カフェで本を読んで、盲導犬を応援しよう♪ [Books]
盲導犬サポートショップで、またまたお買い物してしまいました。今回は、「読書の秋」に相応しい品々。
まずはコチラ。じゃん♪
レザーブックカバー(ピンク、1050円)です。
合皮のレザーカバーは、ソフトな触り心地。表紙の面に「Go Guide Dog」というロゴマークが入っています。表面がなめらか過ぎるので、時々本を取り落としそうになっちゃいますが(苦笑)、やわらかいので、指先になじみます。
しおり代わりのサテンリボンについているチャームが、ハーネスを着けたワンちゃんなのもキュート。サテンリボンがちょっと弱そうなので、チャームの重さで切れてしまわないように、しおりとして使うときは、チャームはぶら下げずにページの間に閉じています。
続いては、コチラ。ぽん♪
バッグハンガー(ラベンダー、1050円)です。
カフェやレストランなどで、ピンクの丸い部分をテーブルにかけると、手持ちのカバンや袋をかけられるハンガーに変身。収納するときは金属部分をくるくるとたたむだけでOKです。
これで、カフェでも荷物の置き場所に困ることも少なくなりますね♪ 早く使いたいな~。
そして、このピンクがラブリーなブックカバーに初めて包まれた本は、コチラ。
↓
いやぁ、ピンクには、やっぱり恋のお話が似合うかなぁ~と思いまして。(照)(微妙すぎるロマンチストぶり)。
「最後の恋」をテーマに、8人の小説家がそれぞれ執筆した短編が1編ずつ計8編、収録されています。
先日、本屋さんをブラブラしている時にふと目に入り、何の気なしに一番目に収録されている「春太の毎日」(三浦しをん)をチラッと読んでみたら、これが面白くて面白くて!恋愛小説ってあまり買わないのですが、ついつい買ってしまいました。
こうやって読んでみると、作家それぞれの作風と言いますか、空気感や読後感って全然違うものなんですよね。と言っても、「春太の~」が気に入ってしまった私は、他の作品を読み終えるたびに、いちばん最初のページに戻っては、いちいち「春太の~」を読み返しています(笑)。だって春太、めちゃくちゃ可愛いんですよ~!!
読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋・・・皆様も、様々な秋を楽しんで下さいね!!
山本周五郎 『扇野』 [Books]
山本周五郎による小品の中から、夫婦愛や男女の機微をテーマにした作品を集めた短編集です。「夫婦の朝」、「合歓木の蔭」、「おれの女房」、「めおと蝶」、「つばくろ」、「扇野」、「三十ふり袖」、「滝口」、「超過勤務」の9篇が所収されています。
このうち5編(↑ピンクの太字)が夫婦もの、3編(↑オレンジの太字)が男女の機微を描いた作品、1編(↑青の太字)が、ちょっと異色な感じのする現代ものです。「愛情もの」と呼ばれる作品を集めただけあって、ほぼ全てが男女の間に流れる情愛を多彩に、そして穏やかに描いています。
一時期、私には「周・周ブーム」で盛り上がっていた時期がありまして。山本周五郎と藤沢周平の作品ばかり読んでいた時期を勝手にこう読んでいるだけなのですが。
最初に読んだのは、文庫本『花匂う』。この中に所収されている「蘭」は、潔くて瑞々しくて美しくて、本当に素敵な作品です。
- 作者: 山本 周五郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1983/01
- メディア: 文庫
久しぶりに読んだ周五郎作品は、やっぱりじんわりときますね~。夫婦の間には、他人には分からない絆、情愛が流れているものなんですね。どれもこれも、「こんな夫婦でありたいなぁ」「こんな家庭を築けると良いなぁ」「こんな素敵な旦那様が良いなあ」(←笑)とか、素直に思えてしまうものばかり。
特に、表題作でもある「扇野」は、何回でも読み直したい作品です。大作に挑む流れの絵師を軸に、彼と惹かれ合う芸妓おつる、そし陰から絵師を慕う娘おけい…この三者三様の心のありようが、とても人間的。おけいの最後の言葉には、ハッとして思わず熱いものがこみ上げました。
