みが出ることってありますものね。

則孝の語は、「声のトーンを抑えないと」という気持ちが強かったからか、ちょっと力が入っていたのが見えていましたね。もともと山本会の若手の中では声が高くて朗々と声を張れる方なので、今回のは結構難しかったのではないでしょうか。でも、語りの調子には切迫感と緊張感がみなぎっていて、思わず聴き入ってしまいました。


『呂蓮(ろれん)

シテ(出家)/遠藤博義
アド(夫)/若松隆
アド(妻)/山本則秀

【あらすじ】

都へ上る途中に出家の僧は、一晩の宿をある家に求めます。僧が部屋で身体を休めているところ、その家の主人がやってきて、食事の支度ができるまで教化(きょうげ=仏教の教えを説くこと)をして欲しいと頼まれます。

僧の話に深く感動した家の主人は、今ここで出家すると言い始めます。最初は躊躇する僧ですが、主人の熱心さについつい調子に乗って髪を剃ってやり、「呂蓮」という法名まで付けてやります。そこへ、食事の支度が整ったと主人の妻が呼びにやってきて…。

【カンゲキレポ】

山本家のお弟子さんお二人による競演。

遠藤は銀鼠色…というのかな、光沢のあるグレーの薄い衣の下に青みがかった薄い緑の小袖、そして薄緑の袴。この青~緑を基調とした微妙な配色が、本当に絶妙で絶妙で…杉並の舞台では装束のコーディネートはたいてい東次郎師が行うと聞いておりますが、今回のこのシックな配色にはハート撃ち抜かれました(笑)。

若松は紺地に白抜きで笹模様(もしくは桐)が背中一面に描かれた意匠。山深い里にある家を想像したのかな?妻の則秀は、目の覚めるように鮮やかな山吹色に草花の文様が縫い取りされている小袖で、とても美しかったです。

さてさて、舞台の方は、お調子者同士が繰り広げるはちゃめちゃ劇、という感じ。主人が出家を希望する流れなんて、完全に「ノリ」ですからね(笑)。ついつい意気投合しちゃって気が付いたら若干取り返しのつかない事になっていた、みたいな展開がテンポよくリズミカルな科白とともに進められていきます。

剃髪して出家した、ということを表現するために、男は舞台の途中で頭巾を身に着けます。若松の頭巾の着け方がちょっと危なっかしく見えたのでしょう。後見で出ていらした則俊師、道具を下げるために舞台の前で出て後見座へ戻る途中、さりげなく若松の後ろを通り過ぎて、「ビシビシ」と片手で頭巾の形をキレイに整えてあげていました(笑)。

遠藤も若松も動きも安定していて、声もふらつきがないし、流石です。山本家にとっては本当に心強いお弟子さん方です。

則秀はこの後、小舞の謡までノンストップで出演。今回は自分がシテを勤める舞台がないとは言え、男性、女性、謡とまったく異なる役どころを勤め切って、まさに大車輪でした。特にこの舞台の妻の役は好きだったなぁ~。夫が無断で出家したと知って激怒する場面は、ややヒステリックに怒り叫ぶ中にもちゃんと女性としてのチャーミングなところが残っていて、上出来でした。


小舞

『名取川』
(山本凛太郎)
『いたいけしたる物』(山本則俊)
『景清』(山本東次郎)


今年、20歳になる凛太郎。そして、70歳代を過ごす東次郎師と則俊師。世代の違う3名の小舞を、同時に同じ舞台で観られるという…

…えええええ!!!Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)(←この凄さを誰かと分かち合いたい)(←でも誰もいない)

思わずひとりで興奮しちゃいました。こっそりと。

まずは凛太郎の『名取川』。

小舞の時は、黒紋付に袴という出で立ちで舞われることが多いですが、今回は凛太郎、ハリのある紺色の紋付を着ていました。これが何とも見事な選択でして、今の時期の彼にしか出せない清潔感と若々しさ、瑞々しさが身体中から溢れ出すようでした。

凛太郎の小舞は、指先までめいっぱい力が込められています。力を入れ過ぎるあまり(もしくは緊張を抑える為)、手にしている扇まで震えているのが、客席からも見てわかるほど。

