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ハゲマス会 第13回狂言の会 大蔵流山本家とともに [伝統芸能]

2011年1月23日(日) 川崎市麻生文化センター 14:00開演

少し風の冷たいこの日は、新百合ヶ丘へ。今年で13回目を迎える「ハゲマス会」を拝見してまいりました。

1000席あまりの会場は、9割方の入り。都心より離れた郊外の大ホールでこれだけの集客を可能にするとは、この会がいかに多くの人に愛され、支えられているのかを実感します。

昨年までは、「大蔵流山本家三兄弟とともに」と銘打たれていたハゲマス会。しかし昨春、三兄弟のひとりである次男・則直先生がお亡くなりになり、今年からは「大蔵流山本家とともに」と言葉が変更されています。

パンフレットには、山本家を主宰する長男・東次郎師が、次のような言葉を寄せられていました。

(以下、引用)

もう少し長く、この三人での舞台を続けていたかったし、皆様にも御覧頂きたかった、もう少し兄として心を鬼にしても健康に気をつけさせていたら出来たに違いないと、己のふがいなさに腹立たしささえ覚えます。

「あるはなく、なきは数添う世の中に、あわれいずれの日まで嘆かむ


『古今和歌集』の小野小町の歌っですが、私流の解釈をお許し頂けるなら、「元気だった人が亡くなって嘆いている矢先、次々と知らされる訃報に、また辛い思いを重ねている。そしてその先には自分の死が垣間見えている」、そんな意味でしょうか。昨年の能楽界は不思議なほどに訃報が続き、長年の友を多く失い、正にこの歌の通りの心境でした。しかし、生きている私たちは嘆いてばかりはいられません。この会が、心機一転、新しく始めるきっかけになることと思います。

(引用終わり)

昨年の能楽界は本当に、「なぜ・・・」と絶句するほどに、悲しい報せの多い1年でした。狂言方だけでも、則直師、茂山千之丞師、野村万之介師と、それぞれの流儀の重鎮が相次いでご逝去されました。

弟を亡くされ、そして盟友を失われてもなお、残された者の使命としてひたすら舞台を勤め、ひたすらその人生を歩まなくなくてはならない。今回は東次郎師・則俊師はもちろん、若手の方々も非常に活躍されていて、その気力、気魄が充分に伝わってくる舞台の数々でした。



狂言『鍋八撥(なべやつばち)

シテ(浅鍋売)/山本則秀
アド(鞨鼓売)/山本則重
アド(目代)/山本則俊
笛/藤田貴寛

室町時代は全国各地に市が登場し、にぎわいを見せました。ある市では、もっとも格式の高い一の店(いちのたな)に一番乗りした商人を、その市の代表者にすることにし、その高札が立てられます。まず最初にやってきたのは鞨鼓売。自分が一番乗りだと確信すると、市が始まるまでひと眠りすることしました。次にやってきたのが浅鍋(焙烙:ほうろく)売。彼は鞨鼓売が一番乗りであることを知りながら、彼が眠っていることを良い事に、一計を案じます。やがて朝が訪れ、鞨鼓売と浅鍋売は互いが一番乗りだと主張を始めますが・・・。

則重・則秀兄弟の張りのある声とダイナミックでキビキビとした動きの数々に、たくさんの笑いとどよめきの起きた、楽しい舞台でした!

また偉そうな口を叩きますけれども、お二人とも、こんなに大きな舞台でも、曲の情景を描けるようになったんだなぁ、としみじみ実感しておりました。

例えば、一番乗りしてきた鞨鼓売(則重)が、舞台の奥から橋がかりの方へ向かって身体と視線をずーっと動かした後、「遠くのあちらからかなたのこちらまで、ずーっと店が立ち並んでいる」(うろ覚え)という感じの科白を言うのですが、この時、私の脳裏には、夜明け前のおぼろげな曙光に浮かび上がる市のシルエットがまざまざと浮かび上がりました。

続いて、ひと足遅れてやってきた浅鍋売も同じようなしぐさと科白を述べるのですが、この時は、夜が明けて、射しこんできた清冽な朝日が市の屋根や屋台の木枠を白く照らして、キラキラと輝いているような情景を思い浮かべることができました。

言葉の力と最小限の動きだけで、観客に「今ある景色」を想像させること。狂言の醍醐味を味わうことができて、とても幸せに感じました。

変わらず、肩衣のコーディネートも素敵でした!