周五郎作品に登場する芸妓は、良い意味で勇ましくて可憐で情が深くて、好きですね~。芸妓さんがヒロインの「山茶花帖」(『雨の山吹』所収)も、すごく良いお話です。
周五郎作品の醍醐味は、鮮やかな空気の変化にあると思います。日常の風景が淡々と描かれているかと思えば、たった一文や、登場人物のたった一言で、それまで物語に漂っていた空気がガラッと変わってしまい、読者を清々しい、優しい気持へと引き込んでしまいます。
『扇野』も、珠玉の言葉がたくさん詰まっています。
表題作「扇野」で、おけいが主人公に話しかける最後の言葉。「めおと蝶」で、妻が共に旅立つ夫に微笑みながら口にするひと言。「つばくろ」で、母の不在に黙って耐え続け、とうとう病に倒れた幼い子供が、苦しい息の中で繰り返す言葉。「夫婦の朝」での、窮地に追い込まれた妻を救った後、夫が朝の光の中で妻にさりげなくかける言葉…。そのひと言ひと言、心の中に光が差し込んでくるような、そんな温かさ、優しさを感じることが出来ます。
ほんのひと言、でも相手を思って大切に伝えられる言葉は、その人の心を動かすことも出来るし、あたたかく照らす事もできる…「言葉の力」とは、まさにこの事ですね。
「人として、こう生きていきたい」と、周五郎作品を読むたびに思います。
それにしても、周五郎作品に登場する男性陣は揃いもそろって、どうしてあんなに爽やかで凛々しくてカッコイイんでしょうね~男気と優しさあふれる言動に毎回、「くおぉぉぉ、めっちゃかっこええっっ 」(←興奮のあまり関西弁)と、読みながら悶絶しまくりです(笑)。
石田衣良 『空は、今日も、青いか?』 [Books]
- 作者: 石田 衣良
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/03/19
- メディア: 文庫
「現代感覚の妙手」と称される作家、石田衣良によるエッセイ集。
石田衣良さんの著書を手に取るのは、初めてです。小説は読んだことがありません。2003年~2005年にかけてフリーペーパー「R25」に掲載されたエッセイを中心に、新聞・雑誌に掲載された文章をひとまとめにしてあります。
単行本は2006年に出版されているのですが、今回は新しく出た文庫本を買いました。表紙カバーの、何とも言えない、透き通るような青がとても印象的だったからです。
そして、買おうと思ったきっかけがもうひとつ。
いつか、テレビのドキュメンタリーで石田衣良さんに密着する番組を偶然見たことがあります。(ちなみに、コチラです→NHK番組たまご『ドキュメント"考える"』)
その時のイメージは、「おっしゃれ~な人」。だって、仕事場所がめっちゃくちゃお洒落なんですよ。「作家」という言葉から想像されるイメージとはかなり違って、白を基調とした本棚とデスクからして、既にお洒落上級者。
たぶんね、現代的で都会的で、そしておしゃれな人に対して私が勝手に気後れしてるんですよ、この第一印象の理由は(笑)。羨望みたいなものがあるかもしれませんね。それで素直に見られない、みたいな(←なんじゃそりゃ)。
もうひとつ、今年に入って、ある情報番組でコメンテーターとして出演されている石田さんを拝見しました。
「若者と日本の政治を考える」というのが番組のコンセプトだったようなのですが、最後のコメントを求められて、「政治は人に希望を与えるもの」という趣旨の発言がずっと心に残っていました。
石田衣良さんの作品に対する私のこれまでのイメージは…「甘ったるい、すかしてる」。…どんだけ悪評なんですか(苦笑)。
作品は、書店でペラペラと立ち読みした程度の印象なのですが、なんとも甘~い恋愛小説を書く方だなぁ、と。(彼が文壇に躍り出るきっかけとなった『池袋ウエストゲートパーク』はまた違った作風なのでしょうが)
甘すぎて苦い、というイメージ。(甘すぎて、アゴの奥が痛~くなることって、ありますでしょ?そんな感じ>苦笑)
でも、サイダーのようにスキッと爽やかにコメントしているテレビの石田さんを見て、ちょっと興味がわいてきました。それで、まず石田さんの小説を読む前にエッセイを読んでみようと思い、手に取ってみた次第。