そんな姿を見ると、こちらもついつい肩に力が入ってしまいますが、今の彼は、変なところで変に力を抜くような小手先の技を覚えてしまうより、どんなお役もどんな舞台も、「とにかく全力を尽くす」という事が大事な目標のひとつだと思いますので、とことん力の入った舞台を見せて欲しいですね。

「名取川」は川尽くしの詞章が有名ですが、中でも「そばは淵なる片瀬川」のところ、能舞台中央でキッとポーズを決める場面は全身に研ぎ澄まされた鋭さがはしって、とても素晴らしかったです。


則俊師の『いたいけしたる物』。

名の通り、「かわいらしいもの、愛らしいもの」の意で、時間的には非常に短い小舞です。なのに、これがまた素晴らしくて…!

もう、ワタシなどが申し上げるのもおこがましい限りですけれども、明らかに計算され尽くした動きなのに、もう計算さえされていないのではと思われるほどに無意識に動く手足、要所要所でここぞという動きをしながらも余分な力を感じさせない軽やかさ。そんな中にもあふれ出る稚気。

舞が終わった後、思わず小声で「…カッコイイ…!」とつぶやいてしまいました(笑)。


そして、東次郎師の『景清』。

扇を太刀に見立てて舞う、というこの小舞。なので振付も、絶対に扇の先端=太刀の切っ先が自分の方へ向かないように考えられているのだそうです。

太刀のお話が出たところで…これは終演後の東次郎師のお話でうかがったのですが、狂言で太刀を用いる場合、鍔(つば)は、絶対に金属でない、と判るもので作るのだそうです。これは、その太刀が「真剣ではない」という意味を持たせるため。観客に恐怖感を与えないための配慮です。そして、「武器には見せても、凶器には見せるな」と戒められていたそうです。

『秀句傘』で見せた情の厚い太郎冠者とは打って変わって、精悍で勇壮な東次郎師のオーラと、研ぎ澄まされた美しくも猛々しい舞に、ひたすら圧倒されました。

凛太郎の小舞を観てから則俊師、そして東次郎師の小舞を拝見すると、無駄のない俊敏な動き、ぶれることのない流麗な足さばきは、気の遠くなるほどに長い年月を経て積み重ねられてきた稽古の賜物なのだ、ということを実感します。

常に鍛錬を積み重ね、全力を尽くして舞台を勤めていく中で、反射的に身体が動くまでに仕種と科白が身についていく。そしてそれを繰り返すうちに、ようやく無駄のない動きと力の加減が身体に浸透していくのですね。そしてそれは、なんと長い歳月を要することか…。

東次郎師や則俊師の姿を通じて、自らがこれから歩まんとしている道の果てしなさを目の当たりにするのは、凛太郎にとっては非常に辛い事でしょう。

歩むべき道の向こうに、求めるべき絶対的な「道標」が厳然として見えている。しかもそこまで到達するには、気の遠くなるような時間と修行が必要である事が目に見えて分かっている…。それはとても過酷なことであると同時に、幸福なことでもあります。


『抜殻(ぬけがら)

シテ(太郎冠者)/山本則重
アド(主人)/山本則俊

【あらすじ】

主人が、ある人のもとへ太郎冠者を使いに出そうとします。その時はいつも、主人は太郎冠者に酒を振舞ってくれるのですが、今日に限って忘れてしまいます。太郎冠者はあの手この手で主人にアピールし(笑)、ようやく主人は酒を忘れていたことに気づきます。

いつもと違う成り行きに、振舞われたお酒をついつい飲み過ぎてしまった太郎冠者。心配した主人が様子を見に追ってみると、案の定、道端で酔いつぶれておりました。懲らしめてやろうと思ったご主人、眠り込んでいる太郎冠者の顔に、鬼の面をつけてしまいます。さて、やっと目覚めた太郎冠者は…?

