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山本東次郎師インタビュー [伝統芸能]

工夫重ねる意欲尽きず 人間国宝に狂言師山本東次郎さん-共同通信-

YouTubeにて視聴できます。

にこやかな表情を浮かべながら、穏やかな口調で、控えめに喜びを語る東次郎師・・・。拝見しているだけで、こちらまでほのぼのと幸せな気持ちになります。

あらためて、おめでとうございます!


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山本東次郎師、人間国宝へ [伝統芸能]

人間国宝に坂東玉三郎さんら4人 文化審答申 ―日本経済新聞―

文化審議会(宮田亮平会長)は20日、重要無形文化財保持者(人間国宝)に、歌舞伎女形の坂東玉三郎さん(62)=本名・守田伸一、狂言の山本東次郎さん(75)、木工芸の灰外達夫さん(71)、竹工芸の藤沼昇さん(67)の4人を認定するよう平野博文文部科学相に答申した。文化庁は9月にも認定書を交付する。これにより人間国宝は115人、故人も含めると累計336人になる。

重要無形文化財保持者団体の構成員として、伝統歌舞伎保存会(東京)の俳優ら26人、常磐津節保存会(同)の3人、一中節保存会(同)の1人の追加認定も求めた。

文化審はほかに、文化財保存に欠かせない技術を持つ選定保存技術保持者として、城跡などの石垣の解体や修理を行う文化財石垣保存技術の粟田純司さん(71)の認定も答申した。

人間国宝に認定される4人の略歴は次の通り。(敬称略)


【歌舞伎女形】

坂東 玉三郎
(ばんどう・たまさぶろう、本名・守田伸一)

1964年、歌舞伎立役の十四代目守田勘弥の養子になり、五代目坂東玉三郎を襲名。時代物から新歌舞伎まであらゆる分野の女形の技法に精通し、特に世話物や舞踊作品で定評がある。東京都港区在住。


【狂言】

山本 東次郎(やまもと・とうじろう)

大蔵流の三世山本東次郎の長男で、42年に初舞台を踏み、72年に四世を襲名。品格を重んじる山本家の芸風を守りつつ、天性の端麗さを加えた独自の境地を確立した。東京都杉並区在住。


【木工芸】

灰外 達夫(はいそと・たつお)

56年から建具の製作に携わり、木工芸技法を身に付ける。木材の薄板を環状に曲げる技法の一種である「挽曲技法」に優れ、木目の簡素な美しさを生かした気品ある作風を確立した。金沢市在住。


【竹工芸】

藤沼 昇
(ふじぬま・のぼる)

76年から竹工芸作家の八木沢啓造に師事し、伝統的な技法を習得した。作品はおおらかな造形と力強い意匠構成を特色とし、格調高く独創的な造形美が高く評価されている。栃木県大田原市在住。


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坂東玉三郎・山本東次郎が人間国宝に ―演劇ニュース|シアターリーグ―

坂東玉三郎・山本東次郎が重要無形文化財の保持者として各個認定(人間国宝)されました。

文化審議会は20日、歌舞伎女方の坂東玉三郎、狂言の山本東次郎、木工芸の灰外達夫、竹工芸の藤沼昇の4人を、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定するよう文部科学相に答申しました。

歌舞伎女形は1968年3月28日に重要無形文化財に指定されましたが、人間国宝・中村雀右衛門が今年2月に他界したことにより解除。今回、復活指定されると共に、坂東玉三郎がその保持者として認定されます。

重要無形文化財の指定については、『歌舞伎女方は、歌舞伎で女性の役に扮する男優のことで、男性が女性を表現するという特殊な事情のもとに独自の演技術を確立。歌舞伎女方は芸術上特に価値が高く、芸能史上においても特に重要な位置を占め、歌舞伎を成立させる上で欠くことのできないものである』ということが挙げられ、また坂東玉三郎は『伝統的な歌舞伎女方の技法を高度に体現し、時代物、世話物、新歌舞伎、舞踊と、あらゆる分野の主要な女方の役々において、常に美と品格を備えた高い水準の演技を示すとともに、後進の育成や歌舞伎の振興にも尽力している。』ことが保持者の特徴として挙げられています。

坂東玉三郎は、9月は大阪松竹座「九月大歌舞伎」に出演。9月28日から赤坂ACTシアターで「ふるあめりかに袖はぬらさじ」を上演。

一方、狂言は1967年に重要無形文化財に指定。現在は保持者として茂山千作、野村萬、野村万作が認定されており、今回はこの3名に加え、山本東次郎が保持者として追加認定される形となります。

重要無形文化財「狂言」については、『狂言は、能と合わせて「能楽」と総称。いずれも、平安時代の猿楽を起源とし、それぞれ独立した芸能でありながらも、同じ舞台で交互に上演され、互いに影響を与え合って発展。能が仮面を多用する幽玄な歌舞劇であるのに対し、狂言は中世の庶民生活を主要な題材とする、写実的で笑いの要素の多い明朗洒脱な台詞劇として大成された。芸術上特に価値が高く、芸能史上において特に重要な位置を占めるものである。』ということが挙げられ、山本東次郎については『狂言の技法を高度に体現し、剛直、端正で品格を重んじる大蔵流 山本家の芸風を守りつつ、天性の端麗さを加えた円転滑脱な独自の境地を確立するとともに、 後進の育成や能楽の振興にも尽力している。』ことが保持者の特徴として挙げられています。

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玉三郎さん人間国宝に 狂言の山本東次郎さんも 文化審議会4人を答申 -MSN産経ニュース―

坂東玉三郎さんら4人、人間国宝に文化審答申 ―朝日新聞―

文化庁プレスリリース(pdf)

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大蔵流狂言方の山本東次郎師が、人間国宝に認定されることになりました。

どうしましょう・・・あまりにも嬉しくて、この記事を作っている最中も、目に涙がにじんできますし、キーボードを打つ手の震えも止まりません。

東次郎師、本当に、本当におめでとうございます!!これからも、多くの人の胸を熱くさせ、心を揺さぶる舞台を見せてくださいますよう!


東次郎師とともに人間国宝に認定されることとなりました皆さまも、心からお祝い申し上げます。これからもますますのご活躍を、心よりお祈り申し上げます!

ううう、今夜は嬉しすぎて&興奮しすぎて眠れそうにありません・・・。


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春狂言2012 第一日 [伝統芸能]

2012年4月7日(土) 国立能楽堂 14:00開演

京都に本拠地を置き、やわらかく明るい芸風が印象的な、茂山家。

東京を本拠地として、幕府式楽の伝統を受け継ぎ質実剛健の芸を真髄とする、山本家。

茂山家主催公演『春狂言2012』第一日目に、山本東次郎師がゲスト出演。『地蔵舞』のシテを勤めました。

大蔵流というひとつの流派に属しながら、その舞台の質感や芸風は対極にあるようなお家同士。その片方のお家の主催公演の中で、もう片方のお家の当主が1演目のシテを勤めるという、めったにない機会です。


お話 (茂山宗彦)

学生時代から人気に火がついて、若い頃はドラマやドキュメンタリーで引っ張りだこだった宗彦。爽やかな笑顔は健在ながら、良い意味で落ち着きが出ていました。「一生狂言に取り組んでいく」という決意と覚悟がご自分の中できっちりと形を成してきたのだなぁと思います。

この時間では解説をされるのかと思いきや、「(あらすじや解説は)もうお手元のパンフレットに書かれてあることを読んで頂ければそれでええと思いますので・・・」と、あっさり省略。「最近の茂山家」のお話を中心にしてくださいました。

中でもいちばん面白かったのは、宗彦にとっては甥っ子にあたる逸平のお子さんの事。

今年3歳になる逸平ジュニアも狂言に興味が湧いてきているようで、舞台のDVDをせがみ、「まってまって(=舞って舞って)」とパパやおじさんにせがむのだそうです。ところがその希望というのは、野村萬斎さんが舞う「三番叟(さんばそう)」。「まんしゃいしゃんのしゃんばしょう」って言うんですって。可愛い~!

ここで「ふふふっ」と微笑みをもらされた方は、かなりの狂言通でいらっしゃいますね~☆

そう、「三番叟」と言えば各家でも大曲中の大曲。そして茂山家は大蔵流で、野村家は和泉流。お流儀が違うので、演出や細かい決まり事も違うのです。ということは、茂山家の内で、野村家の「三番叟」を舞える人はいないわけです。困ったのは周囲の大人たち(笑)。

どうせなら、茂山家の「三番三」を見てほしい…(※大蔵流では「三番三」と表記します)ということで、「ウチの三番三、見よな~」とやんわり誘導を試みるのですが、「いやや、やっぱり、まんしゃいしゃんのしゃんばしょうがええ」と、頑なに主張。大人が根負けする日々が続いているようです(笑)。

そういえば!