さて、ざっと読んでの感想は…すっきり軽やかな読後感。「R25」に掲載されていたエッセイは、いくつか読んだ記憶があるな~、と懐かしく思いながら読みました。
「勝ち組負け組と簡単に人をふたつに分けて、浅いところでわかった顔をする時代になってしまった」(『組に分かれず』)という文章から、このエッセイ集はスタートします。このエッセイ達が書かれたのは今から5年前。この時期に何があったっけ、と想像しながら読み進めると、かなり面白いかも。
例えば2004年ですと、ライブドアが近鉄バッファローズの買収を提案。後に楽天も参入してプロ野球の新球団設立へと話が展開しました。そして2005年は、同じくライブドアによるニッポン放送買収騒動、村上ファンドが阪神電鉄の株を大量に買い占めてタイガースの行方が取り沙汰されました。はたまた郵政民営化をめぐる総選挙で小泉首相(当時)率いる自民党が圧勝し、「小泉劇場」と呼ばれました。この数年は、社会の面でも政治の面でも、変な熱にうかされたような時代だったように思います。
その時代にあって書かれた石田さんの文章は、まるで鼻歌でも歌っているかのように、良い意味で軽やか。エッセイが掲載された紙面が「日経新聞」「R25」「anan」と多彩なように、取り上げるジャンルも政治から経済、社会、恋愛、自分の職業、そして自己実現…と、実に豊富。それらのテーマを、まるでスキップでもするかのように軽いテイストで、決して真面目すぎることもなく、悲観することなく、決して攻撃することなく、そして過剰に楽観的になることもなく、実にストレートに書き留められています。
また、ほとんどの文章が「あなた」-つまり、今、この文章を読んでいる人たちへ向けて綴られているのも印象的です。「ですが、ご同輩、ここであきらめてはいけません」(「世界の半分は心でできている」)など、絶えず読者へ意識が向けられています。
ご自分の仕事や家族の事も時々書かれているのですが、これがまた力が抜けていて良い感じ。石田さん、お子様には「チッチ」と呼ばれているそうなのですが、それを目にするたびに、ついつい「サリー」を思い浮かべてしまうのは…年齢がバレバレですかね(汗)。もとネタ→小さな恋のものがたり 第41集 (41)
中には、4月に新スタートを切る新社会人へ向けたメッセージもありました。この季節に読むと、とても心にまっすぐ響いてきます。
「ぼくからの忠告はひとつだ。なにか勉強をひとつ、遊びをひとつ見つけてください。(中略)その遊と学は、その後のあなたの数十年を照らす光になる。迷ったときやつらいときに、どう生きていけばいいのか方向を示してくれる夜の海の灯台になるのだ。」
( 「春一番を吹かせよう」)
けれど、「夢」に対する考え方にはとても現実的な部分も見せ、説得力があります。
「夢は人を勇気づけるものであって、傷つけるものではない。自分を不幸にする夢なら、捨てることで前進できるのだ。」
(「夢を捨てる勇気」)
男性の視線から、女性に対するエールや注文(?)も、一風変わっているのに思わず納得。
「すべての化粧水は肌に水分を補給するためにあり、すべての文化は心にうるおいをもたらすためにある。化粧水と同じように、自分にあう作品を気軽にどんどん試してください。」
(『「大人の格好いい女性」の条件』)
色々と為に(?)なることや、「うんうん」と思わずうなずいてしまう事がたくさん書かれているのですが、全体を通じて「誰のものでもない、自分だけの居場所を探すこと」「"自分"を理解し、受け容れること」というメッセージを静かに、けれど強く感じます。
「最後にひとつ。きみはあまり無理をして、ひとと同じようにしないほうがいい。きみはきみらしく、ゆっくりとすすむ。ただし、ひとりぼっちだと嘆きながらではなく、自分の速度で。」
(「ひとりぼっちのきみへ」)
ほかにも、心に残る言葉がたくさんあります。
長所でも、特技でも、趣味でも、「自分にはこれがある」と気付いたときの心強さ、その気持ちが与えてくれる勇気、力…きっ と皆さんにも体験があると思います。そのことにどれだけ早く、多く気付けるか。
生きていくことの充実感は、そういったものから生まれるのかもしれません。
