高千穂 天岩戸神社~天安河原 [旅]
『日本書紀』、『古事記』には、天照皇大神(アマテラスオオミカミ)が弟神である素盞鳴尊(スサノオノミコト)の乱暴かつ傍若無人な振る舞いに困惑し、天岩戸へお籠りになったことから世界が暗闇に包まれたと記されています。
その天岩戸を斎ひ奉るのが、宮崎県高千穂町にある天岩戸神社。
天岩戸神社は岩戸川の深い渓谷を挟んで、天岩戸を奉る西本宮と、天岩戸から出た天照皇大神が最初にお住まいになった場所を奉る東本宮に分かれています。
まずは、西本宮へ参拝。
社務所にてこの社殿の奥に、天岩戸遥拝所があります。
天岩戸を遥拝するには、まず社務所にて受付が必要です。神職の方が神社のいわれや天岩戸の説明ををしながらガイドしてくださいます。
遥拝所内の区域は(当然ながら)撮影は禁止です。遥拝のための社が建てられており、その屋根の木がちょっと斜めに流れています。その流れの先に天岩戸が見えます。
深い渓谷の向こう、色とりどりの紅葉の蔭にわずかにみえるくぼみが、天岩戸があるとされる場所。霧のような秋雨にけむる山々の空気はしっとりと落ち着いていて、ぐーっと自分の気持ちが落ち着くのがわかりました。
また、神職の方々のガイドが、とても素晴らしいものでした。特に目を惹くような話し方やパフォーマンスをするわけでもなく、淡々と説明をされるのですが、口跡がはっきりとしていて、ひとつひとつの言葉の発音がとても美しくて正確なので聞き取りやすく、とてもわかりやすい。
特に神道と皇室のありかた、皇室の意義をきわめてシンプルに、かつ的確な言葉で説明され、今まで自分の中であやふやだった部分が「なるほど!」と納得できるものでした。天岩戸神社に行かれた際には、ぜひともガイドをお願いすることをオススメします!
遥拝所を出て、西本宮から岩戸川を15分ほどさかのぼったところにある「天安河原(あまのやすかわら)」へ。
雨が降っていても透明度が落ちない岩戸川。
こちらは完全な山道で街灯などもないので、明るい時間のうちにお参りするのがオススメです。雨の日は濡れた岩や落ち葉で滑りやすくなっているので、ご注意を!
狭い山道を下ったり登ったりして、ようやく天安河原へ到着。
『日本書紀』では、天照皇大神が天岩戸にお隠れになってしまい、困り果てた八百萬神がこの河原に集まって会議を行ったと伝えています。
河原のほとりには、仰慕窟(ぎょうぼがいわや)と言われる岩室のような洞窟があり、お社が鎮座されています。
こちらにお参りすると願い事が叶うと全国からの信仰もあつく、このお社の周辺から河原にかけて、願事をこめて積み上げられた石の山が無数に広がっています。あまりにも濃密な「人の思い」を、清流のせせらぎと深い木々、清々しく豊潤な自然が中和し、抱擁しているかのような場所でした。
天岩戸神社というと、西本宮~天安河原までの参拝が一般的な観光ルートのようですが、せっかくなので渓谷をつなぐ橋を渡って、天岩戸のある谷に鎮座する東本宮にもお参りしました。
こちらは、天岩戸から出ていらっしゃった天照皇大神が最初にお住まいになったとつたえられています。
観光客や団体客が押し寄せて、どうしてもにぎやかな空気になってしまう西本宮とは違い、渓谷をひとつ隔てた東本宮は、驚くほど静かで、木々が枝を揺らす音、その向こうからかすかに聞こえる渓流の音だけが響きます。静謐なたたずまいに、こちらまで心が引き締まります。
天岩戸により近い場所だからでしょうか、お参りし、拝殿の周りを散策するだけで、こころが鎮まり、雑念が洗い清められていくようです。
時間があれば、西本宮と天安河原だけでなく、必ずこちらの東本宮も参拝なさることを強くオススメします。
西本宮と東本宮をつなぐ「岩戸橋」から。
この豊かな山々のどこかに、天岩戸が今でも残されているんだなぁ…と思うと、とても感慨深いものがありました。ここは、「日本人の心のふるさと」なのかもしれませんね。
とても寒い1日でしたが、心から満ち足りた時間でした。
錦秋の高千穂 [旅]
休みなく旅は続いております。
先日は、宮崎県の山間部を巡っておりました。急に冷え込みが厳しくなった日で、なんと初雪を体験!
