横浜能楽堂特別公演 『山鳥』/『木六駄』 [伝統芸能]
美しいのに、どこか苦しさ、哀しささえ感じる公演チラシ。横浜能楽堂のチラシはセンスが良いな~といつも感心します。
2009年3月22日(日) 横浜能楽堂 14:00開演
能 『山鳥(やまどり)』 (シテ:観世清和)
狂言 『木六駄(きろくだ)』(シテ:山本則直)
ずいぶんと前の話になってしまいましたが、新作能を拝見しました。
「山鳥」は、現在横浜能楽堂の館長である山崎有一郎氏の父で、戦前の著名な能楽評論家・山崎樂堂によって1916年に発表された作品(当時の曲名は『おろの鏡』)。
当時は作品が発表されたのみで上演されることはなく、90年後の2003年、『山鳥』と改題、新作能として初演されたそうです。
狂言『木六駄』
シテ(太郎冠者)/山本則直
アド(主)/山本則秀
アド(茶屋)/山本則孝
アド(伯父)/山本則俊
【あらすじ】
山向うに住む伯父が新しく家を建てたとのことで、主人は太郎冠者に申しつけて、柱にする材木30本(!)と祝いの酒を太郎冠者に持って行かせます。
吹雪の中、牛6頭に5本ずつ、計30本の材木を運ばせながら進む太郎冠者ですが、なかなか歩みははかどりません。そこで、一杯飲んで身体を温めようと山のふもとにある茶屋へ入ります。
ところが、あいにく茶屋では酒を切らしており、お茶しかありません。怒る太郎冠者が背中に酒樽をかついでいるのに気付いた茶屋は、「このお酒を少しもらっては」を提案します。
最初は「でもこれは伯父御様へのお祝い物だし・・・」ためらう太郎冠者ですが、茶屋にそそのかされて一杯飲んでしまうと、もう一杯、また一杯・・・と、茶屋と一緒に全部飲み干してしまいます。茶屋と一緒に歌ったり踊ったり、すっかり良い気分に。おまけに気が大きくなってしまった太郎冠者は、茶屋の主人に、材木30本も牛6頭もぜ~んぶやってしまいます。
そこへ何と、伯父が登場。実は甥(主人)から連絡をもらって、茶屋まで太郎冠者を迎えに来ていたのです。すっかりへべれけの太郎冠者は…?
【カンゲキレポ】
則直師の悠々とした芸を楽しむ一幕。
則直師の太郎冠者、だ~い好きなんですよね
確信犯的なおかしみというか、「ああ、この太郎冠者、絶対に失敗するっっ」という観客の期待通りに失敗してしまい、「ほーら、言わんこっちゃない」と思わずクスリとしてしまうような。失敗しながらも、「でへへ、またやっちゃった~」と帰っていっちゃうところが、ツボです(笑)。
もちろん、見どころはそこだけではありません。前半、材木をくくりつけた牛六頭を引き連れて、太郎冠者が吹雪の中を進んでいく場面があります。強風にあおられて身体をよろめかせながらも牛を追う様子、急に走り出した牛に引っ張られて雪の中へ突っ込んでしまう様子など、則直師がたった1人で、動作と科白だけで見せていきます。
これが実にすばらしくて、客席がひんやりとして、思わず身震いしてしまいそうな錯覚にとらわれたほど。ひとつひとつの動きがきっちりと型にはまっていて、非常に的確だからこそ真冬の雪の中に放り出されたような情景が脳裏に浮かぶのでしょうね。
茶屋の店主役の則孝と酒盛りになってしまい、酩酊してす~っかり良い気持ちで謡を披露しながら千鳥足で舞ってみせたりもするのですが、この動きもふわふわとしていてながらしぐさもやっぱり美しくて、素敵。こちらの心までお酒の良い香りにふんわり酔ってしまったかのようにワクワクと浮き立ちました。
愛すべき太郎冠者をイキイキと演じておられた則直師でした。
能 『山鳥』
作 /山崎樂堂
補綴/関根祥六
間狂言補綴/山本東次郎
監修/山崎有一郎
シテ(里女・山鳥)/観世清和
ワキ(僧)/福王和幸
アイ(所ノ者)/山本泰太郎
大鼓/佃 良勝
太鼓/金春國和
小鼓/観世新九郎
笛 /一噌幸弘
【あらすじ】
旅の僧がある池のほとりを通りかかります。その池の周囲だけ、草花が枯れてしまっているのを不思議に思った僧が池に近づこうとした時、ひとりの女に呼び止められます。