東次郎師の大甥で、今や若手狂言師の第一歩を歩み始めている凛太郎も、幼子の頃から「三番三」にものすごく興味を持って、「シャンバショウ、シャンバショウ」と言いながら
録画を繰り返し見ていたというお話を、『山本会 別会』のプログラムで読んだことがあります。東次郎師が鈴を作ってあげると、嬉しそうに振りかざして舞台を駆け回っていたとか。

三番三は特に物語もなく、祝舞的な要素がとても強いのですが、力強い足踏みとか鈴を振るしぐさなどが、幼い子どもたちの目にはとてもカッコ良く写るのでしょうか?まだ理論を組み立てる能力を育む前の段階にいる子どもの心を奪うのは、感性に強く訴えかける感覚的な力なのでしょうね。


狂言 『鶏聟(にわとりむこ)』

舅/茂山千五郎
太郎冠者/鈴木実
聟/茂山茂
教え手/松本薫
地謡/茂山あきら、茂山宗彦、丸石やすし、増田浩紀

茂山家の舞台を拝見するのは2度目。しかも初見は『狂言風オペラ フィガロの結婚』という異色の舞台でしたので、狂言をきちんと拝見するのはこれが初めてです。

舅に挨拶するときの流儀を面白半分に教えられてしまった聟。鶏のまねをしながら挨拶してくる聟に気を遣って同じように鶏の真似をする舅のコミカルでシニカルな掛け合いが見どころです。

茂は勢いの良さが裏目に出たのか、力任せに声をだしているような印象を受けました。張り切って声を出しすぎているために、聴いているこちらはウワンウワンと耳鳴りが鳴るように響くんですね。せっかくの科白が聞き取れず、残念でした。発声がきちんと出来ているのは素晴らしい事ですから、後は、「空間の大きさ」に合わせて声量をコントロールできるようになると良いですね。

千五郎はさすがの手堅さ。発声も抑揚がきちんとつけられていて、心地よい低音が耳に気持ち良かったです。「
殿はきっと、心ない人に嘘を吹き込まれてああいう動きをしているんだ、だからお前も絶対に笑ってやるな」と、召使いの太郎冠者に言い含めるところなどは、突然の事態に戸惑いながらも舅としての思いやりをきちんと見せていて、素晴らしかったです。


狂言 『地蔵舞』

出家/山本東次郎
主人/茂山あきら
後見/茂山千五郎

さぁ、やってきました!(とろりん的に)本公演のメインディッシュ!

配役をご覧いただければ一目瞭然なのですが、山本家からの出演は東次郎のみ。

例えば、お家同士の他流試合でしたら「この曲は茂山家、この曲は山本家」という感じで、曲ごとにそのお家の演者で固めるという形式は観たことがありますし、国立能楽堂25周年記念公演の際には『唐相撲』に茂山家と山本家から複数の演者が出演しましたが、シテだけを別のお家の当主が勤める、という形式を観るのは初めて。

茂山家のファンの方々に、東次郎師の舞台はどのように映るのかしら・・・と、ドキドキしながらの観劇。スリリングでありながら、とても胸躍る一幕でもありました!

旅の途中、一夜の宿を求める修行の僧。主人に一度は断られますが、機知に富んだ意趣返しで気に入られ、泊めてもらえることになります。お酒を酌み交わした僧と主人は意気投合、謡えや舞えやの陽気な酒盛りが始まります。

アドを勤めるあきら師が、この曲のシテ(=主演)である東次郎師のやりよいように、師の
テンポやリズムに寄り添って舞台をお勤めになっていた様子が見えて、とても胸が熱くなりました。

軽妙洒脱な茂山家の舞台と重厚で緻密な山本家の舞台。お互いがお互いの個性を主張しようとすれば空中分解しかねないのですが、お互いの個性を尊重し合う事で、静と動の空気感が見事にマッチして絶妙な緊張感のある舞台となりました。その緊張感がたまらない!みたいな(笑)。

東次郎師の出家は、旅を続けてきたとわかる、揚幕から出てくる際の厳しい表情と、宿を得て、主人に酒をふるまわれてすっかり陽気になる表情やしぐさの切り替えが味わい深いです。「お酒は飲んではいけませんが、吸うぶんには構いませぬ」とか、お茶目な言動に笑いが止まりません。

酒盛りが進むうち、すっかりうち解けたご主人に舞を所望され、「舞は不調法でござる」と言いつつも、ひとさし舞い始めるとその圧倒的なキレの鋭さと端正すぎる動き!さすが東次郎師・・・。揺るぎない安定感に感動してしまいます。

後見は茂山家当主、千五郎師。空気のように自然で安心感のあるたたずまいが印象的でした。


狂言 『首引』


鎮西に縁りの者/茂山宗彦
親鬼/茂山千三郎
姫鬼/丸石やすし
眷属鬼/松本薫、増田浩紀、鈴木実、茂山茂
後見/茂山あきら

最後の曲は、イケメンと、かわゆい姫鬼と、娘のことが可愛くて仕方ない親鬼とゆかいな仲間たちのお話しです(笑)。

鎮西というのは、剛腕・強弓で知られた源為朝のこと。その血筋の者ですから、もちろん顔だけでなく力も相当なもの。その男が上洛途中に鬼に遭遇。男の美男ぶりに、鬼は自分の娘である姫鬼の「食い初め」の相手にしようと思い立ちます。

男は「腕押しに負けたら食われましょう」「脛押しに負けたら以下略」などと申し出ますが、剛腕を誇る鎮西の血をひくだけあって、ことごとく姫を打ち負かしてしまいます。そこで親鬼は手下の鬼も総動員して「首引」の勝負をすることに。

この何とも言えないにぎやかさと明るさが、良いですねえ☆(←出だしは若干おどろおどろしいのですが)

首引の場面は、白いひもをまるで電車ごっこをするように首にかけて、親鬼の「ひけや~、ひけや~、鬼ど~も~」という音頭で能舞台を練り動くのですが、その陽気さがまた楽しい曲です。時々、「姫は肩が弱いぞ」と言いながらさりげなく
加勢しようとして若者に振り飛ばされている親鬼がまたラブリーでした(笑)。鬼だの人間だの種族など関係無しに、親というのは、子どもが可愛いものなのですね~。


* * * * *

満開の桜の季節、ゆうらり柔らかな気持ちで楽しめた舞台でした。茂山家の皆さん、お疲れ様でした!


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ニコニコ動画で生中継!「横浜狂言堂」 [伝統芸能]

意欲的な能楽公演を行うことで有名な横浜能楽堂の人気企画、「横浜狂言堂」が、ニコニコ動画で生中継されました!

これまで、能楽公演の舞台中継はNHKが放映してきましたが、平成24年度から能狂言関連の番組はほとんど放映する機会がなくなるそうです。そこで横浜能楽堂と協議の結果、「横浜狂言堂」を試験的に生中継することが決まったとか。

前日にお知らせを聞いて、さっそく「ニコニコ動画」へアカウント登録。そして本日、13:30頃にサイトを開いてみると・・・

横浜能楽堂キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!