「南国」のイメージが強い宮崎県ですが、晩秋から冬にかけて、山間部はとても厳しい寒さに見舞われます。なにしろ、日本最南端のスキー場があるくらいですから。
写真は、日本で最も高い鉄道橋(地上からの高さ105メートル)として知られていた高千穂橋梁。
高千穂鉄道廃線後、橋梁での列車運行は行われていませんでしたが、今夏から高千穂あまてらす鉄道が運行する「スーパーカート」という車両での運行が期間限定で始まったそうです。
この近辺は平家の落人が隠れ住んだと伝えられることから、今でも古語が残り、日常的に使われている言葉がいくつか存在します。
その中のひとつが、「こじける」。「凍える」という意味があるそうですが、まさにこの日は、こじける寒さでした…。
時折、冷たい風に乗って雪がちらちらと舞う寒さとお天気でしたが、橋の周囲やふもとを彩る紅葉は、それはそれは見事なものでした。また旅が落ち着いたら、ほかの写真もご紹介していきたいと思います。
インフルエンザや風邪が流行しています。皆様もどうか体調を崩されませんよう、健康第一でお過ごしくださいね。
そして明日からも生きるばかり [旅]
ライブの余韻に浸る時間も余裕もないまま、再び旅の日常へ引き戻されています。
慌ただしく流れていく時間の中でも、ちょっとだけ自分を落ち着かせる空間とひと時が欲しくて、「ISETAN HANEDA STORE CAFE」へ。
開放感のある窓から、目の前のスポットを行き来する飛行機、まっすぐ伸びる滑走路、その向こうに広がる東京湾、お天気が良い日はさらにその向こうの東京や千葉のビル群のシルエットを眺めているだけで、あくせくしていた気持ちが鎮まって、新たな方向へ向かうような気がします。
そしてまた、空の旅へ。
この日は全国的に風や雨の強い一日でしたので、雲も風に乗って姿かたちを次々に変えていきます。
雲の造形が造り出す峰々や渓谷、海や湖(のように見える光景が広がる時もあるのです)を見ていると、空の上は、地上とはまったく異質の世界が広がっていると実感します。
人間の領域ではないはずの世界に足を踏み入れているという事に対する、畏れの気持ちが強くなる瞬間。
この雲の上を通過した時、急に揺れが激しくなりました。後で確認すると紀伊半島上空だったようで、納得。ここはよく揺れますね~。
モコモコとした雲の上を、ふわ~っと通り過ぎていく薄絹のような雲。泰然自若に世界を生きる仙人のようなイメージを思い浮かべました。
ずっと翼の下に見えていた雲がその上を流れていくようになったら、遥かな空の旅もそろそろ終わりの合図。
昨日も今日も、そして明日も、旅は続きます。
光る羽広げたら 風向きは自分次第 [旅]
まだまだ旅は続いております。
この日のフライトは風の影響か、本州の陸地に添って飛んでいました。おかげで、季節の移り変わりを迎える山々の姿を楽しむことができましたよ~。
写真では全くわかりませんが(^_^;)、山々は頂の方から少しずつ紅葉が始まっていましたよ~。
今月半ばには、自然が織りなす極彩色のカーペットが見られるでしょうか。
矢印の先にいるのは、途中ですれ違った別の飛行機。
ものすごいスピードで、あれよあれよという間に飛び去ってしまいました。自分が乗っているとまったく実感がありませんが、やっぱり飛行機ってすごい速度で飛んでいるんですね。
飛んで行くうちに、空はは一面の白い雲に覆われました。
まるで、空の上に出現した雪原のようです。
空の航海はまだまだ続き、やがてまた新しい景色に。
ここはまるで、空の海に浮かぶ雲の島が集まっているように見えます。
雲の陸地が尽きると、今度は霞の中をぐんぐん進行。この日は中国山地の上空から山陰地方の上空をフライト。とても良いお天気でしたので、空の下によく知っている街の様子もおぼろげながら見えました。
山口県萩市。
ちょうど指月山に雲がかかってしまったのが残念でしたが(涙)、三角形の萩市街地の様子がよくわかります。
ちょっと羽にかかってしまいましたが、長門市仙崎付近と青海島。
「みんなちがって、みんないい」の詩で知られる金子みすゞの故郷としても知られる町です。6~7年前に一度訪れましたが、潮騒の音が耳に優しい、静かで愛すべき町でした。美味しいウニ飯のお店もあります☆(←結局食い気に走る)
稜線に連なる無数の風車。
風力発電のための巨大風車は、最近空の上からよく見る風景ですが、ここまでたくさんの風車を一度に見たのは初めてかも。すごい数ですね~!