【カンゲキレポ】

則重の身体能力の高さを満喫できたひととき。白地に紺で勢いよく波濤が描かれた意匠の肩衣も、すごくよく似合っていました。

特にお酒をしこたま飲んで泥酔してからの千鳥足と、面をつけられた自分の姿とは知らず、水面に映った鬼に恐れおののく場面は秀逸でした。

大盃でぐいぐいとお酒を飲みほしていく太郎冠者。最後の方は「飲みっぷりが悪しゅうなった」りするのですが(By主人)、何とか飲み終えて「ふぃーっ」と息を吐き出すところなんて、能楽堂一帯にお酒の匂いが立ち込めたかのような錯覚を起こしましたもの。芸で見せる力、ですよね。

泥酔のまま使いに出てフラフラと歩くうち、石につまずいて転倒してしまい、そのまま眠りこける…という場面。転倒する直前、石につまずいた体(てい)で一瞬身体が浮き上がり、そのまま一気に能舞台の床面に突っ伏せるのですが、これも凄い迫力!

危険のないよう、転び方には細心の注意とコツをちゃんと心得ているのでしょうが、脇正面から見ていると、本当に石につまずいて身体がふわ~っと倒れていく太郎冠者の姿が、まるでスローモーションのようにゆっくり見えて、思わず息をのみました。

これからも、則重にはこういったアクロバット系(?)の曲をどんどん勤めて欲しいものです。でも、怪我だけは気をつけてくださいね~!(←切実)

則俊師は、相変わらず声が素敵でした…。第一声をお聞きしただけで、「ほぅ…☆・:*:・(*´∀`*)ウットリ…・:*:・ 」と惚れ惚れしてしまいます。


*****


終演後は恒例となっている、東次郎師のお話。

前述の太刀のお話や『抜殻』に」まつわる一門の思い出話のほか、どれも示唆に富むものばかりでしたが、「(自然で最も美しい風景とされる)雪月花は、人が浄土の世界を想像した時に思い浮かべた景色なのではないか」というお話が、深く心に残りました。


久しぶりの杉並能楽堂。空気感と言い、能舞台に満ち満ちている気魄と言い、その空間にいるだけで癒されます。私にとっては、パワースポットのひとつかも!?

次に山本家の舞台を拝見できるのは、7月28日(日)に国立能楽堂で予定されている「別会」。

三世東次郎の五十回忌追善公演となるこの舞台。則秀の『花子』披きに、凛太郎と東次郎師による『二千石(じせんせき)』などが上演される予定です。絶対に行くぞー!


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ハゲマス会 第15回狂言の会 大蔵流山本家とともに [伝統芸能]

2013年1月27日(日) 川崎市麻生文化センター 14:00開演

山本家にとって昨年は、東次郎師の人間国宝内定に加え、末弟である則俊師も旭日雙光章をご受章になり、これまで積み重ねてこられた努力と実績が一気に花開いたかのような大躍進の年でした。

その勢いは、新年を迎えても加速を増すばかり。まずは、則俊師の古稀を記念して「三番三」がかけられることとなったハゲマス会の舞台へ駆けつけました。

ハゲマス会自体も、今年で第15回目という記念の公演。郊外のホールで、しかも全て有志による手づくりの会で毎年9割の集客率を誇るこの公演は、今や新百合ヶ丘の新春の風物詩ですね。


『三番三(さんばそう)

三番三
/山本則俊
面箱/遠藤博義

笛/松田弘之
小鼓/古賀裕巳、鵜澤洋太郎、飯富孔明
大鼓/佃良勝

後見/山本則重、山本則秀


もともと『三番三』は、式楽『翁』の中の一部。「千歳(せんざい)→翁→三番三」と舞う事が基本とされているのですが、今回は『三番三』のみの単独上演。

公演プログラムの東次郎師の解説によると、「三番三」には、五穀豊穣を祈り国土安穏を祈る稲の精霊。前半の「揉ノ段」では、青々と力強く伸びて行く水田、そして後半は、黄金色の稲穂をたわわにつけ、心地よい秋風に揺れる稲田を表現しているとか。そしてそれは、日本人ならば誰もが頭に思い浮かべるであろう「豊かな実り」のイメージであり、誰もが願う人の一生の理想なのではないかと・・・。