カメラは正面上手に固定してあるようで、能舞台から橋がかり、揚幕までが一望できるように設置してあります。初めて能舞台を観る人には遠く感じるかもしれませんが、実はかなり計算されて設置された絶妙なカメラ配置でした。

「横浜狂言堂」は、毎月第二日曜日を「狂言の日」と定めて、狂言だけの公演を行う企画。出演者も各流派の名だたる有力者が出演します。演目2本+解説というコンパクトな構成なので、初心者でも気軽に楽しめる公演です。

ニコニコ動画って、番組を見ながら視聴者がコメントを書き込めて、それが画面に流れるんですね。これ、本番も入ってくるのかなぁ・・・そうすると気が散って困るなぁ・・・と思っていたのですが、「コメントを非表示にする」というボタンを発見してひと安心。

開演前は視聴者のコメントを読んでいましたが、結構まだまだ知られていない事ってあるんだなぁ、と思いました(←ワタシも修行中ですけれども)。「建物の中に屋根があるって変な感じ」とか、「流派って東西で違うの?」とか。

番組は、『船渡聟(ふなわたしむこ)』と『鎌腹(かまばら)』。

『船渡聟』は、東次郎の船頭、泰太郎の舅、遠藤博義の太郎冠者、則秀の聟。

さすが山本家、科白がしっかり聞きとれます。手に棹を持って船を漕ぎだす時の東次郎師の動きのキレと美しさは、圧巻です!そして、狭い船の上で酒盛りとなり、酔っぱらって舞を舞う則秀も端正な動き。「船の上で舞う」設定なので、目には見えないけれど、足の動きが絶対にあるラインからは外れないんですね。さすがですわ。

『鎌腹』は、則俊の夫、則重の妻、則孝の仲裁人。

則俊師と則重さんのコンビでかかる『鎌腹』は一度拝見したことがありますが、やっぱり面白いですね!冒頭から始まるドタバタからして、楽しい予感しかしません(笑)。

休憩時と、番組終了後の東次郎師によるお話は、コメント表示を復活。東次郎先生の解説はわかりやすく意味が深いことで定評があるのですが、実際に初めて御覧になる方にはどんな風な印象を持たれたのかな、と気になりまして。

「乱れて盛んなるよりも、固く守りて滅びよ」を家訓とする山本家。その質実剛健で誠実な舞台は、どんな風に感じられたのかな・・・と心配しておりましたが、前半終了後の休憩時には「品の良い笑い」「古典芸能とは思えない面白さ」「すごく面白い」とのコメントがあふれて、山本家ファンとしては誇らしい気分に(笑)。

東次郎師の解説は、上演した番組についての補足と、狂言の装束のひとつ「段熨斗目(だんのしめ)」について詳しくお話してくださり、最後は小舞「道明寺」で締めくくられました。

解説も、いつもながらに為になるお話ばかりで、視聴者コメントも「ほおほお」「なるほど」「奥が深い」などなど。その時、ある質疑応答で東次郎師が『船渡聟』の船頭の動きを再現することに。腰に差していた扇をパチンと広げ、それを棹に見立てて東次郎師が船を漕ぐ型を始めた瞬間、

「おー」
「おおお」
「おおおおおおお」
「うおおおおおおおお」
「いきなり空気変わった」

という言葉で埋め尽くされておりました。いや・・・確かにあの動きは、一瞬にしてガラッと変わった空気感は鳥肌立ちました。ああいう空気の動きが、能楽堂を飛び越えてパソコン上でも感じられるなんて・・・!

そして、小舞 「道明寺」・・・!

久しぶりに、東次郎師の小舞を観たーーー!!!っという興奮と、ああ、これを観られるのだったら横浜能楽堂に行けば良かったーーーーっっ!!!という反省の思いが入り混じっておりました(笑)。

ひとつひとつの動きに柔らかさと鋭さが秘められていて、これ以上にないくらに型が極まっていて・・・それでいて流れるように美しくて揺るぎがなくて。小さな画面を通して観ているだけなのに、涙が出てきそうになりました。

そうしたら、「(小舞を観ていたら)なぜか涙が出てきた」というコメントがアップ。密かに「おお、同志・・・」と勝手に一体感を感じてしまいました・・・。

船を漕ぐ型で感嘆の声があふれたコメント欄ですが、小舞の時も視聴者の皆さん、一気にテンションが上がり、「おおおおおおお」「凄い!」というコメントが連投されて、嬉しかったです。わかるでしょ、東次郎師の舞台でテンションが上がる気持ち、わかるでしょ!!東次郎師の小舞って、観てるだけで涙出てくるぐらい、本当に凄いんだから!!(←あっ、もちろん舞台も全てが大好きです!)(←どさくさにまぎれて暑苦しい告白)

終演後は、「能楽堂に行ってみたくなった」「文化の神髄に急接近した気持ちになれた」「ありがとう横浜能楽堂」等のコメントが。初めての試みとしては、大成功だったと思います。

カメラアングルやマイクについては今後も工夫の余地があるでしょうが、ワタシとしては、揚幕~橋がかり~本舞台が見渡せる今のアングルで構わないので、もう少しだけアップにしてもらって、後は画質が鮮明になると良いなぁと思いました(←マイPCの性能の問題かしら・・・)。

来月の「横浜狂言堂」は、大蔵流茂山家による出演。お家によって舞台の雰囲気も芸風も全く変わるので、ぜひ来月も生中継をして欲しいと思います!


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第十八回ルネこだいら 新春 能・狂言鑑賞会 [伝統芸能]

2012年1月29日(日) ルネこだいら大ホール 14:00開演


2年ぶりに山本家の『唐相撲』が見られるということで、急きょチケットを取って行ってきました。



解説/児玉 信 (石川県立能楽堂邦楽プロデューサー)

この日の番組のあらすじや詞章の説明などに耳を傾けながら何気なくプログラムの解説文(能楽プロデューサー・旅川雅治氏による)を読んでいたのですが、ある文章に目が釘付け。
(↓カッコ内はとろりん補足)



四世(現・東次郎師)は、この曲(『唐相撲』)のために、専用の装束・小道具・被り物・作り物を長期に渡って、令夫人と製作した、その相愛の結果が本日も舞台に輝く。


・・・・・・ヾ(≧∇≦)ノ"きゃああぁぁぁあ~~っっ[黒ハート]


奥様と一緒に舞台道具をお作りになるなんて、東次郎先生ってば!!なんて、なんて微笑ましいの!なんて仲睦まじいお2人なの!なんてラブラブなの~!!もう、こういうところが大好き過ぎるよ山本家!!

解説の時間をすっかり忘れて、同行者と2人、お互いにつつきあって悶絶してしまいました(笑)。
キャァ♪~(/≧∇)/\(∇≦\)~キャァ♪

ご、ごめんなさい児玉さん…。


仕舞 『融(とおる)

高橋 忍

地謡/金春憲和、辻井八郎、井上貴寛、中村昌弘


この公演では能と狂言が一番ずつかかるののが通例だそうですが、今回は東日本大震災被災地への手向けとして、仕舞が加えられました。源融伝説をもとにした曲で、融が奥州塩釜で生活を送った日々を思い出しながら月下に舞う・・・という曲。

金春流の実力派、高橋忍の舞は一分の乱れもなく隙もなく、きっちりと美しく端正です。その高橋を盛り立てる地謡も力強くて聞き惚れます。


能 『猩々(しょうじょう)

猩々/山井綱雄
高風/村瀬 慧

大鼓/佃 良勝
太鼓/梶谷英樹
小鼓/住駒充彦
笛/竹市 学

後見/本田芳樹、中村一路

地謡/本田布由樹、辻井八郎、金春憲和、高橋忍、中村昌弘、井上貴寛


「猩々」というのは海中に住むとされる架空の存在。酒好きなので顔がいつも赤く、幸せだから表情はいつも微笑みを浮かべています(面も、ふわりと穏やかな表情)。赤を基調にした装束に赤頭(赤色の髪をしたロングヘア鬘)という拵えです。

猩々に扮するは山井綱雄。持ち前の華やかさと美しい手指の動きに見とれます。「菊をたたえて夜もすがら」という詞章の通り、満開の菊の花々をあしらった上品で優雅な装束を身にまとっています。

猩々はとても陽気な性格で、お酒を飲んで気持ち良くなると、友人となった酒売りに汲んでも汲んでも尽きることのないs酒壺をプレゼントします。ふわふわと宙を舞うような足の動きと、所作板にドン!と足を落とす時の安定感のバランスが絶妙。それでいて上半身の動きは滑らかで、本当にお酒に酔って楽しそうに踊っているような風情です。

短い時間の中で、明るく晴れやかな気持ちになれる曲でした。


狂言 『唐相撲(とうずもう)

帝王/山本東次郎
日本人/山本則重
通辞/山本泰太郎
髭掻/山本則俊
唐人/山本則孝、山本則秀、山本凛太郎、若松隆、平田悦生、鍋田和宣、山本修三郎、荒井豪、寺本雅一、水木武郎、渡邊直人、江橋翔太、大河原敬、斎藤宇宏、古川昭浩、武田泰我、武田空我

後見/遠藤博義

笛/武市 学
小鼓/住駒充彦
大鼓/佃 良勝
太鼓/梶谷英樹


【あらすじ】

唐の帝王に長年お仕えしていた日本人の相撲取り。ある日、故郷に帰ろうといとまごいを願い出ます。相撲好きな帝王は、彼が帰国する前にもう1度だけ相撲が見たいと所望。日本人と帝王の臣下たちによる取り組みが始まりますが、臣下たちはそろいもそろって負け続き。ちょっとズルをしたり、大勢で取り組んだりとあの手この手を遣いますが、日本人に勝てる気配はありません。業を煮やした帝王は、自らが取り組みに参加すると言い出して・・・。

