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麻実れい講演会 「私と宝塚」 [宝塚歌劇]

2014年4月29日(火・祝) 日比谷図書文化館コンベンションホール 14:00

講師:麻実れい
(元宝塚歌劇団雪組トップスター)
聞き手:竹下典子

特別展「日比谷に咲いたタカラヅカの華」関連イベントとして開催された記念講演会に、元雪組トップスターの麻実れいさんが講師として出演されると知り、申し込みました。

先日の100周年記念イベント以来、「古き佳きタカラヅカ」の時代にも興味が湧いてきてしまった今日この頃。最近の密かなマイブームは、先日録画した『はばたけ黄金の翼よ』フィナーレを就寝前に見る事です(笑)。平みちさんの歌声がクセになる・・・。劇場上手の壁に手をついてたたずむ麻実さん、カッコ良すぎる・・・。

そんな折に知った、麻実さんの講演会情報。これはぜひ!と、申込みました。キャパ200名のホールは、満席!

定時になり、まずはスタッフの方による簡単な挨拶と講師紹介、注意などのアナウンスがあり、そのままスタート。拍手で麻実さんを迎えます。

・・・という段取りだったようなのですが、拍手が続いても、なかなか登場されません。あれー?

やがて、少しの間があってから、そーっとカーテンを開けて舞台と客席をのぞき込むようにして顔を出したのは、麻実さんと聞き手の竹下典子さん(笑)。どうやら、麻実さん達がスタンバイしている場所にはきっかけを出すスタッフの方がついていなかったようで・・・。

自分たちでカーテンを押し広げて、こちらの様子をうかがう麻実さんと竹下さんの姿が、とってもキュートでした☆

講演会は、麻実さんと竹下さんのトークショー形式で進行。1時間30分、麻実さんの子ども時代のお話から宝塚時代、そして今の女優人生について、みっちりとたくさんお話を聞くことができました。

たくさん面白いお話はあったのですが、こちらでは宝塚時代のお話を中心に書き留めておきます。


* * * * *


今回の講演は、麻実さんが千代田区のご出身ということから実現したとか。あ、ちなみに麻実さんと私、同じ誕生日なのですよー!(←自慢)

神田明神に近い「刀剣金具製造業」(By麻実さん)、いわゆる鍔(つば)など、刀剣の装身具を製造する職人の家の三女として生まれた麻実さん。出産の際、産婦人科の入口で助産師さんから三人目も女の子だと知らされたお父様は、がっくりして顔も見ずにお家に帰られたそうです。

職業柄、跡継ぎをどうしても・・・という思いだったのでしょうね。お父様はあまりに落胆されてしまい、命名もせずにいたため、神田明神の宮司さんが見かねて、「親孝行だけはするように」という意味を込めて「孝子」と名付けられたのだそうです。

幼い頃から興味があり、バレエを習っていた麻実さん。高校卒業後の進路に悩んでいた頃、長姉に薦められて宝塚音楽学校を受験したそうです。本人は、「勉強しなくて良いんだから、ラッキー♪」ぐらいの考えだったとか。

受験の思い出は、とにかく桜が満開で、とても綺麗だったとの事。それで心が晴れ晴れとした気分で、気分良く試験も受けられたのだそうです。

麻実さんいわく、「自分は宝塚を全く知らずに受けたし、全くプレッシャーがなかった。けれど、受験会場に入った瞬間、『あ、私、受かるわ』と思ったんです」。

それまで宝塚を観劇した経験もなく、合格後、初めて『華麗なる千拍子』を観たのだとか。

音楽学校時代は、とにかく「遊び呆けていた」そうです(笑)。そのようなお話は、大スターさんの逸話として聞くこともありますが、麻実さんのはもう、筋金入り!!ちょっとまさか、そんなことまでできたの?!とこちらがハラハラするようなお話ばかり。