則重は、鮮やかな橙色に、鬼瓦の意匠。終演後の東次郎師のおはなしによりますと、この肩衣には男鬼と女鬼が描かれているのだそうです。そして興味深いのは、どんな鬼瓦の図柄を見ても、必ずどこか欠けている部分が描かれているそうな。「完全なるものに対する謙虚さなのでは」とのこと。

則秀の肩衣は、薄墨のような淡い黒地に注連飾りとゆずり葉、という組み合わせの和飾りの意匠。これ、今回いちばんのツボでした!シックなのに晴れやかで、控え目なのにとても目を惹く意匠でした。



狂言『昆布売』

シテ(大名)/山本東次郎
アド(昆布売)/山本則俊

都へ上る大名には、共がありません。途中で出会った者を共にしようと思っていると、若狭の昆布売がやってきます。大名の申し出を断りたい昆布売ですが、大名に半ば脅され、渋々太刀持ちをすることになります。ところが、「力の象徴」である太刀が大名から昆布売の手に渡った瞬間、両者の力関係は逆転。昆布売に太刀で脅され、大名は泣く泣く昆布を売らされる羽目になるのでした。

昨年は『樋の酒』で、三人兄弟がそろい踏みだったなぁ・・・とついつい思い出して寂しくなってしまいましたが、お二人の一糸乱れぬ美しい動きと呼吸もぴったり合った科白の応酬はさすがです!

大名が昆布売に教えられながらも、当時流行していた踊り節や小歌節などで昆布売りの口上をする場面などは、その可笑しさだけでなく則俊師のキビキビとした声と東次郎師のふくよかな声の美しさにうっとり。ああ、やっぱり山本家の狂言はこうでなくては!

肩衣は、荒波に碇がダイナミックに描かれた意匠。山本家の会では比較的よく拝見する意匠ですが、今回は「若狭小浜からやってきた昆布売」というアドの役柄に合わせて選ばれたのかなぁと思ったりしました。



狂言一調『貝尽くし』
山本則俊
太鼓/梶谷秀樹

能舞台の上に則俊師が1人座し、太鼓に合わせて謡います。まさに、則俊師バリトンリサイタル。夢が、叶った・・・☆(
昨年の会のレポで、「山本家男声リサイタル」が聴きたい~と書いていたのでした)

素囃子『盤渉早舞(ばんしきはやまい)
大鼓/大倉栄太郎
小鼓/大山容子
太鼓/梶谷秀樹
笛/藤田貴寛

小鼓に女性が入ることによって、少し柔らかな調子だったかな~という感じ。これまでずっと言葉に耳を傾けていたので、調子だけ聴くのは新鮮な感覚でした。終わった後、そのまま途切れずに最後の曲へ自然に流れていく構成が面白いな~と思いました。



狂言『福部の神
(ふくべのしん)

シテ(鉢叩甲)/山本泰太郎
アド(鉢叩乙)/山本則孝
アド(鉢叩)/山本凛太郎、荒井豪、大音智海、山本修三郎、遠藤博義、若松隆、山本則秀、山本則重
アド(福部の神)/山本東次郎
地謡/平田悦生、山本則俊、鍋田和宣

北野天満宮の末社、福部の神の社。ここに、鉢叩衆と呼ばれる人々が集います。鉢叩衆というのは、全国で茶筅の行商をしながら踊念仏で仏教の普及を行った人々。もともとは鉢を、その後に瓢箪を叩きながら踊念仏をしたそうで、「瓢(ふくべ)」から福部の神を信仰することになったらしいです。福部の神の社の前で、勤行を始める鉢叩衆。やがて、社の前が良い香りが立ち込め、厳かな雰囲気に包まれます。そして、なんと人々の前に福部の神が現れたのでした。

最後の曲は神様が登場する、祝儀的な1曲。客席全体が、晴れやかな空気で満たされました。

泰太郎をはじめ、山本家の若手とお弟子がズラリと並ぶ姿は、力強くて圧巻です。それぞれしぐさや科白もしっかりしていて、やっぱり山本家は良いなぁ~☆と思わずほのぼの。

東次郎師のお勤めになった福部の神は、その名の通り福々しくて、でもお茶目な神様でした!社前に出てきて、鉢叩衆に「いつも御神酒をくれるのに、今日はまだくれないのか」とか言っちゃうのがラブリー☆(笑)。

もちろん、舞う姿は他の追随を許さない、圧倒的な優美さと香り高さ。今回はプログラムに小舞がなかったのですが、この曲ですっかり満足してしまいました。

東次郎師が身につけておられた面(おもて)は、京都のお茶屋さんでゲットしたものだそうです。丸っこい顔の形がとても気に入っていらっしゃるとか。東次郎師が身にまとっておられる柔らかな雰囲気にとても合った面でした。

そうそう、泰太郎さん、平成22年度文化庁芸術祭優秀賞、おめでとうございます!!お父様の故・則直師の跡を受け継いで、実直で安心感のある泰太郎さんの舞台。これからのますますのご活躍、お祈りしております!



今年も盛りだくさんで、心から楽しめたハゲマス会。会場を出ると、吹きつける風はとっても冷たいけれど、心はとっても温かい・・・毎回そんな幸せな気持ちになれる、素敵な会です。


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