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中川右介 『十一代目團十郎と六代目歌右衛門-悲劇の「神」と孤高の「女帝」』 [Books]

十一代目團十郎と六代目歌右衛門―悲劇の「神」と孤高の「女帝」 (幻冬舎新書)

十一代目團十郎と六代目歌右衛門―悲劇の「神」と孤高の「女帝」 (幻冬舎新書)

  • 作者: 中川 右介
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2009/01
  • メディア: 新書


戦後の歌舞伎界復活の先陣として活躍した、十一代目市川團十郎と六代目中村歌右衛門を軸に、歌舞伎界の葛藤を描いたノンフィクションルポです。

「この本は、その歌舞伎座を舞台に繰り広げられた、劇界の頂点をめぐる権力闘争の物語だ。」

本の内容は、冒頭で綴られた著者のこの文章に集約されていると思います。

この一文に続く疑問-「なぜ十一代目團十郎は『神』になれなかったのか。いかにして六代目歌右衛門は劇界に『女帝』として君臨していったのか。」を、当時の劇評やマスコミの記録などから解き明かしていきます。

ルポなので、著者の推測なども多分に含まれている感はありますが、それでも百冊はゆうに超える参考文献を収集し、かなり綿密に情報を拾い集めてあるので、整合性は高いと思います。事実を事実としてとらえた上で、それを時系列的にまとめられているので、ある出来事に対するそれまでの伏線などもわかりやすく把握されています。



本書は1945年の終戦をまえがきとして、1951年の歌舞伎座復活と六代目歌右衛門襲名を発端に、十一代目團十郎(以下、團十郎)の死に至る1965年までが基本的な時間軸。

その中で起こった様々な出来事を取り上げながら、六代目歌右衛門(以下、歌右衛門)がいかにして歌舞伎界の頂点を目指したか、そして團十郎が歌右衛門の動きをどのような思いで見つめ、行動していくのかを綿密に追っています。

この時代の変遷は、日本が敗戦のショックから復興、国際社会への復帰、高度成長期を遂げる時代と、ちょうど重なります。

1964年の東京オリンピックでその時代はひとつの頂点を極めるわけですが、それは、歌舞伎も含め伝統芸能の社会に置ける位置が激変し、その対応を迫られていた時期であるとも言えます。(奇しくも團十郎は、翌1965年にこの世を去ります。)

それは、「歌舞伎の現代化」と言って良いのかも知れません。

その「現代化」の流れに順応することが出来ず、あくまでも「市川宗家」を「歌舞伎界の神聖なる存在」としてとらえ、そのように振る舞おうとした團十郎。一方、「現代化」の波を冷静に見つめ、逆にその波が持つ「力」を、自分のものとして巧みに取り込んでいった歌右衛門。

「その存在に、法的根拠など必要としないのが、神である。
帝王とか女帝は、基本的には法的手続きを経てその地位に就く権力者である。」(本文より)

この文章に、團十郎と歌右衛門のあり方の違いが明確に表されています。両者の行動の違いは、あまりにも対照的です。



純粋な舞台ファン(伝統芸能だけでなく)は、あえて読まない方が良いかも・・・。と、いうのが、正直な感想です(苦笑)。

伝統芸能の世界を政治的・社会的な側面からとらえた著書はあまりないので、個人的にはとても興味深く読みました。

今や日本の伝統芸能の代名詞とも言える歌舞伎を、「興行」としての側面から書かれている箇所も散見されますが、これが結構、生々しく描かれています。松竹と歌舞伎役者の関係、そして各地に散在していた興行師との関係。「舞台」を生業とする人々のもうひとつの世界を切り取っています。

芸術の世界だけでなく、どんな業種にも、誰の人生にも「光と影」はあるものです。芸術の世界では、その濃淡が鮮烈過ぎる、というだけです。舞台に立つ役者を照らすライトの光がまばゆければまばゆいほど、後ろに浮かび上がる闇もまた、濃くなり深くなる・・・。

しかし、我々観客は舞台に魅入られます。役者もまた舞台に魅入られて、その世界で自らの「生」をまっとうしようとします。舞台の「光」には、それだけ人の心を惹きつけてやまない何かがあります。

役者はその光を自分の物とするために、ひたすらに舞台に立ち続ける。そして観客は、ひたすらにその「光」を見つめるために、劇場に通い続ける。

それは、カタルシスの相乗効果なのだと思います。役者と観客の間には、「闇」など存在しなくなるのです。

似たような仕事に就くからこそ、興行の世界の「触れられない部分=闇」については共感できる部分もありました。また「なぜ自分は舞台を観るのが好きなのか」という事についても、改めて深く考えさせられた1冊でした。

歌舞伎座

激闘の地、歌舞伎座。あと1年ちょっとで役目を終えます。


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コメント 4

mami

とろりんさん、こんばんは。
何だか読んでみたいような、読むのが怖いような‥‥。
どんな世界にも影や闇の部分はあるのですよね。でもそれはやはり表にさらしてはいけないことなのかもしれません。
お二人とももう故人だからいいのかもしれないですが、古くからのご贔屓の方達はどんな思いで読まれるのか、ちょっと心配な気もします。
by mami (2009-03-18 00:19) 

★とろりん★

mamiさま、
コメント、ありがとうございます!!お、脅かすようなレビューですみませんでした(汗)。

基本的には、当時の報道や劇評など、公にされた記録を時系列にわかりやすくまとめてあります。ひとつの出来事に対しても、それにいたる経緯ができるだけ追求されているので、説得力はありますね。

現在の歌舞伎隆盛の礎を築き上げたのもまた、このお二方をはじめ多くの役者さんの存在なくしてはなかったと思います。十二世團十郎丈の人気が次世代の歌舞伎ファンを育てるきっかけになりましたし、六世歌右衛門丈が歌舞伎の現代化に対応したことで、急激な経済成長に置き去りにされつつあった伝統芸能の存在意義が見直されるようになったのですから。登る道は違っても、目指す頂点は同じだったのだと思います。ただ、それぞれの登り方をお互いに認め合うことが出来なかったことが、團十郎丈の「悲劇」と歌右衛門丈の「孤独」につながるような気もいたします。

時間を置くことで見えてくるもの、改めて見つめ直す事が出来ること、というのもまた存在しますよね。そういった意味では、意味のある一冊だと思います。(とはいえ、この種類の本はこれ1冊で充分だとは思いますけれどもね)
by ★とろりん★ (2009-03-18 08:40) 

aki

とろりんさま、こんにちは。この本、我が家にもあります。母が先に読んだのですが、「今までの考えが変わる・・・」と言っていて、私はまだ読んでいません。でも近々、おそるおそる読んでみようと思っています。
by aki (2009-03-18 13:09) 

★とろりん★

akiさま、

コメント、ありがとうございます!!

何だか、皆さまの恐怖をあおるようなレポを書いてしまって、申し訳ありません(汗)。どんなお仕事でも、人間関係の悩みってつきものですよね。芸能の世界でも同じ事なんですよ、ということが書かれてあるだけです(ひらたく言えば)。

でも、当時の人々の葛藤や苦闘があってこそ、今の時代があるわけですから。「そういうこともあったんだな」と心にちょっと留めておく、くらいの気持でお読み下さいね。

by ★とろりん★ (2009-03-19 17:47) 

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