「もう時効」として、お話してくださったのは・・・

①音楽学校の2年間、演劇の授業で台詞(言葉)を発したことがない。なぜならば座高をものっすごく低くして、先生に見つからないようにしていたから。

②当時、音楽学校のバレエ教室には大きな柱があった。その陰に入ってしまえば、先生には見つからない☆

③当時、音楽学校の寮は使用電力量が決められていた。けれど夜中にお腹が空くので、電気ポットを廊下のコンセントに差してお湯を沸かし、インスタントラーメンを食べていた。そのたびに寮長さんに見つかり、何度電気ポットを没収されたか覚えていない。

④よく夜遊びに行った。同期生に頼んで1階食堂の通用口の鍵を開けておいてもらい、帰りはそこから入った。

⑤昔、京都の先斗町にお座敷ディスコ(?)があり、コカ・コーラ一杯で徹夜で踊りまくり、翌朝の始発で寮に帰った。

⑥当時、宝塚線はまだ単線で、大きな声で「待って―!」と言ったら待っててくれた。


・・・ここまで聞いた時、竹下さんがポツリと一言。

「・・・音楽学校の思い出って、それですか?・・・極悪人じゃないですか。」

会場、大爆笑でした。ナイスコメント、竹下さん!(笑)


入団してからは、自分のキャリアに先行して役がついていったので、そのための稽古やら準備などが押し寄せたため、遊びには全く行けなくなった。だから今振り返ると、遊べてよかったなぁと思う・・・とのことでした。

1970年、いよいよ初舞台を踏んだ麻実さん。

この年は日本で初めて万国博覧会が大阪で開催された年。初舞台公演も万博記念ホールで上演されたのだそうです。

出演者数があまりに多かったため、1公演あたり数名が非番になる事態もあったとか。非番になった生徒は、客席から舞台を観ることが許されていたそうです。

「自分が今出演している舞台を、客席から客観的に観られるというのは、すごく刺激になりました」。

初舞台生の時も、自分が男役か娘役かということもあまり意識せず舞台に立っていたという麻実さん。背が高かったので中高(なかだか=ラインダンスなどで、背が高い者を中心にして、両端にいくにしたがって背の低い者が配列される並び方)で、真ん中には立っていたけれど、特にこれといった思いはなかったそうです。

けれど、ある日の公演中、舞台の奥から、中高の自分の横をかすめて舞台中央へ出て行った人に強烈な光が当った時、「なんだこの光!」と衝撃を受け、「どうせ苦労するのなら、あのいちばん素敵なライトに当ってみたい」と思ったのだそうです。ただ、その思いが、イコール=トップスターになりたい、という意識ではなかったとか。

そこから、当時の最年少新人公演主演記録を塗り替えるなど、注目を浴びるようになった麻実さん。ついに1975年、『ベルサイユのばら』で汀夏子さん演じるオスカルの相手役、アンドレ役に抜擢されます。


・・・と、ここまでお話がきたところで、竹下さんからの提案で、まさかの席替え(笑)。

これまでは上手側の椅子に麻実さん、下手側の椅子に竹下さんが座っていたのですが、入れ替わって上手=竹下さん、下手=麻実さんに。客席のどの方向からも麻実さんのお顔がよく見えるようにとの事で、竹下さんのこうしたきめ細やかな配慮、感服します。


当時、絶大な人気を誇っていた『ベルサイユのばら』について、何も知らなかった麻実さん。ファンの方から原作漫画を借りて読んだそうです。

ポスター撮りのためにアンドレの鬘を作りに行った美容院でお酒を薦められ、羽目をはずして飲み過ぎてしまい、翌日の撮影は二日酔いでのぞんだそうです(笑)。「自分でも気付かないプレッシャーを感じていたのかもしれません」。