【カンゲキレポ】

拝見するのは2年ぶり(そのときの記事は
コチラへ☆。取組の様子も事細かに記しています)。

しかも今回は、東次郎師がシテ(帝王)をお勤めになるということで、いや絶対はコレは観ておかないとダメでしょう。約二百番ある狂言の曲の中で30名近くの人物が登場するのは、この『唐相撲』だけです。

まずは、橋がかりから帝王の座る玉座が運ばれてきます。これが折りたたみ式で、定位置で広げると見事に天蓋つきの玉座が出来上がるから驚き!客席からもどよめきが起きていました。

下手をしたらおふざけ感じ丸出しで賑々しいだけに終わってしまいそうな『唐相撲』ですが、質実剛健な舞台が真髄の山本家にかかると、やはり質実剛健な『唐相撲』でした(笑)。おもしろみがないとかそういうことではなく、ひとつひとつの科白やしぐさを崩すことなく仕上げていて、その中できっちりとおかしみやおもしろみ、笑いを引き出してくることができるのは、山本家だからこその力です。

日本人は、波に千鳥文様の装束がとても爽やか。唐人たちはカルサン袴や鮮やかないろどりの帽子などを身につけたり、華やかに装飾された槍や笠などを手にしていて、舞台は一気に異国ムードに。相愛の結果、輝いてる・・・[黒ハート]

20人超の臣下を連れて帝王が登場するのですが、この大きさ、大らかさ、立派さは東次郎だからこその「気」。特に橋懸りに登場直後、帝王にかざした笠を小刻みに動かし、それを合図に帝王が橋がかりから正面に直ってさっと装束を裾を広げて、また元に戻るのですが、この一瞬の動作に何とも言えない「気」を感じました。全ての空気を支配してしまうような、まさに帝王だからこその「気」。さすが東次郎師!

さてさて、いよいよ相撲が始まります。通辞(通訳)を勤めるのは泰太郎。唐人には「唐韻(とういん)」という日本語ではない単語で呼びかけます。

最初の取り組み相手は・・・「ソクシュン、ライライ!」

厳かな足取りで舞台に進み出てきたのは、則重の父でもある山本則俊。・・・ああ、「ソクシュン」!(笑)。則重は、軽く上手投げで勝利。

2番手は・・・「チャンリン、ライライ!」。ちゃ、ちゃんりん・・・?

舞台奥からスススッと進み出たのは、泰太郎の息子、凛太郎。・・・ああ、「凛ちゃん」ね!!(笑)

続いて「ソッコウ、ライライ!」と呼ばれたのは則孝。側転してどすんと倒れ込んでました。

そして大一番は「ソクシュウ、ライライ!」。日本人の弟、則秀が相手です。

がっぷり四つに組んで、長時間の取り組みになりそう・・・という空気になった瞬間、通辞がめっちゃイイ声で一言、「ニュースイ!!」。これには大爆笑。「水入り」の事ですよね☆

力水を飲ませてもらって、再度の取り組みとなった時も、手の位置とか足の位置とかにものすごく神経を配る通辞がラブリーでした(笑)。

7組目で再び呼ばれたチャンリン、「ブロウ(←おそらく、水木武郎)」と一緒になって日本人にくってかかるのですが、手足がもつれてごろんごろんを橋がかりを回転していき、揚幕の中へ消えていきました。勢いが弱かったのか途中で止まりそうになってしまって、則重がさりげなく押してやってました(笑)。

そんなこんなで、唐人たちは全滅(笑)。いよいよ帝王が自ら相手をしようと言いだします。

畳一畳くらいの玉座の上で、ひとさし舞う帝王。このゆったりとした動きも、裾をひとふりするだけで晴れやかで厳かな空気が辺りに充満していくよう。東次郎師の舞は見ているだけで幸福な気分になります。

舞い終えると、おもむろに生着替え開始(笑)。装束を脱ぐと、その下にはきちんとカルサン袴を着用。帝王・・・最初からやる気満々だったんですね☆

いざ対戦、と日本字人が取り組もうとすると、帝王と通辞の激しい抵抗にあいます。「え?え?どうしたの?」と思っていると、何でも「玉体に直接ふれるな!」とお怒りのご様子。・・・それじゃ相撲が取れないじゃん!(笑)

そんなわけで、帝王の上半身に荒菰を巻くことになるのですが、ここで思い切り躊躇する帝王(笑)。かわいい・・・☆

長いひげをお腹に垂らしたままで荒菰を巻いてしまったので、その髭を外へ出そうと登場するのが、髭掻。どんな働きをするのかは・・・ご想像にお任せします(笑)。だって、面白すぎてどう説明したら良いのか、わからないんですもの!

いろいろあって、ようやく日本人との取り組みが始まるわけですが、帝王を負けさせるわけにはいかない臣下たちは突き飛ばされそうになる帝王の体を後ろから支えたり、倒れないようにしたりとてんやわんや。てんやわんやの雰囲気の中で日本人は退出させられ、帝王は臣下たちの手車に乗って、意気揚々と引きあげていきます。

・・・ああ、このおかしさ、文章ではまったく伝わりません・・・(笑)。あれだけ騒然とした空気になりながら、退場する時はめっちゃくちゃ荘厳な空気に舞い戻るんですよ!その変わり身の早さ(?)が、面白くておかしくてたまりません!

あ~、今回も本当に楽しくて幸せな舞台でした!

前回は麻生市文化センター、今回はルネこだいらと、これまで『唐相撲』を拝見したのはホールでの舞台ばかり。今度はぜひ、能舞台で上演される『唐相撲』を拝見したいなぁ。30名の出演者が登場して、三間四方(約5.5メートルの正方形)の舞台にぎゅう~っと座ったら、一体どんな風なんだろう?想像するだけで楽しくなってしまいます☆

実はこの『唐相撲』、演舞場の三月大歌舞伎でもかかるのですよ!(→公演情報はコチラ☆

菊五郎丈が日本人、左團次丈が帝王の役とか。イキの良い菊五郎劇団のこと、取り組みの様子がよりパワフルでダイナミックになりそうな予感です!

* * * * *

北風が強く吹いてとても寒い1日でしたけれど、『猩々』で陽気な明るい酒に酔い、『唐相撲』で晴れやかな気分になりました。あ~、幸せ!!


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ハゲマス会 第十四回 狂言の会 大蔵流山本家とともに [伝統芸能]

2012年1月22日(日) 川崎市麻生文化センター 14:00開演

いよいよ来年で15回目を迎えるハゲマス会。今年は小舞もなかったので短めに終わるのかな~と思いきや、やはりそこは常に全力な山本家。どれも見ごたえのある曲ぞろいでした。



狂言 『膏薬煉(こうやくねり)

都の膏薬売/山本東次郎
鎌倉の膏薬売/山本則俊


【あらすじ】

鎌倉の膏薬売と、都の膏薬売が、旅の道中でばったりと出会います。実はこの二人、それぞれの膏薬の効果が大変にすぐれているという噂を聞きつけ、お互いに訊ねる途中でした。いろいろ話をしているうちにどちらの膏薬がすぐれているか競い合うことになり・・・!?

【反省文という名のカンゲキレポ】

1曲目から東次郎師と則俊師による競演!なのに・・・ワタシったら、ワタシったら・・・!ばかばか!ワタシの馬鹿!!

言い訳しますと、実はこの日はちょっと体調が良くなかったのです。それで、外出前にお薬を飲んだのですが、ジャストタイミングでこの時間帯に効果が出てしまったようで・・・。

まぁ、あの・・・一言で言うと・・・ぐっすりと寝込んでしまいましたー!!すみませんー!