このように解釈してみると、とても難しく思える『三番三』が、とても身近に感じられてくるから不思議です。

則俊の三番三は、前半は身のこなしが鋭くて、キレがあり、後半は伸びやかに舞われていました。

黄金色に輝く装束の袖を二つ折りにして手に持った後、あるタイミングでその裾をハラリと落とす・・・という振りがあるのですが(う~・・・説明するのが難しい・・・)、この時の裾の落ち方が本当に余韻があって美しくて、まるで舞台の香りがふわりと客席にまで伝わってくるかのようでした。

この、「折りたたんで持っていた裾を落とす」という仕草も、ただパッと手を離せばできるしぐさではなく、手を離すタイミングや速度などで受ける印象が全く変わってくると思うのですね。いつも月の光のようなキレと鋭さで魅せる則俊師が一瞬見せたふくよかな所作に、惚れ惚れしました。


狂言 『千鳥』

太郎冠者/山本則重
主人/山本泰太郎
酒屋の亭主/山本則秀

酒代のツケをきちんと払うまではお酒を渡したくない酒屋と、主人に命令された手前、どうしても酒を持って帰らなくてはいけない太郎冠者の攻防を描いた、気軽に楽しめる1番です。

昔、則秀の太郎冠者に則重の酒屋で拝見したことはありますが(その時の記事はコチラから☆←え!?もう5年も前なの!?ひえええ・・・)、今回は逆の配役。

やっぱりねぇ、若さと勢いで押していた(と本人たちが自覚しているかどうかは定かではありませんが)5年前とは違い、もう安心して見られるようになりました。慣れてしまったという意味ではなく、「曲が手の内に入った」という事なのでしょうね。

仲間を呼び集める千鳥の鳴きまねをする様子や津島神社の祭礼で山鉾を牽く様子を大きな仕草を交えつつ語る場面は、太郎冠者の大きな仕どころのひとつ。則重はきっちりとした動きの中に大きさと優美さを見せ、それを受ける則秀も柔らかく、突っ込むところは隙なく、申し分のない出来。

ベテランの完成された芸だけでなく、こうした中堅・若手の芸が完成されていくまでの長い道のりと成長の様子を見守る事ができるのも、ハゲマス会の魅力のひとつですね。


狂言一調  『おかしき天狗』

山本則俊

太鼓/梶谷英樹


はい出ました、山本則俊バリトンリサイタル!!

詞章を聞きとるのは未だに苦手でまったく出来ないのですが(それもどうだろう)、ひたすら、ただひたすら、伸びやかで張りのある則俊師の心地よい低音に耳も心も委ねて、うっとり☆


狂言 『栗隈神明(くりくましんめい)

松の太郎/山本東次郎
妻/山本則孝
立衆/山本泰太郎、山本凛太郎、山本則秀、若松隆、山本則重

笛/栗林祐輔
小鼓/古賀裕巳
大鼓/佃良勝
太鼓/梶谷英樹

【あらすじ】

京都は宇治・栗隈山にある神明社。おめでたい祭礼の日に、伏見から茶屋の夫婦が出店を開きにやってきます。夫は松囃子の舞が得意なので、「松の太郎」と呼ばれています。

やがて、参詣を済ませた顔なじみの客たちが次々と店を訪れ、夫婦は忙しく茶を点てて出します。ひといきついた後、客の1人が神明社の由来を訊ね、いよいよ松の太郎による松囃子が始まります。

【カンゲキレポ】

東次郎師の芸尽くしを心ゆくまで堪能する1番。

まずは、水差や茶碗など、簡易式の茶道具セットを乗せた天秤を担いで東次郎師と則孝が登場。

先ほど、則俊師の芸風のことを「月の光」のようだと申し上げましたが、東次郎師のそれはまるで「春の風」のよう。舞台に登場されるだけで、何とも言えない馨しさとやわらかな温かさが舞台を、そして客席を包み込んでいきます。舞台に生きる者として究極の位置に近づきつつある人だけがまとうことの出来る、独特の空気感です。

お茶を点てる仕草も流れるように滑らかで美しいこと!

公演プログラムでもおことわりされていた通り、本格的な茶道のお点前ではなく、なるべく短時間で多くのお茶を点てなくてはいけない茶屋独特の簡易的なものですが、柄杓で湯をとって茶碗にさらりと流しいれ、茶筅を使ってさらさらと手早くお茶を点てる所作の連続は、見ているだけでため息が出る美しさです。

そして一番の見どころ、松囃子!胸に羯鼓を装着して打ち鳴らしながら舞うのですが、言うまでもなくお見事!