中村 克 『最後のパレード 「ディズニーランドで本当にあった心温まる話」』 [Books]
最後のパレード 「ディズニーランドで本当にあった心温まる話」
- 作者: 中村克
- 出版社/メーカー: サンクチュアリパプリッシング
- 発売日: 2009/02/26
- メディア: 単行本
「読んだ人の96%が涙を流した」と言われる、こちらの本。ワタクシ、見事にその96%の中に入っております(笑)。
泣きました。この本、泣きました。
まずは三省堂本店で平積みされていたのを発見し、「こ~ゆ~『お涙頂戴モノ』、最近多いよね~。ディズニーランドも出すなんて~」と思いつつも、最初のお話をチラ読みした瞬間・・・
いきなり涙が、どぼーーっっっ!!(笑)
こ、これは今までの「お涙モノ」とはまったく違うっと衝動買いし、帰りの電車の中で読み始めたところ・・・。
この日の夕方、○急線車内でぐっすんぐっすん鼻をすすりまくっていた女子を目撃した方。おそらくそれは私です
頭の中では、「やばいっ、公衆の面前で泣いてしまうのは恥ずかしいっ」と分かっているのですが、とにかくページをめくる手を止められず、そしてページをめくるたびに、電車の中にもかかわらず嗚咽(笑)。そして家でゆっくり読み返して、今度は一目をはばかることなく、思う存分号泣。(爆)
東京ディズニーランド社員として勤務していた著者が、来園者(ゲスト)から寄せられた手紙を中心に、一部キャスト(ディズニーランドで働く人は、「キャスト」と呼ばれます)による思い出等もまとめて、それぞれのお話を1~3ページずつ区分して紹介されています。
量としては、帰りの通勤電車で読了できるほどの分量です。ところがその中に詰まっている幸福感、感動の分量と密度はケタ外れ。キャストの対応に、「ここまでっ、ここまでするのか、TDL(TDS)」と驚愕しつつ、キャストの優しさとサービス精神、プロ意識に、また涙があふれてきます。
いちばん深く心を突いてきたのは、「いつまでも宝物」というお話。
これ、いつ読んでも号泣です。
ひとりのお父さんが、息子の落とし物を探してインフォメーションセンターへやってきました。その落とし物とは、ディズニーキャラクターのサインを集めたサイン帳。キャストはもう一度来てくれるようにとお父さんにお願いし、捜索を開始。しかし、探し物は見つかりませんでした。
もう一度、ディズニーランドを去る前にやってきたお父さんに、キャストは…?
ここまでお話すると、だいたいどういう結果になるのか、想像できますよね。
ところが、このお話には想像通りの結末の後、さらにもうひとつの結末が用意されているのです。私はこの話を読み終えると、毎回ボロボロです(笑)。
もうひとつ好きなのは、「ミッキーとミニーのご挨拶」。ディズニーワールドのトップ娘役(笑)、ミニーマウスと視覚障害を持つゲストとの温かい交流を描いた短いお話ですが、これもほのぼのしますね~。他にも妊婦さんを励ましたり、ミニーさんはやっぱり、いつでもどこでも夢の世界のマドンナです。
この本を、どぼどぼ涙をこぼしながら読んだ後は、いつも「プロフェッショナルとは何か」と考えさせられます。
プロフェッショナルとは、「大切なのは、成熟すること」という文章を読んだことがあります。それに続く、「『上手くできるようになる』だけでなく『ひと味違う付加価値』を生み出せるようになること」という言葉に深く共感しました。
マニュアルをこなすだけではなく、それを超えたところに本当の「サービス」が見えてくる。「プロフェッショナル」とは、自らの進歩と同時に付加価値を見つけ出すことが出来る人、なのかもしれません。
ディズニーの世界では、「ゲストの夢を壊さないこと」が、キャストの間でいちばん大切にされているルールなのだそうです。このルールを守るために、それぞれが「付加価値」について徹底的に追求して、実践しているのでしょうね。
これを読んで、ますますディズニーランドに心惹かれるようになりました。
今日も、たくさんのやさしい奇跡がきらめきますように。
中川右介 『十一代目團十郎と六代目歌右衛門-悲劇の「神」と孤高の「女帝」』 [Books]