…と、空の世界や地上の世界の景色に夢中になっているうちに、この航海(フライト)もそろそろ到着点が見えてきます。
ヘブンリーブル―と純白の雲の境界だけに見られる、まぶしい白の光。
一度始まると、終わるまでは止まることも出来ない旅。思うようにいかなかったり、余裕をなくしたり、自分の弱さ、ふがいなさに歯がみしたり落ち込むことも時々ありますが、それ以上の喜びや感動も得られるのも、旅の醍醐味。上手に息抜きして、切り替えて、新しい旅に向かいたいと思います。こうして、美しい世界にも身を委ねられますしね。
今日から11月。朝晩の冷え込みが厳しい季節となってきました。風邪やインフルエンザも流行しつつありますので、どうか皆さまも、充分に温かくしてお過ごしください。
ななつ星~☆ [旅]
幸運にも、こんなに早くめぐり逢うことができました!やったー!!ヽ(´∀`*)ノラッキー☆
シックな色合いと上品なデザイン、重厚なたたずまいはとても優美で、思わず見とれてしまいました。
幸運はまだ続き、なんと…
「ななつ星」専用バスにも遭遇してしまいました!うわーい!!
公式サイトにも説明があるのですが、ななつ星のスケジュールにはある駅からある駅に向かう行程で、バスに乗って移動するプランと、そのまま乗車して鉄道の旅を楽しむプランの2種類から選択することができます。バス移動を選択した乗客はこのバスに乗って、指定された駅まで阿蘇のやまなみ等を楽しむのです。
見えにくいのですが、スターと数字の「7」をモチーフにしたシンボルロゴが輝いています。ちなみにナンバーも「7」というこだわりようです。
いつか旅の途中に、どこかで遭遇できたら嬉しいなぁとは思っていたのですが、まさかこんなに早くめぐり逢えるとは…!!しかも、専用バスにまで出逢えるとは夢にも思っていなかったので、喜びと興奮も倍増です。もう、今年中の運を全て使い切った気分です(笑)。
やっぱり鉄道は良いなぁ。乗るひとだけでなく、見るひとにも夢やロマンを感じさせてくれますね。
嵐山 大河内山荘 [旅]
「丸ちゃんの心に触れる旅」の途中、嵯峨野の竹林の道で行きあたったのが、「大河内山荘」。
大正~昭和前半にかけて時代劇スターとして活躍した俳優、大河内傳次郎(1898-1962)が約30年の歳月をかけて造営した広大な日本庭園です。
入園料は茶席付で1000円。周辺の寺社や施設と比べると少し高いと感じられるのか、訪れる人はまばら。けれど入園してみると、丁寧に心をこめて整備され行き届いた庭園の美しさに深い感動を受けました。
小倉山の向かい、亀山の中腹に造営された庭園は約2万平方メートルという、とてつもない広さ。順路にしたがって歩くだけでも、かなりの歩数になります。
仏教への信仰が篤かった傳次郎の園内にはこのようなお地蔵様や石塔が、豊かな緑に包まれています。
大河内傳次郎が庭園造営初期に建設したという持仏堂。国の文化財に指定されています。
茶室「滴水庵」。
庭園の中でも奥のほうにあるので、本当に静かな空間が広がっています。
「滴水庵」の縁側から見える風景。
しっとりとした空気と緑の清々しい空気に、ふーっと心が軽くなるような感覚になりました。
滴水庵でしばし休息した後、紅葉を始めた自然の空気と香りを身体中に感じながら再び散策。
園内には、「大河内傳次郎資料館」もあります。
解放された自然の空間の中で楽しめる記念館というのは新鮮ですね。
館内には大河内傳次郎の写真は書き抜き(台本から自分のセリフの部分だけを書き抜いたもの)などが展示されています。
大河内の代表作『丹下作膳』のスチール写真。
ものすごい迫力の眼差し…。
散策を終えると、休憩所でお茶席のサービスをいただきました。
茶菓子は「大河内山荘」と刻印された最中。こちらのオリジナルのお菓子です。
少し日が傾いて肌寒くなってきた時間帯でしたので、温かい抹茶がお腹にぐーっと染みて、ホッと落ち着きました。
展望台「月香亭」から一望できる京都市街。遠くに比叡山が見えます。
丘陵の中腹にあるので、一回りするだけでも結構な距離と時間がかかります(アップダウンも激しいので、体調が悪い時などはしんどいかも…)が、観光客も少なく、ゆったりと落ち着いて「京都」を感じられる場所です。