お稽古の段階から、6学年上級生の汀さんが手取り足とり教えてくださって迎えた初日は、ひたすら無我夢中で演じたそうな。

『オスカルとアンドレ編』や『オスカル編』では、たいてい、最後の場面でアンドレがガラスの馬車に乗ってオスカルを迎えに来て、2人で天上の世界へ旅立っていく・・・という展開になりますよね。ここで、「オースカール!」と両手を広げて叫びながら、麻実さん@アンドレは「ああ、今日もやっとこれで終わる―!!」という解放感でいっぱいだったそうです。

「だから、この場面の写真はどれも良い顔してます(笑)」。


続いて、代表作のひとつ、『風と共に去りぬ』(1978年)のレット・バトラーについて。

ファンや下級生が綺麗に飾りつけてくれた化粧前で、綺麗なガウンを着て、バトラーの化粧をして髭をつけてみた麻実さん。鏡を見て、「イイ男だわ~~~~!!」と、ひとりでうっとりしていたそうです(笑)。

ここで、スターとなった麻実さんが大切にされていた事ととして、「とにかく自分が気持ち良いように。役を気持ち良く演じられるように、気持ち良く舞台に立てるようにしていた」というお話がありました。

麻実さんの場合は、スパンコールや羽根の多用はあまりお好みではなかったそうで、衣装はとにかく上質の生地を使い、スーツとスラックスの丈は全て細かく計算し尽くしていたそうです。

男役としての小道具―カフスやタイにも非常にこだわり、例えばある芝居で着用するタイは色々なお店を探し歩いた結果、老舗の呉服屋さんで手に入れた帯上げをリメイクしたこともあるそうです。

「質の良い生地は、ライトが当たった時にその良さがいちばん出る」そうで、いつも上質の生地であつらえられたスーツで舞台に出ていた麻実さん。裏方のおじさまたちに、「ターコ(麻実)、ええスーツ着てるなー!ええなー!」と羨ましがられていたそうです(笑)。


このバトラーは絶賛されて、ご自身が雪組トップスターとなった1984年にも再演され、再びバトラーを演じます。

実は、このバトラー役での退団を考えていたという麻実さん。しかしその矢先、麻実さんと組んで「ゴールデンカップル」と賞されていた相手役のトップ娘役・遥くららさんから退団を切りだされたのだそうです。

「(退団の意思を)ちゃんとモックに話さないとな~と思っていた時に、モックが『お話ししたいことがあります』と言うから、じゃあって場を設けたんですよ。で、こっちが『実はね、』と切り出そうとしたら、向こうから『次の公演で退団を考えています』と先に言われちゃって。もう、ちょっと待ってよ~って(笑)」。

そこで、自身の退団はいったん取り下げ、まずは遥さんを送り出して、雪組をいつも以上の状態にしてから退団しよう、と考え直したのだそうです。

遥さんのサヨナラ公演となった『風と共に去りぬ』再演。とにかく、遥さんの最高に美しく、綺麗な姿をお客様に見ていただいて、送りだしてあげたいという思いが強かった麻実さん。

いつも以上に気を張っていたこともあったのでしょう、ある日、銀橋をわたって花道へはけた直後、貧血を起こして動けなくなったことがありました。その時、裏方のおじさま(←2度目の登場)が、「ターコ、これ飲め!」と、気つけ薬にレミー・マルタン(←言うまでもなくブランデー)を持って駆けつけてくださり、事なきを得た・・・そうです(笑)。

ちなみに、そんな事になっているとは知らない遥さん@スカーレットは、その後のシーンで麻実さんと近づいた時、「ターコさん、良い匂いがします~☆」と喜んでいらっしゃったそうです(笑)。


遥さんを送り出した後、麻実さんご自身も翌年の春、『はばたけ黄金の翼よ』で退団。あらためて退団の意思を伝えた時、劇団側から、「桜の舞う美しい季節、心浮き立つ季節なのに、お客様に涙を流させるのは良くない」と言われたそうです。・・・なんかすごい理屈ですね・・・(遠い目)。