十一代目團十郎と六代目歌右衛門―悲劇の「神」と孤高の「女帝」 (幻冬舎新書)
- 作者: 中川 右介
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2009/01
- メディア: 新書
戦後の歌舞伎界復活の先陣として活躍した、十一代目市川團十郎と六代目中村歌右衛門を軸に、歌舞伎界の葛藤を描いたノンフィクションルポです。
「この本は、その歌舞伎座を舞台に繰り広げられた、劇界の頂点をめぐる権力闘争の物語だ。」
本の内容は、冒頭で綴られた著者のこの文章に集約されていると思います。
この一文に続く疑問-「なぜ十一代目團十郎は『神』になれなかったのか。いかにして六代目歌右衛門は劇界に『女帝』として君臨していったのか。」を、当時の劇評やマスコミの記録などから解き明かしていきます。
ルポなので、著者の推測なども多分に含まれている感はありますが、それでも百冊はゆうに超える参考文献を収集し、かなり綿密に情報を拾い集めてあるので、整合性は高いと思います。事実を事実としてとらえた上で、それを時系列的にまとめられているので、ある出来事に対するそれまでの伏線などもわかりやすく把握されています。
本書は1945年の終戦をまえがきとして、1951年の歌舞伎座復活と六代目歌右衛門襲名を発端に、十一代目團十郎(以下、團十郎)の死に至る1965年までが基本的な時間軸。
その中で起こった様々な出来事を取り上げながら、六代目歌右衛門(以下、歌右衛門)がいかにして歌舞伎界の頂点を目指したか、そして團十郎が歌右衛門の動きをどのような思いで見つめ、行動していくのかを綿密に追っています。
この時代の変遷は、日本が敗戦のショックから復興、国際社会への復帰、高度成長期を遂げる時代と、ちょうど重なります。
1964年の東京オリンピックでその時代はひとつの頂点を極めるわけですが、それは、歌舞伎も含め伝統芸能の社会に置ける位置が激変し、その対応を迫られていた時期であるとも言えます。(奇しくも團十郎は、翌1965年にこの世を去ります。)
それは、「歌舞伎の現代化」と言って良いのかも知れません。
その「現代化」の流れに順応することが出来ず、あくまでも「市川宗家」を「歌舞伎界の神聖なる存在」としてとらえ、そのように振る舞おうとした團十郎。一方、「現代化」の波を冷静に見つめ、逆にその波が持つ「力」を、自分のものとして巧みに取り込んでいった歌右衛門。
「その存在に、法的根拠など必要としないのが、神である。
帝王とか女帝は、基本的には法的手続きを経てその地位に就く権力者である。」(本文より)
この文章に、團十郎と歌右衛門のあり方の違いが明確に表されています。両者の行動の違いは、あまりにも対照的です。
純粋な舞台ファン(伝統芸能だけでなく)は、あえて読まない方が良いかも・・・。と、いうのが、正直な感想です(苦笑)。
伝統芸能の世界を政治的・社会的な側面からとらえた著書はあまりないので、個人的にはとても興味深く読みました。
今や日本の伝統芸能の代名詞とも言える歌舞伎を、「興行」としての側面から書かれている箇所も散見されますが、これが結構、生々しく描かれています。松竹と歌舞伎役者の関係、そして各地に散在していた興行師との関係。「舞台」を生業とする人々のもうひとつの世界を切り取っています。
芸術の世界だけでなく、どんな業種にも、誰の人生にも「光と影」はあるものです。芸術の世界では、その濃淡が鮮烈過ぎる、というだけです。舞台に立つ役者を照らすライトの光がまばゆければまばゆいほど、後ろに浮かび上がる闇もまた、濃くなり深くなる・・・。
しかし、我々観客は舞台に魅入られます。役者もまた舞台に魅入られて、その世界で自らの「生」をまっとうしようとします。舞台の「光」には、それだけ人の心を惹きつけてやまない何かがあります。
役者はその光を自分の物とするために、ひたすらに舞台に立ち続ける。そして観客は、ひたすらにその「光」を見つめるために、劇場に通い続ける。
それは、カタルシスの相乗効果なのだと思います。役者と観客の間には、「闇」など存在しなくなるのです。