羯鼓に山本家の紋とか入っているのかしら、とオペラグラスで頑張ってチェックしてみましたが(←邪道すぎる観賞方法)、いかんせん、東次郎師の動きが俊敏過ぎて確認できませんでした・・・(笑)。

東次郎師が舞われる姿を拝見していると、心の底から幸福な気持ちになります。謡の意味がわからなくても(苦笑)、その研ぎ澄まされていながらも春風のように柔らかく温かい空気に満たされた空間を共にしていると思うだけで、自分の心までもが満ち足りていくように感じられるから不思議です。

東次郎師の舞台を拝見できる喜びと、そのめぐり逢わせに感謝せずにはおられません。

則孝もまた、女性らしいたおやかさ、嫋々たる風情が十分に感じられて、上出来。スレンダーな身体に白を基調とした小袖がすごくよく似合っていました。

実はワタシ、則孝の第一声を聞いた時に、思わずプログラムで配役を確認してしまいました。「本当に則孝さんが妻を演じてるの?」って。いや・・・実はその・・・遠目からですと、本当に女性のような雰囲気が出ていて・・・(爆)。

いや、それってむしろ、役柄を完全に把握して全うしていたと言う事ですからね。すごい!則孝さんレベルアップしてる!!って感動しちゃいました(←上から目線ですみません)。

* * * * *

終演後はおなじみ、東次郎師のおはなし。今回は特に、三番三で使用される面(おもて)についてお話をしてくださいました。数百年前に作られたという貴重なものまで見せてくださいましたよ~。こういう時の東次郎師ならびに山本家のサービス精神、大好きです☆

これを観ないと新年が始まった気にならない、ハゲマス会。これからも、ずっとずっと続いていきますように。


* * * * *


ハゲマス会の狂言公演は、上演当日には来年公演の開催概要がほぼ決まっていて、「臨時ニュース」が来場者に配布されます。

来年は、東次郎師屈指の名作「東西迷(どちはぐれ)」がついにハゲマス会に登場!!ワタシにとっては、この『東西迷』を観て山本家に、そして狂言にハマったと言っても過言ではない、思い出深い舞台です。

皆さま、ぜひともお見逃しなく!!


【ハゲマス会 第16回 狂言の会】

★日時★
2014年1月25日(土) 14:00開演(予定)

★会場★
川崎市麻生市民文化センター
(小田急線「新百合ヶ丘」駅)

★番組(予定)★
鎌腹 (かまばら)
東西迷 (どちはぐれ)
蜘盗人 (くもぬすびと)


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横浜能楽堂普及公演 「横浜狂言堂」@ニコニコ生放送 『今参』 『月見座頭』 [伝統芸能]

ひとつ前の記事でもご紹介した、「横浜狂言堂」生放送を自宅PCから観賞しました。

今回の出演は山本東次郎家。番組は『今参(いままいり)』と『月見座頭』、そして山本東次郎によるお話。

『今参』は「今、参った者」、つまり新人とか新参者とかいう意味です。とある大名が新しい召使を取り立てることにして、その面絶にやってきた者とのやりとりをコミカルに描きます。

太郎冠者役の凛太郎くん、もう19歳になったんですって!初めて舞台を拝見したのは6年前の「山本会」。凛太郎くんはまだ12歳でした。あの頃から力強くキレのある動きが印象的でしたが、今では発声も安定感が出てきて、すっかり山本家の戦力となりましたね。

初めて凛太郎くんについてふれたレポはコチラ☆


そして、東次郎師による『月見座頭』。

いや~・・・やっぱりいつ拝見しても胸が締め付けられます・・・・゚・(ノД`;)・゚・ 

拝見したのは2年ぶりですが(その時のレポはコチラから☆)、涼やかな秋の風、澄み切った月明かりの下、人間の心の闇が浮き彫りにされて、ハッと胸を衝かれます。 

* * *

終演後はおなじみ、東次郎師によるお話。座頭の装束から早替わりで紋付に着替えられて、スススーッッと素早く登場するお姿に、うっかり萌えてしまいました(笑)。

今回は『今参』でアド(新参者)が身に着けていた烏帽子について詳しい解説がありました。曲や役柄によって使用される烏帽子も異なるのだそうです。

また、登場人物の新参者について、「『遥か遠国の~』と言っていることから、新参者はおそらく異文化の者だと考えている」という東次郎師のお話には目から鱗がバリっと落ちました。