卒業後は、特に何も決めていなかったそうですが、現在は歌舞伎評論家として有名な渡辺保さん(当時、東宝の舞台プロデューサーをされていました)からの紹介を受けて『CHICAGO』に出演。「一度降りたレールに引き戻された」という表現をされていましたが、それだけの技量と魅力は、宝塚の舞台だけではもったいないと思わせるものがあったのですね。

退団後、10年間は外国人演出家との仕事が続いたことは、とても良かったと語る麻実さん。「向こう(外国)の方は私が宝塚の男役だったなんて事を知らない。だから、ゼロから築き上げることができた」。

1995年、松竹100年の記念公演『ハムレット』で宝塚以来初めての男役を演じた麻実さん。その時、渡辺保さんとこのような会話を交わしたのだそうです。

「私はね、すごく恵まれているの。ひとつ目の前にあるものを頑張ったら、またひとつ、自分のやりたいものが目の前に現れるの。そう言ったら、渡辺先生が、『そんなこと言える女優、他にいませんよ』って」。

良い意味で、すごい自信ですよね。自分が築き上げてきたもの、積み上げてきたものに裏打ちされた、揺るぎのない、清々しい自信。

最後は次回の公演の紹介と麻実さんからのご挨拶で終了。退場する時に軽く投げキッスをしてくださったのが、とってもカッコ良かった~!


* * * * *


順番が前後しますが、今回のお話で心に残った言葉の数々を、書き留めておきます。


「宝塚は、宝塚で誕生したからこそ100年続いたのだと思う。宝塚が、東京のここ日比谷で誕生したとしたら、ここまで続かなかったと思います」。


「やはりあの長閑な温泉町、劇場まで足を運んでくださるファンの皆さんは勿論、座付きのスタッフ、そして花のみちにつながるお店の方々、阪急沿線のお店の方々の支え、宝塚という街、地域が一体になって盛りたてて、応援してくださったからこその100年。」


「タカラジェンヌは(退団という)終わりがあるからこそ、一生懸命。女性の青春期、花でいえば、つぼみがほころんで花が咲いて、そしてその花がいちばん美しい状態。その(いちばん美しい時期の)花の一本一本が生徒。」


「人生でいちばん美しい姿をお客様に見ていただいて、自分のいちばん美しい瞬間をお客様の心に残していただいて、次の人生を歩んでいく。愛と夢の、非常にファンタジックな花園」。


「自分の中で蓄えたもの(=宝塚の男役としての経験)は邪魔だと感じた時もあった。けれど、ある人に言われたのが、青虫がさなぎになり、羽化する時、長い時間をかけてさなぎから出てきて、時間をかけて翅をお日様の光に当てて乾かして、そして美しい蝶となって飛び立つでしょ、って」。


「土台はやっぱり宝塚。そこからまた時間をかけて、段階を経て、色々な経験を積んでいく。経験を積んで、今を迎えて、そしてこれからに向かっていくのだと思います」。


今までの人生で、最も愛したタカラジェンヌの卒業が見え始めているこの時期だけに、これらの言葉は心に染みました。


* * * * *


それにしても、竹下さんの進行力には脱帽です!一応、手には小さなメモを持たれていたのですが、全く見ることもせず、絶妙なポイントで麻実さんにパスを投げて、当意即妙の切り返しでスムーズな進行。それでいて麻実さんの魅力から千代田区のお話まで、まんべんなくカバーしたトークショーを構成されていました。素晴らしい!の一言です。


麻実さんと竹下さんのおかげで、豊かで美しい時間を過ごすことができました。


★麻実れいさんおすすめ書籍情報(By日比谷図書文化館)★

双頭の鷲〈上〉 (新潮文庫)

双頭の鷲〈上〉 (新潮文庫)

  • 作者: 佐藤 賢一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/06/28
  • メディア: 文庫



 

ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)

ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)

  • 作者: ソポクレス
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1986/01
  • メディア: 文庫

サラ・ベルナールの一生 (1970年)

サラ・ベルナールの一生 (1970年)

  • 作者: 本庄 桂輔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1970
  • メディア: -

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