似たような仕事に就くからこそ、興行の世界の「触れられない部分=闇」については共感できる部分もありました。また「なぜ自分は舞台を観るのが好きなのか」という事についても、改めて深く考えさせられた1冊でした。
激闘の地、歌舞伎座。あと1年ちょっとで役目を終えます。
押切もえ 『モデル失格~幸せになるためのアティチュード~』 [Books]
とりあえず、最近読んだものから…。
モデル失格 ~幸せになるためのアティチュード~ (小学館101新書 24) (小学館101新書)
- 作者: 押切 もえ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/02/03
- メディア: 単行本
AneCanが誇る人気モデル、押切もえ初のエッセイ本。
私が彼女に惹かれるようになったのは、かしるいザ・ラストデイ。劇場に行く途中で、偶然撮影現場に遭遇したのです。
あまりジロジロ見るのも失礼だなと思って、ちょっと視線を落としながら歩いていたのですが、そのとき私の目に飛び込んできたのは、ありえないほどの細くて綺麗な足
「うわっ、すごく綺麗な足!!」と、思わず顔を上げたら、押切もえちゃんだったのでした。一瞬目が合ったのですが、私が思いっきり驚愕した視線で見つめてしまったので、もえちゃんも「な、何でしょうかっ!?」みたいに驚いた目をしていました(笑)。
それがきっかけで、ちょっともえちゃんに興味を持つようになりました。そのうち、テレビや雑誌の取材などで、最初から順風満帆のモデル人生ではなかったことなどを知るようになりましたが、その彼女が今の地位にいたるまでの半生と、毎日を過ごすために大切にしていることを書き綴った半自伝的エッセイが発売されました。
著書は、これまでの道のりをつづった自伝的な「第一章 失格モデルの原動力」、日々実践している「第二章 押切流 幸せになるための処方箋」、彼女自身の人生の指針を書き留めた「第三章 押切流☆幸福論」の3つから構成されています。
全体を通して感じたのは、彼女が「モデルとして」ではなく、「ひとりの人として」真っ当でありたい、という姿勢(アティチュード)を常に持ち続けているということ。
第二章では、彼女が日々実践していることの数々をいくつかの項目にまとめ、その最後に格言のように「処方箋」があげられています。どれも彼女の経験からの言葉なのですが、これまでのどんな「幸せハウツー本」よりもストンと納得できることばかりでした。
その中から、私の心に残った言葉を紹介させていただきます。
(1)「気分を変えたいとき」
→「いつも選ばない『明るい色』『タイトなボトム』を着てみる」。
(2)「どうしようもなく落ち込んだとき」
→「困ったときほど、笑え!」。
(3)「行き止まりの状況になったとき」
→「身体が動かないときは『心』、心がフリーズしたときは『体』をフル回転!」。
(4)「結果が出ないとき」
→「『文句を言う前に、ベストを尽くしているか?』と自分に聞いてみる」
いかがですか?「ああ、これなら自分でもできるわぁ」と思えませんか?特に(2)と(3)の言葉は、昨年末にある体験をして、私自身もその大きさを実感することができたので、激しく同感!!でした。
それから、「歌詞や言葉の力を借りる」というのも、同感。著書では「あなたが転んだことに興味はない。あなたが立ち上がることに興味がある」というリンカーンの言葉、安室奈美恵、デスティニー・チャイルドや海援隊の歌が引用されています。
どれももえちゃん雌伏の時代を支えた言葉たちなのですが、やっぱりどうしても、自分ひとりでは支えきれなかったり、気持ちを切り替えられなかったりすることもありますよね。そういう時は、自分の好きな歌や先人たちの「言葉の力」を借りることも多い、ともえちゃんは綴っています。
私も「言葉の力」=「言霊」を信じている方でして、印象に残っている言葉や科白、詩、歌詞を手帳に書きとめておくことがあります。へええ~、もえちゃんも同じなのか~、と思うと、(勝手に)親近感がいっそう増してきました。
とても読みやすくて、とても共感できる一作です。
押切もえちゃんのブログはコチラ
→Moemode