『月見座頭』については、「一方は五体満足、一方は障がいを持っている。しかし、人間としてまともなのは果たしてどちらなのか、ということを静かに問いかけている作品だと思う」と説明されていました。観るたびに切なくなるし、そして自分の内面にもこういう部分があるかもしれない、と思うとドキッとする作品です。


「横浜狂言堂」のニコニコ生放送は不定期だそうです。今後は横浜能楽堂での能楽公演や特別公演なども生放送されると良いな~と思います。がんばれ、横浜能楽堂!


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ニコニコ動画で生放送!山本東次郎師の『月見座頭』!! [伝統芸能]

今年4月から試験的に実施されている、「横浜狂言堂」のニコニコ動画生中継。

横浜能楽堂で毎月1回、第2日曜日に実施されている狂言の名家による公演「横浜狂言堂」を、ニコニコ動画サイトで生中継で送りするという、伝統芸能の世界ではかなり斬新な試みです。

第1回目の感想は、コチラから☆

結果としては好評だったようで、その後もいくつかの公演が生中継されていたのですが、今回はなんと!山本東次郎師による『月見座頭』が上演されます!!皆さん、これは、これはぜひともご覧いただきたい!!

先日、山本家の狂言公演「青青会」を拝見した時に手にしたチラシで、「そうだった!!今月の『狂言堂』、東次郎先生の『月見座頭』がかかるんだった!!」と気づいたワタクシ。当日券で行こうかな~と思っていたら、見所(能楽堂における客席のこと)で、「今度の横浜は東次郎先生の『月見座頭』ですもの、すぐに完売したそうですよ」という会話が聞こえてきて、がっくり。

まぁ、風邪のなごりで微熱も続いているしな~、体調に自信がないしな・・・今回は諦めよう・・・と、思った時に、ハッと思い出したのです。


「そうだ、ニコ生があるじゃないか!!」


『月見座頭』は、しみじみとした美しい秋の風情の中で、人間の心の深さと二面性を鋭く描いた名曲です。

「座頭」という役柄のため、演者は目を閉じたままで最後まで舞台を勤めます。研ぎ澄まされた動きから舞台に充満する隙のない、凛とした空気感。冴え冴えと降り注ぐ月明かりをも感じさせ、だからこそ、光を感ぜずともせめて虫の音に心を癒されたいと願う座頭の心までも表れるようです。

意外な結末には驚かれるかも知れませんが、「こういうお話も、狂言にはあるんだなぁ」「こういうこと、あるかも知れないなぁ」と言う感じで受け止めていただけると良いかと思います。終演後の「おはなし」で、東次郎先生がさらに詳しく解説してくださる事でしょう(←恐れ多くも人間国宝に丸投げ)。


併演は『今参(いままいり)』。秀句(ダジャレ)好きなご主人が新しい召使いを雇おうとする中で起きる騒動を描くコミカルな曲です。当時の「言葉遊び」を楽しめますよ。


さぁさぁ皆さん、日曜日の午後は、パソコンの前に集合~!チケットをお持ちの方は、横浜能楽堂に集合~!!(←言うまでもない)

ひとりでも多くの方が、山本東次郎師の『月見座頭』を、少しでも「感じて」くださると嬉しいです。


チャンネルはコチラ→http://live.nicovideo.jp/watch/lv105764289

* * * * *

横浜狂言堂 2012年9月9日(日) 14:00開演

【番組】

狂言「今参(いままいり)(大蔵流)

シテ(大名):山本則秀                           
アド(太郎冠者):山本凜太郎
アド(新参者):山本則孝


狂言「月見座頭(つきみざとう)(大蔵流)

シテ(座頭):山本東次郎
アド(上京の男):山本則孝


おはなし:山本東次郎


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