女が池に近づいてはいけないと言うので、僧がその訳をたずねると、女は山鳥の話を始めます。
天地創造の折、神はあらゆる色や形を定めて草花や鳥獣を創りあげますが、最後に山鳥をお作りになった時には既に色が尽きてしまい、山鳥だけは声も姿も醜いまま、地上に生まれることになりました。
自分の醜さを嘆き悲しむ山鳥はある日、ついにたまりかねて、草花の色を盗んでその身を美しく飾り立てます。池に自身の姿を映して見惚れていた山鳥は、草花の恨みによって池に落ち、溺れ死んでしまったのでした。
そうした話を語り終えた女は、自らが山鳥の霊であると明かして消え去ります。
夜明け前、山鳥の霊が僧の前に姿を現します。山鳥の霊は僧に、和歌を詠んで自らを供養してくれるよう、僧に頼みます。
僧が、「くもりなき 鏡の面にゐる塵を 目に立てゝ見る世とは思わじ」という西行の歌を詠んだところ、山鳥の迷いは払われて、夜明けとともに霊は立ち去るのでした。
【カンゲキレポ】
「山鳥」は実在する鳥で、キジ科で赤褐色の羽色。本州から四国、九州にかけて分布しているそうですが、山奥に生息していることが多いらしく、めったに人目にはつかないのだそうです。(参考:ウィキペディア「ヤマドリ)
舞台の冒頭、笛の音がひときわ高く、まっすぐ、ピィーーーーーーッと能楽堂に響きわたりした。
張りつめるような静寂を切り裂くような音。とても厳しくて、孤独な音。まるで、池に落ちた山鳥が水底に沈む瞬間にあげた、最期の鳴き声のように聴こえました。
相変わらずお能は、私にとっては苦行で…(汗)。幽玄と現実の世界を彷徨いながらの観能でした…
観世清和師の舞はとても静謐。様々な「負」の感情に巻き込まれ、のみこまれ、あげくに自滅してしまった山鳥の哀れさが伝わります。
「なぜ自分だけが」という思わずにはいられない境遇。美しく着飾った、他の鳥たちに対する嫉妬。その哀しみが生まれさせた、「どんなことをしてでも、美しくなりたい」というゆがんだ欲望。それに囚われて大切なことを見失ってしまった奢り。取り返しの付かないことになって初めて気付いた虚しさ…。
そういった、さまざまにうごめく暗い感情をあらわにせず淡々と静かに語り、舞う姿には、「負」の感情にとらわれて暴走してしまった自分を恥じ、せめて成仏したいと願う一途な山鳥の切ない姿が重なり、胸が痛くなりました。
間狂言の山本泰太郎も、力強く朗々と響く声で池にまつわる悲話を旅の僧に語って聞かせ、わずかな出番ながらも印象的な舞台でした。若草の裃が、とても美しかったです。
ちなみに間狂言は、我がスター☆、山本東次郎師によって補綴されているのですが、2003年の初演以来、何度か改訂を試みられているようです。今回、間狂言は「所ノ者」として登場し、山鳥と池にまつわる話を語るという設定でしたが、初演の時は「こおろぎの精」と「くつわむしの精」が間狂言として登場し、人生について語り合う、といった設定だったそうです。…そのバージョンも見てみたい…。
より洗練され、より完成度の高い作品をめざすべく、試行錯誤と改良をどんどん加えていく…。その変化を、観客は楽しみに見ることができる…。現代に生まれた「新作」だからこその醍醐味ですね。
この日は、「春の嵐」という風流な言葉では済ませられないほどの、とんでもない暴風雨に見舞われました。盲導犬サポートSHOPで購入した折りたたみ傘がすさまじい強風にあおられて、骨があらぬ方向へひっくり返るという悲劇を乗り越えて、横浜能楽堂へやってまいりました。(ちなみに、傘は気合いで復活させました>笑)
思い起こせば、この時もすごい強風&大雨だったし、この時は大雪だったし、行く予定にしていた昨夏の「横浜夜能」はゲリラ豪雨で拝見できなかったし…。私が横浜能楽堂に行く日は必ず天気大荒れ、というジンクスは、破られる日が来るのでしょうか…。
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