無心で自然の中の道を歩き、ふと立ち止まって仰いだ時に目に入ってくる鮮やかな空の青や樹木の緑に心を奪われ、耳に入ってくる野鳥のさえずりに心を和ませ、土や木の香りを胸いっぱいに吸い込み…日常生活の中で硬く強張ってしまった心がやわらかくほぐれていくような感覚をおぼえます。こういう時間、本当に大事ですよね。
嵐山を訪れた際には、ぜひぜひ足を運んでいただきたいスポットです。
我が心の故郷(ふるさと) [旅]
旅の合間に30分だけ時間ができたので、ついつい足を伸ばしてしまいました。
宝塚大橋から見る大劇場。私が大好きな、大好きな景色のひとつです。
隣接する宝塚音楽学校の開け放たれた窓から、ピアノの軽やかな音色がかすかに聴こえてきます。バレエのレッスンをしているのは、本科生かな?予科生かな?どちらにせよ、宝塚歌劇の次の100年を、永遠の夢を受け継いでいく存在であることに変わりありません。
青空に溶けていくやわらかなピアノの音色に耳を傾けて、武庫川を吹き抜ける風を頬に受けながら、そっと目を閉じて深呼吸するだけで、穏やかで優しい気持ちになれるから不思議です。
歌劇のまち、宝塚。いつまでも、いつまでも、「我が心の故郷」であって欲しいと願います。
この空の澄みわたる青のよう [旅]
宇佐神宮 [旅]
宇佐神宮は、全国八幡宮の総本宮。
小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮と、ふもとに鎮座する下宮があります。その周囲にも多くの社殿が建てられています。
今回は時間がなかったので、駆け足で参拝~。
二の鳥居。大きいですね~!
台座がピラミッド型をしている、珍しい石灯籠。
三の鳥居。こちらも堂々としたたたずまいです。
ここから、深い森に囲まれた石段の参道を歩いていきます。この石段の途中に、「夫婦石」と呼ばれるパワースポットがあるそうなのですが、今回は急いでいたので見つけることは出来ず。次に機会ができた時は、じっくり探しだしたいと思います(笑)。
ほぼ垂直に近い傾斜で丸柱が立ち、笠木と島木の反りが強く、木口が斜めに切られていて桧皮葺の屋根がかけられている形状の鳥居を、「宇佐鳥居」と呼ぶのだそうです。
そうそう、くぐる時に、「普通の鳥居と違って、何と言うか、ちょっとキュッとしてるな~」と思ったんですよね。
西大門(さいだいもん)。
安土桃山時代の様式を今に伝える、華麗な装飾です。
南中楼門(勅使門)。
高良大明神と阿蘇大明神が、御門の神として鎮座されています。入母屋造桧皮葺の落ち着いたたたずまいと目にも鮮やかな壮麗な装飾に心を奪われます。
この御門の内部に、上宮本殿が鎮座しています。
主祭神は、3柱の神様。
一之御殿:八幡大神(応神天皇)
二之御殿:比売大神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)
三之御殿:神功皇后(息長帯姫命)
通常の参拝方法とは少し違って、宇佐神宮では「二拝・四拍手・一拝」が古儀とされています。
神木の陰でしばし涼をとりながら、宇佐を訪れることの出来たご縁に感謝しました。
宇佐神宮公式ホームページ
「永遠の0」の面影 ~宇佐市平和資料館~ [旅]
初めて、大分県宇佐市を旅する機会に恵まれました。
宇佐市と言えば、宇佐神宮・・・くらいの知識しかなかったのですが、戦時中に海軍航空隊、後に神風特別攻撃隊の中継基地があり、ここから多くの若き兵士たちが空へ飛び立っていったことを初めて知りました。
現在でも、宇佐市内には空襲を受けた建物や航空機を退避させるための掩体壕(えんたいごう)の遺構などが点在しています。
現在、宇佐市では平和ミュージアム(仮称)の建設を目指し、宇佐海軍航空隊の歴史や資料を収集しているそうです。
その第一歩となるのが、「宇佐市平和資料館」。