でも、熟睡している間にも、東次郎師の艶のあるお声と則俊師のハリのあるお声がしっかり聞こえておりました。そのお声がまたとても美しいので、またまた気持ち良くなってしまい・・・す、すみませーん!!m(_ _;)m

「膏薬」とは、怪我の痛みや腫れものの膿を吸い出すための薬。悪いものを吸い出して自然に回復するように、というのが当時考えられていた膏薬の効能でした。ですから、「吸い出す力」が強ければ強いほど、その膏薬の効き目も抜群、というわけです。

この狂言では、膏薬を貼った短冊を顔の中心(鼻梁のいちばん上の、両目の間の部分、と言ったら良いのかな?)に張り付けて、お互いの吸引力を競うわけですが、この時、鬢づけ油を使用すると、どんなに汗をかいても短冊が滑って落ちたりすることはないそうです。

この曲で使用されていた肩衣は、東次郎師が鬼瓦、則俊師がダイナミックな波が描かれた意匠。鎌倉の膏薬売ということですから、七里ヶ浜の波をイメージされたのかもしれませんね。

えーん、こんなレポしかできない自分に反省・・・。


狂言 『縄綯(なわない)

太郎冠者/山本則重
主人/山本則孝
何某/山本則俊


【あらすじ】 

ばくち好きなご主人は、今日も知り合いのところで大負け。持っていたお金も使い果たしてしまった主人は、召使の太郎冠者をも抵当に入れる始末。それでも負け続け、とうとう知り合いに太郎冠者を譲り渡すことになります。

そうとは知らぬままに知り合いのもとへ使いに出された太郎冠者は、自分が主人の
ばくちのカタにされたことを知り、大激怒。何を命じられても「したことがない」「自分にはできない」と言い張って従いません。

役立たずの太郎冠者に腹を立てた知り合いは、あらためて主人に負けた金を払うよう催促します。そこで主人は一計を案じて、太郎冠者を連れ戻すことに。元の家に戻ることができたと思った太郎冠者は、良い気分で縄をないながら、主人に知り合いの悪口を散々言いますが・・・!?

【カンゲキレポ】

以前、泰太郎のシテで拝見したことがありますが、今回は則重がシテ。

泰太郎の演じる太郎冠者には、ご主人のことを心から大切に思っているお人よしで優しい風情がありましたが、則重の演じる太郎冠者には、下人としての格というか、その家にお仕えしていることに誇りを持っていて、「ご主人には私がいなければ」という強い責任感を感じさせるものでした。

同じ演目でも、演じる人が違えば、その数だけ太郎冠者の人柄や個性も異なってにじみ出るものだなぁ~としみじみ思いました。

曲名にもなっている「縄綯」の場面は、白い布を編み込んだものを縄に見立てて、実際に縄を編んでいく仕草を見せます。足の親指と左指の間ではさみこみ、軽快な手つきで縄を綯っていく仕草がとても自然でした。器用だなー!(←三つ編みすら満足にできないひと)

ところで、とてもとても興味深く見ていたのが、則重の身に着けていた肩衣。

濃紺の地に盃(さかずき)と、扇と、あとひとつ、何か道具が描かれていたのですが・・・あれは何だったのかな?茶釜か、臼と杵かな?と思ったのですが、能楽堂と違ってホールでの公演で、お席も舞台から離れていたため、オペラグラスで何度見ても確信が持てず・・・。何が描かれていたのかしらー!(←とろりんルール:ホール等、能楽堂でない会場で能狂言を拝見する時は、オペラグラス必携)


狂言 『花盗人(はなぬすびと)

三位/山本則秀
花見客/山本東次郎、山本泰太郎、山本則重、山本則孝、遠藤博義、若松隆、山本凛太郎


【あらすじ】

季節は桜満開の春。知り合いの屋敷の庭の桜も見ごろというので、みなで連れだって花見にやってきました。噂にたがわず美しく咲き誇る桜を愛でる一行ですが、その桜の枝が一本折られていることが判明します。

花を盗む人はきっと繰り返して来るだろうから、次に来たらこらしめてやろうと一行が待ち伏せていると、1人の若い僧侶がやってきます。実はこの僧侶こそが花を折った張本人。寺の稚児に花の枝をやったら、もっと大きな枝を欲しいとせがまれ、再びやってきたのでした。

一行に捕らえられ、縄で縛られた僧侶は、古歌にかこつけて自分の無実を主張しますが・・・!?

【カンゲキレポ】

美しい花々を咲かせた桜の木が能舞台中央に運ばれてくるだけで、心の中に春風が運ばれてくるようです。冬来たりなば春遠からじ。この日もとても寒い一日でしたが、ふとそんな言葉を思い出しました。冬の寒さが身に沁みれば沁みるほど、春の輝きにこの上ない喜びと希望を見出せるような気がします。

この曲では遍正法師や大伴黒主(←歌舞伎では『積恋雪関扉』でもおなじみ)など、桜にちなんだ古歌や漢詩がやりとりされて、風情があります。

白楽天の漢詩を思い出した僧侶は、桜を愛さずにはいられない昔の人々の歌をいくつも引いてきます。そして最後に詠んだ「この春は 花の下にて縄付きぬ(=名は尽きぬ) 烏帽子桜と人や見るらん」という歌が花見客一行の心を動かし、僧侶は縄を解かれ、一行と宴を楽しむことになります。

狂言には、このように罪を認める・認めないとか、貸した金を返せ・返さないとか、日常の言葉でのやり取りだとどうしても生々しくなってしまう場面を、昔ながらの古歌を詠み合う事でその対立やもめている様子を表現する曲がいくつかあります。狂言が創り上げられた時代の人々の奥ゆかしさ、教養の深さに感じ入ります。

それから、これは東次郎師と則俊師のご配慮なのでしょうが、出演者が持っている扇がすべて、「桜」の意匠で統一されていたのも素敵でした。(とは言うものの、遠くの席からオペラグラスで見たので、そのように見えたのかもしれませんが・・・)

例えば、凛太郎が手にしていた扇は、金地に薄紅の色がさっと塗られ、その上から桜の花びらを散らしたような意匠。東次郎師が手にしていたのは、金地の上にサッと流したような朱色が塗られ、その上に桜の文様のような意匠。シテの則秀が手にしていたのは、朱色や青など、カラフルな色の地に桜のような文様が描かれていたように思います。

無駄なものを一切そぎ落とした能舞台で、扇や装束は、その曲の季節感や演じている役の個性をにじませることのできるわずかなヒントだと思うのです。毎回、ひとつひとつの舞台でそういった細かい道具にまで気を配る東次郎師の濃やかさに感服させられてばかりです。

* * * * *

終演後はすっかりおなじみ、東次郎師によるお話がありました~。ご自身の出番の直後に短時間で装束から紋付袴に着替えられ、小走りでふたたび登場される東次郎師のバイタリティー、尊敬してしまいます。

今回は、何度かうかがった事のある「狂言」という言葉の由来(←興味のある方は、
コチラの記事をご覧ください)から始まりましたが、特に印象に残ったお話は、「狂言は新作が作れない」ということ。

狂言の曲は全部で約二百番(200作品)あります。その内容は、私たち人間がささいな日常生活の中で誰もが必ず体験する、人間の愚かな部分を見せる瞬間を切り取って曲にしたもの。

東次郎師いわく、その「誰もが体験し、例外なく持っているであろう人間の愚かな部分」全ての事象が、この狂言二百番の中に込められているのだそうです。ですから新作を作ろうと思っても、二百曲を見直してみると、「あ、やっぱりこの曲でこの部分が描きだされている」というのが見つかるそうです。

こういうお話を聴くと、昔の人はすごいなぁ、伝統ってすごいなぁ・・・とあらためて感じます。

* * * * *

え~、今回は、まさかの寝落ちという痛恨のミスをおかしてしまいましたが(涙)、こ、こんな日もあるある!(←いや、結構ある)

今日から2月。「東風解凍(はるかぜ こおりをとく)」立春まではあとわずかですが、まだまだ寒さの厳しい日が続きそうです。皆さま、どうか風邪やインフルエンザに気をつけてお過ごしくださいね。

* * * * *

「かわさきアート・ニュース」1月号に、山本則俊師のインタビューが掲載されています。師の親しみやすいお人柄や狂言に対する思いなどがにじみ出ていますので、興味のある方はぜひお読みになってみてください☆

かわさきアートニュースvol.188(2012年1月号)より 山本則俊さんインタビュー


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藤原道山コンサート2011 ~竹林招風~ [伝統芸能]

2011年7月2日(土) キリスト品川教会グローリア・チャペル 17:00開演

【出演】


藤原道山(尺八)

一ノ瀬 響(サウンドクリエーター)

二代 石垣征山(尺八)
中村仁樹(尺八)
松村湧太(尺八)

* * *

出張と出張の合間に、藤原道山さんのコンサートに行ってきました。

タイトルの「竹林招風」は道山自身が考えたそうで、「暑い日が続く中、少しでも涼やかな風を感じてもらえるようなコンサートに」という思いが込められているそうです。文字通り、爽やかで清々しい風が心に吹きぬけるようなひとときでした。