昭和12(1937)年に中国との戦いが始まり、米国との開戦も必至の情勢であった昭和14(1939)年10月1日、宇佐海軍航空隊(宇佐空)は艦上爆撃機、艦上攻撃機の搭乗員養成のための練習航空隊として開隊しました。卒業後は実戦部隊へ送り出され、真珠湾攻撃などにも参加しました。昭和20(1945)年2月には、神風特別攻撃隊の中継基地にもなり、多くの航空機が宇佐に集まりました。また、宇佐空でも神風特別攻撃隊が編成され、154名もの搭乗員が特攻出撃して戦死しました。このような状況下で、宇佐空は米軍の艦載機や爆撃機の空襲を受け、多くの命が失われました。
(宇佐市平和資料館パンフレットより)
こちらに暫定展示されているのが、12月公開予定の映画「永遠の0」撮影用に制作された、零式艦上攻撃機21型実物大模型です。
原寸大の模型です。
初めて知ったのですが、艦上戦闘機というのは、航空母艦から発艦する戦闘機のことで、大まかに2種類に区分されるのだそうです。
目標物に肉薄して魚雷攻撃を行うものを艦上攻撃機、高空から爆撃を行うものを艦上爆撃機と呼ぶそうです。空母からの離艦というのは非常に高い技術が要求され、特別な訓練が必要でした。
宇佐海軍航空隊はその航空技術の基礎訓練を終えた搭乗員に実戦機を用いた訓練を目的として開隊されましたが、後に神風特別攻撃隊の中継基地となりました。
コックピット内も、非常に精巧に復元されています。主演の岡田准一くんも、実際にこのコックピットに乗りこんで撮影を行ったそうです。
映画撮影に使用されたコックピットと、映画のポスター。
当時、日本の軍用機は採用年次を表記する際に「皇紀」という年号の下2けたを使っていました。初代天皇とされている神武天皇が即位した年を紀元前650年として元年ということにすると、昭和15(1940)年は「皇紀2600年」ということになります。
したがって、この年に採用された軍用機が2600年の下2けたをとって「00」=「零式」と呼ばれるようになりました。
この艦上戦闘機の胴体の下に着いているのは、燃料機。
零戦機には機外と機内の2か所に燃料装置があり、目的地までは機外の燃料装置を使用して飛行します。目的地に到着すると機外の燃料装置を切り離し、機内の燃料装置に切り替えます。このため、零戦機は俊敏性と軽量性が飛躍的に上がり、大戦初期には優秀戦闘機として恐れられました。
写真でもご覧いただけると思いますが、操縦席を保護する屋根(と言うのかな?)の部分は、簡単な骨組みで作られています。戦闘機は空中戦の際、後ろから追撃されることが致命傷になるため、欧米の戦闘機などは操縦席を守るために、この部分は厚い鉄板で覆われているのが普通なのだそうです。
この、徹底した軽量化と高度な運動性能を追求して完成された零戦機は、まさしく「闘うこと」だけを考えて開発された戦闘機でした。
映画撮影のために精密に復元されたこの零戦機は宇佐海軍航空隊第721航空部隊・神雷部隊が使用した21型です。神雷部隊は、人間爆弾「桜花」を攻撃兵器とした初めての航空特攻専門部隊です。宇佐で特別攻撃隊の訓練を受け飛び立った若者たちは、81機154名にのぼりました。
「桜花」は、1人乗りの特攻専用兵器で、陸上攻撃機(地上滑走路から離陸する戦闘機)に吊り下げられて運搬されました。目標物を発見すると、戦闘機から切り離されます。その後は搭載された3本のロケットに順次点火して加速し、目標物に突入しました。
「桜花」が切り離されて発火・爆発するまでは7秒。その7秒の間に、桜花に乗りこんだ搭乗員はより正確な戦果のために、目標物に照準を合わせて突入したのだそうです。
7秒。
今までで、いちばん重く、厳しく突きつけられた7秒でした。
宇佐を訪れなければ、決して知ることのなかった歴史の事実。
歴史は誰かから、何かから学ぶだけではなく、自ら知ろうとする意識も必要なのだとあらためて感じさせられました。
=宇佐市平和資料館=
住所:〒879-0455 大分県宇佐市大字閤440-5
交通アクセス:JR日豊本線「柳ヶ浦」駅から車で約15分
TEL/FAX:0978-33-1338
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:火曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12/29~1/3)
入館料:無料
映画 「永遠の0」公式サイト