第1部は紋付袴といういでたちで、尺八の独奏から始まります。そこから1曲ごとに1人、2人と共演者が加わり、最終的には4つの尺八による協奏曲へ。この構成がシンプルながらとてもまとまりがあって、尺八の音の魅力をじっくりと味わうことができました。

第2部では、まず吹き合わせによる「鶴の巣籠」と「鹿の遠音」。

今回は尺八の二流派、都山流(道山、征山)と琴古流(中村、松村)が揃ったということで実現した2曲。都山流が舞台、琴古流が客席の上手下手に分かれて演奏。

これはとても聴きごたえありました!流派によって何がどう違うのか、とかはまったく解りませんけれども(苦笑)、道山がリードし、若手の奏者たちがそれに応えて心をひとつにして築きあげていく空間・・・というのがとても感動的でした。

この後は、サウンドクリエーターの一之瀬響さんをゲストに加えて、道山自身が作曲したものや、一之瀬さんが道山に提供した楽曲などを演奏。ここからは道山は黒シャツに光沢のある白のサテンスーツ、若手(別名:キラキラチーム←道山命名)は黒シャツに黒パンツというスタイリッシュな洋装で演奏。

アンコールは、道山の尺八による「アメージング・グレース」。柔らかく、やさしく響き渡る音色が、しみじみと心に沁み込んでくるような1曲。

出張と出張の合間で若干疲労困憊していたのですが(苦笑)、心がリセットされるような素敵な時間を過ごすことができました☆あ~、癒された~☆


セットリスト

1. 尺八独奏曲 竹の四季より「夏」 (山本邦山)
2. 尺八二重奏曲第三番「対動(ついどう)」 (山本邦山)
3. 尺八三重奏曲「青風(あおかぜ)」 (John 海山 Neptune)
4. 失われた「時」 (三宅一徳)
  第一章「Prologue」 第二章「子守歌」 第三章「宴」

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5. 吹き合わせ「鶴の巣籠」「鹿の遠音」 (都山流本曲・琴古流本曲)
6. 道 (藤原道山)
7. I am here (一ノ瀬 響)
8. Earthrise2064 (一ノ瀬 響)
9. 琥珀の道 (一ノ瀬 響)
10. After 10 Years

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アンコール Amazing grace


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山本則直一回忌追善 山本会別会 [伝統芸能]

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2011年4月16日(土) 国立能楽堂 13:30始

【番組】

『翁』

狂言『花子
(はなご)


仕舞『江口』『融』
一調『楽阿弥
(らくあみ)


狂言『東西迷
(どちはぐれ)

狂言『鬮罪人
(くじざいにん)


「能楽は鎮魂と招福の芸能です。亡くなられた皆様のご冥福と被災地の一日も早い復興を祈りながら、一つ一つの舞台を心を込めて勤めていきたいと存じております。」
(『山本会別会』公演プログラム 山本東次郎師「御挨拶」より引用)

山本家三兄弟のおひとり・山本則直師の一回忌追善として開催された山本会別会。今回の番組は、則直師がお亡くなりになる前から計画されていたそうです。ロビーには、在りし日の則直師の舞台写真が、お花に包まれて置いてありました。

毎回、常に盛りだくさんで全力な山本家の舞台ですが、今回は披きが2番に、東次郎師による名品『東西迷』に、総出演な『鬮罪人』と、さらにさらにボリュームが凄いです。メインディッシュばかりのフルコース、みたいな(笑)。さすが山本家。

* * *



翁/狩野琇鵬(代演:狩野了一)
千歳(せんざい)/山本則孝
三番三(さんばそう)/山本凛太郎

笛/松田弘之
小鼓/鵜澤洋太郎、坂田正博、飯富孔明
大鼓/柿原崇志

則直師の孫・凛太郎による三番三の披き(初演)。まだ17歳の少年が、彼の年齢・キャリアではとうてい及ぶはずのない芸の高みを、極みをひたすら目指し死力を尽くして舞うということはこういう事なのか、と心が震えました。

舞い納めた後、呼吸の乱れを抑えながら、揚幕の内へ戻る凛太郎の足取りが本当に心もとなくて、途中で倒れてしまうのではないかと本気で心配したほどです。まさに、「入魂」の舞台でした。

三番三の舞で、鈴を振りながら足拍子を踏み鳴らす場面があります。鈴の音は浄化の力があり、神を呼び込む力があると言われています。また足拍子は大地を踏みしめ、五穀豊穣への祈りが込められています。後半の大切なハイライトで、ここでも凛太郎は全力で勤め切りました。

汗だくで歯を食いしばりながら、力を込めて鈴を鳴らし、舞台を力強く踏みしめる凛太郎の舞台を一心に見つめながら、彼の狂言方としての未来が、そして彼がこれから生きていく日本の未来が、どうか光にあふれたものでありますように、と願わずにはいられませんでした。

天下泰平・国土安穏を祈り、生命の恵みに感謝し五穀豊穣を願う『翁』。今、この時期にこの舞台を拝見できたことに、不思議なめぐり合わせを感じます。


狂言 『花子』

シテ(夫)/山本則重
アド(太郎冠者)/山本則俊
アド(妻)/山本則秀

続いての舞台は則重による『花子』の披き。

全体的に、則重も則秀も落ち着いた出来だったと思います。むしろ、なんか温度が低いな~という印象を受けました。

何と言うのかな、東次郎師や則俊師の演じられる『花子』には、募る恋の高まりや、ヤキモチと怒りに身悶える妻の可愛さに、「うふふ、恋って良いもんだよね[黒ハート]」みたいな心浮き立つような思いでいっぱいになるのですが、そこまで感じられなかったというか。

花子との逢瀬から返ってきた男が、ほろ酔い気分で謡をうたう場面も、とても良いクリアな声でなめらかに謡っていて、きっちりこなして良い出来だなぁとは思ったのですが、その姿から「女性との逢瀬から帰ってきた」という色気は感じられなかったような…。

これはもう、舞台での経験値の差、としか言いようがないでしょうね。

東次郎師・則俊師から稽古で教わったことをきっちりと舞台で出せている、というのは伝わってきましたが、そこからさらに、則重自身にしか出せない「香気」が舞台に満たされ、あふれていくのは、これからでしょうから。

でも、でもこれだけは言わせてくださいっ!

花子のもとへ出かけていく為に、男が走り去っていく場面。橋がかりから揚幕の内へ駆け込んでいくのですが、もっと、もっとウルトラ光速ではけて欲しかった~!!(←そこ?)

超ウルトラハイパー光速で駆け抜けていく東次郎師や則俊師の舞台を見慣れてしまっているせいか、則重さんはあまりにゆっくりだったので、若干ショックでした(苦笑)。あそこを、ものすごい速さで駆け抜けていくことで、男がどれだけ花子に逢いたくてたまらなかったのか、が伝わってくると思うので…。若い方には、長袴は扱うのが難しいのかな?


仕舞 『江口』(友枝昭世)
仕舞 『融』(塩津哲生)
一調 『楽阿弥』(山本則俊/鵜澤洋太郎)


出ました、則俊師によるバリトンリサイタル!黒紋付に袴というシンプルないでたちで、『楽阿弥』を謡われます。凛と声の張る則俊師の謡。すっかり聴き惚れてしまいました。

『楽阿弥』は故・則直師が得意とされていた曲で、平成17年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されました。この時の贈賞理由に「(三兄弟によって演じられた狂言は)まさに一人も欠くことのできぬ息の合った名演」とあり、また胸がつまりました。

『樋の酒』や『呼声』は、文字通り「一人も欠くことのできぬ」山本家三兄弟ならではの名舞台でした。大らかで朗らかな則直師の舞台。山本家の舞台を拝見するたびに、必ず則直師の舞台を思い出す自分がいます。


狂言 『東西迷』

シテ(住持)/山本東次郎

5年前の山本会
で拝見し、「狂言ってすごい!!」と心から感動した舞台。5年ぶりの再会でしたが、今回もしみじみとした感動の時間を過ごすことができました。

多額のお布施をもらえる有力者の法要と、いつも決まって訪れる檀家を訪れる日をダブルブッキングしてしまった住持。どちらを優先するのか迷いに迷って、住持が出した結論は…?

日常生活でも、こういった場面に自ら遭遇してあれこれ迷うことってありますよね~。もっともらしい理由をつけながらも割り切ることができず、右往左往してしまう住持の姿と自分の経験を重ね合わせて、思わずくすっと笑ってしまいます。

結局、どちらの招待にも間に合わず、「どちにもはぐれ」てしまった住持。ここから終幕に向けて描かれる住持の心のありようが、私は好きでたまりません。

あれこれと理由をつけながらがっかりした心をなだめつつ、お寺でのお勤めを淡々と進めていく住持。夕刻の鐘を打つシーンは、東次郎師の「ゴォォーン、ゴォーン」という高らかなで張りのある声とともに繰り出される一連の動作には隙や無駄がまったくなくて、惚れ惚れします。

そして、住持の眼差しは静かに暮れていく夕陽を見つめていて。ふとした瞬間にかすかな失望と寂しさが見え隠れして、その人間らしさがますます切なくなります。

「今日はなかなか面白うて、良き一日であった」。静かに呟いて、そっと去っていく住持。人間という存在に対する深い愛おしさ、優しさ、慈しみをしみじみ実感する一曲です。


狂言 『「鬮罪人』

シテ(太郎冠者)/山本泰太郎
アド(主)/山本則孝
立頭(客人)/山本則俊
立衆(客人)/山本則秀
立衆(客人)/遠藤博義
立衆(客人)/平田悦生
立衆(客人)/鍋田和宣
立衆(客人)/山本修三郎
立衆(客人)/若松隆

最後の狂言は、則直師の御子息・泰太郎と則孝が中心となった賑やかで明るい舞台。

祇園祭の世話人となった主人は、客人を集めて山鉾の出し物の相談を始めます。そこで主人の召使が「地獄で鬼が罪人を責める場面」という趣向の出し物を思いつき、採用されることに。それぞれの役割はその場で鬮(くじ)で決めることになりました。ところが、何と主人が「罪人」、太郎冠者が「鬼」の役を引き当ててしまいます。太郎冠者は稽古にかこつけて、罪人役の主人を本気で打ちすえます。

…という、狂言の曲にはよくある(?)、太郎冠者がご主人をやりこめるあらすじ。途中から謡やお囃子も入るので、にぎやかで華やかな雰囲気が楽しめる一番です。

泰太郎演じる太郎冠者は、しっかり者で頭の回転が速い召使、という様子がよく伝わってきて、それだけに頑固なご主人に苦り切っているところも伝わってきて、ついついニマニマしながら観てしまいます。

対する則孝の主人は、頑固な感じがよく出ていて、こちらも微笑ましい。鬮の結果にわずかに表情を変えながらも、「鬮は見ません」と、あくまでもしらを切ろうとするするところに、ご主人の強情さがよく出ていました。

空気が張り詰めたような緊張感に包まれた『翁』と『花子』、東次郎師の屈指の名演『東西迷』と、思いっきり集中力を使った後でしたが、『鬮罪人』は肩の力を抜いて、リラックスして楽しむことができました。満足、満足☆


* * *


毎回、山本家の会では集中力を使い果たしてかなり燃え尽きるのですが(苦笑)、今回は燃え尽きるのと同時に、新たなエネルギーが身体の内から湧き出てくるような感覚を覚えました(←ふ、不死鳥…?)。

今日一日を、この一瞬一瞬を全力で生きよう、あらためてそう決意した一日でした。


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ハゲマス会 第13回狂言の会 大蔵流山本家とともに [伝統芸能]

2011年1月23日(日) 川崎市麻生文化センター 14:00開演

少し風の冷たいこの日は、新百合ヶ丘へ。今年で13回目を迎える「ハゲマス会」を拝見してまいりました。

1000席あまりの会場は、9割方の入り。都心より離れた郊外の大ホールでこれだけの集客を可能にするとは、この会がいかに多くの人に愛され、支えられているのかを実感します。

昨年までは、「大蔵流山本家三兄弟とともに」と銘打たれていたハゲマス会。しかし昨春、三兄弟のひとりである次男・則直先生がお亡くなりになり、今年からは「大蔵流山本家とともに」と言葉が変更されています。

パンフレットには、山本家を主宰する長男・東次郎師が、次のような言葉を寄せられていました。

(以下、引用)

もう少し長く、この三人での舞台を続けていたかったし、皆様にも御覧頂きたかった、もう少し兄として心を鬼にしても健康に気をつけさせていたら出来たに違いないと、己のふがいなさに腹立たしささえ覚えます。

「あるはなく、なきは数添う世の中に、あわれいずれの日まで嘆かむ


『古今和歌集』の小野小町の歌っですが、私流の解釈をお許し頂けるなら、「元気だった人が亡くなって嘆いている矢先、次々と知らされる訃報に、また辛い思いを重ねている。そしてその先には自分の死が垣間見えている」、そんな意味でしょうか。昨年の能楽界は不思議なほどに訃報が続き、長年の友を多く失い、正にこの歌の通りの心境でした。しかし、生きている私たちは嘆いてばかりはいられません。この会が、心機一転、新しく始めるきっかけになることと思います。

(引用終わり)

昨年の能楽界は本当に、「なぜ・・・」と絶句するほどに、悲しい報せの多い1年でした。狂言方だけでも、則直師、茂山千之丞師、野村万之介師と、それぞれの流儀の重鎮が相次いでご逝去されました。

弟を亡くされ、そして盟友を失われてもなお、残された者の使命としてひたすら舞台を勤め、ひたすらその人生を歩まなくなくてはならない。今回は東次郎師・則俊師はもちろん、若手の方々も非常に活躍されていて、その気力、気魄が充分に伝わってくる舞台の数々でした。



狂言『鍋八撥(なべやつばち)

シテ(浅鍋売)/山本則秀
アド(鞨鼓売)/山本則重
アド(目代)/山本則俊
笛/藤田貴寛

室町時代は全国各地に市が登場し、にぎわいを見せました。ある市では、もっとも格式の高い一の店(いちのたな)に一番乗りした商人を、その市の代表者にすることにし、その高札が立てられます。まず最初にやってきたのは鞨鼓売。自分が一番乗りだと確信すると、市が始まるまでひと眠りすることしました。次にやってきたのが浅鍋(焙烙:ほうろく)売。彼は鞨鼓売が一番乗りであることを知りながら、彼が眠っていることを良い事に、一計を案じます。やがて朝が訪れ、鞨鼓売と浅鍋売は互いが一番乗りだと主張を始めますが・・・。

則重・則秀兄弟の張りのある声とダイナミックでキビキビとした動きの数々に、たくさんの笑いとどよめきの起きた、楽しい舞台でした!

また偉そうな口を叩きますけれども、お二人とも、こんなに大きな舞台でも、曲の情景を描けるようになったんだなぁ、としみじみ実感しておりました。

例えば、一番乗りしてきた鞨鼓売(則重)が、舞台の奥から橋がかりの方へ向かって身体と視線をずーっと動かした後、「遠くのあちらからかなたのこちらまで、ずーっと店が立ち並んでいる」(うろ覚え)という感じの科白を言うのですが、この時、私の脳裏には、夜明け前のおぼろげな曙光に浮かび上がる市のシルエットがまざまざと浮かび上がりました。

続いて、ひと足遅れてやってきた浅鍋売も同じようなしぐさと科白を述べるのですが、この時は、夜が明けて、射しこんできた清冽な朝日が市の屋根や屋台の木枠を白く照らして、キラキラと輝いているような情景を思い浮かべることができました。

言葉の力と最小限の動きだけで、観客に「今ある景色」を想像させること。狂言の醍醐味を味わうことができて、とても幸せに感じました。

変わらず、肩衣のコーディネートも素敵でした!

則重は、鮮やかな橙色に、鬼瓦の意匠。終演後の東次郎師のおはなしによりますと、この肩衣には男鬼と女鬼が描かれているのだそうです。そして興味深いのは、どんな鬼瓦の図柄を見ても、必ずどこか欠けている部分が描かれているそうな。「完全なるものに対する謙虚さなのでは」とのこと。

則秀の肩衣は、薄墨のような淡い黒地に注連飾りとゆずり葉、という組み合わせの和飾りの意匠。これ、今回いちばんのツボでした!シックなのに晴れやかで、控え目なのにとても目を惹く意匠でした。



狂言『昆布売』

シテ(大名)/山本東次郎
アド(昆布売)/山本則俊

都へ上る大名には、共がありません。途中で出会った者を共にしようと思っていると、若狭の昆布売がやってきます。大名の申し出を断りたい昆布売ですが、大名に半ば脅され、渋々太刀持ちをすることになります。ところが、「力の象徴」である太刀が大名から昆布売の手に渡った瞬間、両者の力関係は逆転。昆布売に太刀で脅され、大名は泣く泣く昆布を売らされる羽目になるのでした。

昨年は『樋の酒』で、三人兄弟がそろい踏みだったなぁ・・・とついつい思い出して寂しくなってしまいましたが、お二人の一糸乱れぬ美しい動きと呼吸もぴったり合った科白の応酬はさすがです!

大名が昆布売に教えられながらも、当時流行していた踊り節や小歌節などで昆布売りの口上をする場面などは、その可笑しさだけでなく則俊師のキビキビとした声と東次郎師のふくよかな声の美しさにうっとり。ああ、やっぱり山本家の狂言はこうでなくては!

肩衣は、荒波に碇がダイナミックに描かれた意匠。山本家の会では比較的よく拝見する意匠ですが、今回は「若狭小浜からやってきた昆布売」というアドの役柄に合わせて選ばれたのかなぁと思ったりしました。



狂言一調『貝尽くし』
山本則俊
太鼓/梶谷秀樹

能舞台の上に則俊師が1人座し、太鼓に合わせて謡います。まさに、則俊師バリトンリサイタル。夢が、叶った・・・☆(
昨年の会のレポで、「山本家男声リサイタル」が聴きたい~と書いていたのでした)

素囃子『盤渉早舞(ばんしきはやまい)
大鼓/大倉栄太郎
小鼓/大山容子
太鼓/梶谷秀樹
笛/藤田貴寛

小鼓に女性が入ることによって、少し柔らかな調子だったかな~という感じ。これまでずっと言葉に耳を傾けていたので、調子だけ聴くのは新鮮な感覚でした。終わった後、そのまま途切れずに最後の曲へ自然に流れていく構成が面白いな~と思いました。



狂言『福部の神
(ふくべのしん)

シテ(鉢叩甲)/山本泰太郎
アド(鉢叩乙)/山本則孝
アド(鉢叩)/山本凛太郎、荒井豪、大音智海、山本修三郎、遠藤博義、若松隆、山本則秀、山本則重
アド(福部の神)/山本東次郎
地謡/平田悦生、山本則俊、鍋田和宣

北野天満宮の末社、福部の神の社。ここに、鉢叩衆と呼ばれる人々が集います。鉢叩衆というのは、全国で茶筅の行商をしながら踊念仏で仏教の普及を行った人々。もともとは鉢を、その後に瓢箪を叩きながら踊念仏をしたそうで、「瓢(ふくべ)」から福部の神を信仰することになったらしいです。福部の神の社の前で、勤行を始める鉢叩衆。やがて、社の前が良い香りが立ち込め、厳かな雰囲気に包まれます。そして、なんと人々の前に福部の神が現れたのでした。

最後の曲は神様が登場する、祝儀的な1曲。客席全体が、晴れやかな空気で満たされました。

泰太郎をはじめ、山本家の若手とお弟子がズラリと並ぶ姿は、力強くて圧巻です。それぞれしぐさや科白もしっかりしていて、やっぱり山本家は良いなぁ~☆と思わずほのぼの。

東次郎師のお勤めになった福部の神は、その名の通り福々しくて、でもお茶目な神様でした!社前に出てきて、鉢叩衆に「いつも御神酒をくれるのに、今日はまだくれないのか」とか言っちゃうのがラブリー☆(笑)。

もちろん、舞う姿は他の追随を許さない、圧倒的な優美さと香り高さ。今回はプログラムに小舞がなかったのですが、この曲ですっかり満足してしまいました。

東次郎師が身につけておられた面(おもて)は、京都のお茶屋さんでゲットしたものだそうです。丸っこい顔の形がとても気に入っていらっしゃるとか。東次郎師が身にまとっておられる柔らかな雰囲気にとても合った面でした。

そうそう、泰太郎さん、平成22年度文化庁芸術祭優秀賞、おめでとうございます!!お父様の故・則直師の跡を受け継いで、実直で安心感のある泰太郎さんの舞台。これからのますますのご活躍、お祈りしております!



今年も盛りだくさんで、心から楽しめたハゲマス会。会場を出ると、吹きつける風はとっても冷たいけれど、心はとっても温かい・・・毎回そんな幸せな気持ちになれる、素敵な会です。


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平成22年秋 山本会 [伝統芸能]

2010年11月3日(水・祝) 杉並能楽堂 13:30開演

【番組】
狂言
『萩大名
(山本泰太郎

『月見座頭(つきみざとう)(山本東次郎)
『木六駄』(山本則重)

小舞
『貝尽くし』
(山本則秀)
『名取川』(山本凛太郎)


毎年この季節に開催される山本会。体調がすぐれず、また次の週から出張が続くので、今回は『萩大名』と、どうしても見たかった『月見座頭』だけを拝見しました。



『萩大名』
大名/山本泰太郎
太郎冠者/山本則孝
庭主/山本則俊


【あらすじ】

下京のあたりに住む人の庭がが萩の盛りと聞いて、遠国の大名は太郎冠者を連れて見物に出かけます。庭主から歌を所望されると知った大名ですが、和歌に興味がないため、すぐには思いつきません。そこで太郎冠者が「七重八重 九重とこそ思いしに 十重咲きいずる 萩の花なり」という簡単な和歌をあらかじめ教えておきます。さて、萩見物にやってきた大名ですが、いざとなると和歌を思い出すことができません。太郎冠者の必死の身ぶりにも関わらず…?

【カンゲキレポ】

とても生意気な感想になってしまいますが、泰太郎さん、きっちり立っていらっしゃるな、と思いました。

この春に父であり師である山本則直師を亡くされた泰太郎・則孝兄弟。気を落とす時間もないまま、多くの舞台を務めてきた半年間だったと思います。

泰太郎さんの、持ち味であるきっちりと堅実な動きの中に、時々、則直先生を思わせるようなふくよかな空気が醸し出されてきたような気がします。特に、科白を言う声音に泰太郎さんのかっきりとした発声の中に、ふくらみが出てきたような。それが、大名らしい鷹揚さとおっとりさに合っていて、とても良い舞台でした。

則孝さん@太郎冠者の使われていた扇がとても鮮烈でした。表は金地に野に咲く桔梗、裏には銀地に満月が描かれていて、その存在感と美しさは思わず息をのむほどでした。


『月見座頭』

座頭/山本東次郎
上京の者/山本則俊

【あらすじ】

十五夜の日。月は見えなくとも、虫の声が美しく響き渡る秋の夜の風情を楽しもうと、ひとりの座頭がやってきます。そこへひとりの男が来合わせ、意気投合。酒を酌み交わして楽しいひとときを過ごします。ところが別れ際、上京の男はふと悪心を抱き、座頭に喧嘩を仕掛け、引き倒します。同じ男がしたこととは露ほども思わない座頭は、自分の甘さを食いながら、寂しく去っていくのでした。

【カンゲキレポ】

いつか東次郎師の『月見座頭』を観たい、と思っていたのですが、長年の悲願がついに実現しました!曲自体はとても重く深いのですが、真摯に狂言の道を歩まれてきた東次郎師の心映えが見えるようで、心から感動いたしました。

月の光を感じられずとも、せめて爽やかな夜風の中で秋の虫の涼やかな声を聴いて秋を感じたい。閉じたままのまぶたの裏に、少しだけでも月光の気配を感じられるとかも知れない…。そう思って不自由な体でやってきた秋の野辺。そこでひととき楽しい時間を過ごしたと思ったら、最後に心の冷えるような出来事を体験し、寂しく去っていく座頭。倒されてうずくまる東次郎師の姿に、これまでも理不尽な扱いを受けてきたであろう盲人の哀しさが映り、涙が出そうでした。

狂言が成立した時代では、障がいを持つ人にとって本当に生き抜くことが厳しい時代であったことだろうな、この座頭のように、謂れのない仕打を受けることも少なくなかったことでしょう。そんなことすら感じさせる舞台でした。

人間として豊かな心の持ち主はどちらなのか。本当の意味で欠陥があるのはどちらなのか。「人間らしさ」とは何なのか。この曲は、狂言の本質を鋭く突いていると思います。そして、あまりに鋭くまっすぐに突いているからこそ、この曲は難しいのだろうと思いました。

曲中、すっかり仲良くなった座頭と上京の男が酒を酌み交わし、謡や舞を繰り出して楽しく過ごす場面があります。艶やかな東次郎師のお声と深くお腹に響く則俊師の声の掛け合いに、すっかり心を奪われながら耳を傾けておりました。その中でふと則直先生を思い出し、「ああ、もう御兄弟3人での『呼声』を拝見することは叶わないんだ」という思い、とても淋しくなりました。

秋の青空のように、深く優しく心に染み入る2つの狂言でした。

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